第六十八話






「この世には、四種類の人間がいる」
すぱっ、すぱっ、と、木の枝や幹や空気を切る音の中で聞こえる声に、光はじっと耳を澄ませた。自分の乱れた呼吸音が邪魔をする。だが、その間にも攻撃を止めることはない。清聴しろという意味ではない。今この時間は、自分が成長するためにあるのだから。
夜の森の中は深海のように暗く静かで不気味だ。その中で、師匠の気配や声は、道を照らす街灯のようなものだ。
月明りよりも確かに光を照らし、一人ではないと知らせて来る。
「一つはただの人間。普通の人間。化け物じみた強さも才能も、人を食べたくなる食欲もない。純粋な人間」
光の刃をかわしながら、焦香椿は人差し指を立てて、生徒に教える先生のように話し続ける。
「二つ目はローズ持ちの人間。強いただの人間。化け物じみた強さの才能と、好戦的な性格。俺やお前みたいな人間の事だな」
すぱっ、と、見事に太い幹を真っ二つにすると、ぐらりと首を切り落とされたように木が倒れて来る。どすん、と、山に響き渡ると、鳥が夜だというのに慌ただしく逃げていく。
「三つめはブルーローズ持ち。カーニバル遺伝子を持った人間。人間を食べたい人間。本能的に食べたいと思う人間。人を見て、食欲を感じる人間」
声の位置は分かっている。ならば、と、木をあえて揺らしながら至るところへ動き続ける。影分身のように、木の振動が気配を分散させてくれるはずだ。
焦香椿の目は眩ませているだろうか。夜に目を光らせて獲物を伺う獣の立ち位置の光だが、やはり、見ているのではなく見られている気がしてならない。
「そして四つめ」
それでも光は一歩前に出て、椿へ刃を向ける。四本たてられた指が突如、椿の背中目がけて飛びかかっていた光の目の前に突き出された。
慌ててのけ反り目を守ると、そのまま体制を崩して情けなく師匠の前にあぶりだされた形になる。
椿はそのまま攻撃するでもなく、今の今まで静かに正座して聞いていたかのように、光の目の前に静かに立って言葉を続ける。
「ローズ遺伝子とカーニバル遺伝子を持った生き物。純カーニバル。コイツが本物のカーニバル。元々、ローズ遺伝子っていうのはカーニバルが持っていたものだ。それが長い時間をかけて、人間と交わって俺達の遺伝子にも組み込まれている」
山の柔らかい地面に両手をついて肩で呼吸する光は、そっと顔を上げた。
師匠の肩を通り過ぎ、木々の群れの奥にある高校と輝く月を見た。
「……つまり、私達も人間じゃないって事ですか?」
「いいや、人間だ。だが……まあ、普通じゃねーな」
光が切った木の死体に腰掛ける。煙草を取り出して火をつけると、眩いほどに炎が夜の中で輝く。そして白い煙が、黒い闇に飲まれるように消えて行く。煙草の香りが光にも届く。
「だからといって、強くもなく、人間への食欲もない人間が、本当の人間というわけでもない。俺達は皆、純人間じゃない。カーニバルだって、純カーニバルなんてもういないんだ」
椿の言葉に光は静かに耳を傾ける。月明りが、手中にある刀に反射して、光の目を射抜く。
師匠である焦香椿から貰い受け、初めて人に向けて使っているが、何とも慣れない。
というのも、その切れ味のよさのせいか、今まで刃物を使ったことがないからか、まるで別の意思のある物体を持っているかのような異物感を憶える。
自分が使っているという意思が弱く、切っているのではなく、切らせてもらっている、というような違和感がある。
――武器を使って戦っている人は皆、こんな感覚を覚えるものなのかしら……
自分の中で前例がないため、この感覚がただの初心者の甘えだとするならば、口に出すのは恥ずかしい。だが、それにしてもなじまない。元々の気性のせいもあるだろうが、それにしても、おかしい。
振り回している間は気が付かなかったが、これだけ軽いのに、どうしてコンクリートブロックを振り回していたかのような疲労感を覚えるのか。
