第五十四話





石竹霙は生まれながらに霊感を持っていた。母が霊感が人よりも強かったが、霙はそれと比較できない程にすさまじい力を持っていた。
霊が見える母とは違い、霙は霊を感じたり、触れたり、意思疎通ができる。薄らぼんやりとしか見えない母と違い、霙は実際にそこに存在しているかのようにはっきりと見ることができる。
二つ年下の妹、小雪も霙程ではなかったが、霊感を持っていた。
小雪は愛嬌もあり、物事を深く、難しく考えない性格だった。
姉の霙はその逆で、慎重で疑り深く、繊細だった。自分の能力を一から十まで全て理解できないと恐ろしく、自分の手のひらに