少し角度を傾けると、まるで鏡のように刃が光の顔を照らす。
「どうだ、気に入ったか?」
ニヤリ、と刀の向こうで師匠が笑う。
「もちろん」
「お、素直だな光」
「だって、今まで刀をプレゼントされた事ないですから。昔は玩具で持ってた事ありますけど、簡単に折れちゃって」
「だろうな。そうそういないぜ、女に刀を贈る野郎なんて。頭がおかしいとしか思えん」
「でしょうね」
「おい」
「……師匠は、刀で戦ったりしたんですか?」
「ああ、昔剣道してたから、その延長でな。でもしばらくしたら拳銃に変わったが……ま、仕方のない事だがな」
「え、なんでプレゼント拳銃じゃなかったんですか?」
「馬鹿、拳銃なんて持ち歩いてたら捕まるだろう」
「いや、これもそうとうなものだと思いますけど……」
日本刀よりも、コンパクトな拳銃の方がいくらかましなのでは。
「でも、実際私には武器は合わないのかもしれません。ステゴロでやるよりも、なんだかしんどいですし……」
「あぁ、それはな……」
ぐうぅぅぅ
獣のような光の空腹を告げる音で、話の腰はおられた。光は両手で刀を握り、俯き、恥ずかしさで震えた。
「ハハハッ!」
「こんなタイミングで鳴るなんて……! 丁度いい、切腹します!」
「ちょちょちょ! 待った待った! そういや俺も腹減ってたな! 空腹だわ! あ、俺の腹の音だ! 俺の音だった! いつだってそうだ、俺が腹を空かしてただけだった!」
「まったく師匠ったら意地汚いんですから。ほら、ご飯食べましょう」
「お前見事に濡れ衣を着せたな」
弟子に渡した刀で腹を切られたとあっては最悪だ。仕方なく、焦香椿は大して減っていない腹を摩りながら、扱いにくい年頃になった弟子の為に食料を調達しに行くのだった。
その後を歩く光は、真っ黒に塗りつぶされた木々の隙間から見える月明りを見上げた。
「……すごい、明るいですね」
「ん? ああ、歩きやすくて助かるぜ。そういや、月明りは肌にいいらしい。思い切り浴びておけ」
柔らかいベールを顔にかけられているような、そんな感覚だ。
太陽のような突き刺すような熱さは何処にもなく、夜の静謐さに似つかわしい明かりの感覚だと瞼を下ろした。



恐ろしい風景だと思った。きっと、太陽が昇ってみると、案外受け入れやすい軽やかな景色なのかもしれないが、兄が殺された時、ここには月明りしか光はなかった。
嫌に明るい日だと記憶しているが、それが事実なのかどうなのか、オペラには確かめる術はない。記憶は10年前のあの時に、フィルムに焼き付けられるように、スポットライトのような月明りに照らされた兄の遺体しか確かなものは無い。
もしかしたら雨が降っていたかもしれないし、月明りも出ていなかったのかもしれない。
だが、そんな不確かな中でも、ここで兄のラセットが殺されたという事実は何も変わらない。
10年前に一度やってきたこの場所は、あの頃から何も変わっていなかった。
兄が倒れていた場所に手をやった。ざらざらとした手触りで、兄の身体から抜け落ちた赤い命の液体は何処にもない。生暖かい血液が、あっけなく冷たくなってしまう。文字通り血の気の引く、あの命の終り。
今までそれをたくさん見てきたのに、兄の遺体を思い出すと身体が竦む。
他人の死体を見ても何とも思わない。いや、思う所はある。だが、心をそこまで削らない。赤の他人なのだから。
だが、ラセット・ブラックモアはオペラ・ブラックモアの兄だった。
遠い日本の地の遠い田舎のとある港で、夜空よりもどす黒い波のさざめきを聞きながら、オペラは膝をついて、その場所に頬を当てる。
冷たい。体温が奪われていく。大切な何かも。
だが、それ以上に思い出がある。ここに兄がいた。大好きな兄が。
「オペラ」
猫がまるまっているようにしゃがみ込んでいるオペラに、付き添いのミッド・ナイトが声をかけた。
「風邪を引きますよ」
「うん」
そっ、と瞼を下ろす。真っ暗になった視界で、音という情報がダイレクトにオペラに語りかける。今は夜、海は生きて呼吸して、傍にいるミッド・ナイトが、少し呆れたように息を吐く。そして自分の中に流れる血液の音が、ほんのさざめき程度に聞こえる。心臓が鳴る音、自分の呼吸の音が聞こえる。
「……また、ここに来ることになろうとは」
「殺す」
会話を続けようとしていたミッド・ナイトの声を遮って、オペラはしっかりと発音した。
「絶対に殺す。殺すために来たから」
「ええ、仕事は遂行しなければ」
「違う」
思わず首を横に振ると、地面に頬擦りしたようになってしまった。
オペラはゆっくりと起き上がった。左頬にある『B』のタトゥーに砂がついてしまったのではらい落とす。
ここで死んだ兄を忘れないため、忘れられないために、オペラの身体にはブラックモアのイニシャルのタトゥーが至る所に刻まれている。
たとえ身体をバラバラにされても、仲間に見つけてもらうために。
「『死の影』を殺す」
正直、今回の仕事はその復讐よりも重要視されていない。ミッド・ナイトはそれを懸念して釘を刺しているのだろうが、だが、それを理解していても尚『死の影』に対する感情をセーブできないのだとオペラは言葉少なに言う。
「大丈夫ですよ。殺せますよ」
ミッド・ナイトが宥めるように軽く言う。オペラもそう思う。殺すと思っているのだから。きっと殺せるはずだ。殺すために兄が死んでから10年間生き続けてきたのだから。
月明りが眩しい。兄の遺体は何処にもないのに、あの時のように手を伸ばせば冷たい遺骸が思い出させる。
兄の死に顔を思い出して、月に顔を向けてそっと目を閉じた。
太陽の光を浴びると温かいと感じるが、月明りを浴びると、冷たい柔らかさに包まれている気がする。命尽きた兄の肌のような感覚だった。



「ぶえっっくしょおい!」
「もしかして、寒いのか?」
「あー、いや、気になさらず」
応接室のエアコンは起動していないが、窓が少し開いている。決して肌寒いわけではない。黒の革ジャンを羽織ったまま、足を組んでものの見事に豪快にソファーに座っている少女は、豪快なくしゃみの後、照れる事もなく鼻を指で押さえながら、片手をあげて制した。
涼し気な顔をしている少女とは裏腹に、片倉組の未来を思うと、どうしても汗が止まらないらしい組長は、応接室のソファーに座る人物よりも、心は明後日を向いていた。
会話をしていても糠に釘というか、心ここにあらずで、まともな会話をしようと訪れた人間は激怒するだろうが、少女はすん、と鼻を啜るだけだった。
「そう、つまり、君たちはできるだけ邪魔してほしい。殺し屋が何処にいるのか、何人いるのか、いつ実行するのか、男か、女か、入った情報は逐一連絡してほしい。無理は言わない」
「……相手を威圧させるとか、逆に殺したりとかは?」
「いや、やめておいた方がいいと忠告しよう。相手は殺し屋だ。いくら君たちが数は多かろうがただのゴロツキ。無駄に騒ぎが大きくなるだけだ」
ゴロツキねぇ。と、胸中で独り言ちた。その言い方に対して、全く悪意がない所が恐ろしい。
――ゴロツキじゃなくて、ゴミって思ってそうな面してんな
これから大切な尻拭いを頼もうとしているにも関わらず、それでも安心を得るには不十分なようだ。
――いや、ただ器が小さいだけか
自分のようにこうしてソファーで構えているくらいできないのだろうか。こんな少女一人を頭としているグループに、事もあろうかヤグザが頼み事をするなんて。いや、逆に器がでかいのか。と、あまりにも自分の未来を案じている組長から感情が読み取れてしまうので、少し疑心になっている。
今ならばおもしろい情報が沢山手に入りそうだが、やめた。それほど暇というわけでもない。
目的は日本にはない。ポケットに手を突っ込んだまま立ち上がり、くるりと踵を返した。
「それじゃあ、報酬は先ほど言った通り、お願いしますよ」
「ああ、パスポートと金と……焼肉のタレというのは、正直よくわからないんだが……」
「一番おいしいやつで」
からからと笑いながら言われれば、用意するほかない。
仕事が終わったら仲間で焼肉パーティーでもする気なのだろうか。だとすれば、肉を頼むのが一番だろうにと、組長は少女に一枚の紙を渡した。
「こちらに連絡先、出来る限りの情報がある。利用してくれ」
「了解」
「あと、パスポートなんだが、名前はどうすればいい?」
「別に何でも。やりやすい名前で」
「……なら、君の名前は? なんといって連絡をすればいい?」
その言葉に、ぱちりと瞬きをした。そういえば名前を名乗っていなかったかと笑った。
「ああ、俺はラ……あー、いや、黒。クロって呼んでくれ。楽だろ、呼びやすくって」
革ジャンのポケットに手を突っ込んで、ラセットは悪戯をしたように笑った。
事務所から出て暫く歩く。夜も遅い時間で、人通りは全くない。住宅地も墓場のように黒く静かに眠っている。
歩いて五分のコンビニに、光に引き寄せられた虫のように大量のゴロツキが外でヤンキー座りをして待機している。その人数は三十人ほどで、車の客がいないため何とかなっているが、引かれても文句は言えないような状態だ。
「あ、戻って来た!」
「お疲れッス!」
「お前ら、店に迷惑かかるだろ。待たなくてもいいつったろ……もっと他の場所で待ってろよ」
「いやー、コンビニ以外にいいところあんまりなくって」
「かといって道端で黙って立って待ってたら、完全に通報されるじゃないッスか」
「いや、ここでもそうだろ」
「いや、まだ明るいから、近寄らないって選択肢ができるかなと、話し合ったんスよ」
「マジ会議したッス」
「セッションしたな」
「イッツディスカッション」
「ったく、しょうがねぇな」
そう言いながらもラセットも同じようにヤンキーのように座り込む。コンビニの店内から、何度も警戒する視線を送られているが仕方がない。
片手をあげて軽く頭を下げた後、腰を落としたままずりずりと、ラセットを中心に輪を描くように仲間が集まった。
「ちょっと頼まれごとをされてな。一人でもいけそうなんだが……まあ、手伝ってくれよ。金ももらう事になってる。山分けして飲もうぜ」
くい、と、飲む仕草をするラセットに、ゴロツキたちは苦笑いを浮かべる。誰もが酒を連想させるその仕草は、ラセットにかかれば焼肉のタレだ。ノリで一気飲みさせられるのは、正直酒よりも恐ろしい。
「いやいや、焼肉行きましょうよ!」
「タレなんだから! タレなんだから!」
「なんで二回も言うんだよ! うまいだろ!」
「正しい所作で嗜むのが一番ッスよ。で、一体どこで何すりゃいいんスか?」
「あー、どこだったっけかな……」
ごそごそとポケットを漁って先ほど受け取った紙を開く。近くにいたゴロツキたちもその紙を覗き込む。
「おい、影になって見えねーだろ」
「ちょっとずらせ、ほら、コンビニの明かりが……おい、お前立つなよ! 全部影になるだろーが!」
ラセットが文字を追う視線と、後ろから覗き込むゴロツキの三白眼が同じように動く。
「あー、ちょっと遠いッスね」
「どこ?」
「もみじまんじゅうがある所だろ?」
ざわざわと背後で話し合う声を聞きながら、ラセットは口の端を吊り上げ、冷や汗を流した。
「マジか……」
つい先筋まで、10年間霊としてい続けたあの場所に、こんな遠くまで来てとんぼ返りする事になろうとは、夢にも思っていなかった。
自分が死んだ場所に対する複雑な思いなど全くなく、一番困るのは石竹霙の存在だ。
まるで警察犬のようにラセットの居場所を嗅ぎ当て、何度奇襲にあったことか。
その度魂を抜き取られそうになったが、命からがら何とかここまで追い払うことができた。
この落ち着いた安住の地から、一番近づきたくない場所にまた行けというのか。
仕事の内容よりも、霙の存在が恐ろしい。
「……まず、お前たちに言っておくことがある」
「何スか兄貴!」
「……あの町の女には手を出すなよ。ちょっかいだすな。余計なもめごとを起こすな」
「えー!?」
「黒髪の巨乳美女に声をかけるのはありですか!?」
一人が教壇に立つ教師に向かって質問するように、手をあげてそう叫ぶとラセットは慌てたように叫び返した。
「馬鹿野郎! 一番恐ろしい所に手を出してんじゃねぇ! 声をかけるのは子供や老人! 犬と猫も許す!」
「とんだ好青年じゃないッスか!」
「ゴロツキの名が廃る!」
ブーブーとブーイングが出るが、ラセットは腕を組み、力強く首を横に振った。
「いいか、俺達は目立っちゃならねぇんだよ。お前ら、もっとこう、学生感っつーか、一般人の雰囲気出せねぇのか?」
そう言って睥睨する。ああ、無理だと言った瞬間ラセットは思った。
ヤンキー座りをする連中は、全員がまず顔つきが普通ではない。毎日喧嘩、馬鹿騒ぎ、目つきも仕草も全てが雑だ。
「俺達ほとんど学校行ってねーもん」
「片手間にグレてる奴らと一緒にされたくねーな」
「俺達は真剣に道を外れてんだ。中途半端な不良とは違う」
年齢から言えば、高校生から大学生までいるのだが、その町の学生として紛れ込むには、やはり無理だ。まず気持ちから学生ではないのだから。
「お前たちがポリシーを持っているのは分かった。でも、向こうには学生不良が多いんだぜ? 大丈夫か?」
「んー、でも学生って言ってもな……髭生えてるし」
「ああ、髭生えてるし」
「オッサン顔多いしな」
「髭があるからなー」
とヤンキー座りをしたゴロツキが、問題の髭をジョリジョリと撫でながら無い頭を捻っている。
「剃るって選択肢はねぇのかよ……」
ラセットが問題を全て解決する案を口にした瞬間、一人が柏手を打って立ち上がった。
「そうだ! 学生って縛られてるから駄目なんだ! 大人だ! スーツを着りゃいいんだ! 髭もカモフラージュできるし、安全だ!」
「成程それだ! 灯台下暗しって奴だな!」
「ちょっと待て! それよりも、俺達ラーメン屋の店長感出てねぇ!?」
「ハッ!」
 天命を受けたように口に手を当てて衝撃を受けるゴロツキ。
 隣のゴロツキを指差し、明日への明るい道が開けたかのような表情で叫ぶゴロツキ。
「お前なんてまさに店長だもんな! 頭に白タオル巻いたら本物だぜ!」
「よし、全員頭に白いタオル巻いて、黒Tに前掛けで行こう!」
 絶望から希望へ、まるでミュージカルの舞台のように一人が叫ぶと、全員が息を合わせたように叫んだ。
「全員湯きり忘れんじゃねーぞ!」
「「「おぉ!!!」」」
成功が目の前にぶら下がっているかのようなはしゃぎように、ラセットは力なく笑った。
「あぁ、そうだな……まずは、向こうで店、用意しとくか……店ねぇと店長になれねぇもんな……」
 皮肉を言ってみたが、ゴロツキたちは満面の笑みで親指を立てて跳ね返した。
「あー、別にそれは問題ねーッスよ! 湯きりあるんで!」
「湯きりがないと、ラーメン屋の店長って分かんねーもんな」
「ああ、湯きりがないとただの変質者になっちまう」
「俺、予備の湯きりもってねーけど大丈夫かな……」
「俺ん家二つあるから貸してやるよ!」
「おぉ! 悪いな!」
あれよあれよと、全員ラーメン屋の店長の格好と湯きりについて花を咲かせている。
コンビニの煌々とした明かりがスポットライトのようにゴロツキたちを照らす。店員は明らかに異様な光景を見るようにこちらを見ている。ラセットはもう突っ込むのをやめた。
額に手をあてて空を仰ぎ見る。だがそこにはただ月があるだけで、光明とは言えなかった。












20161017



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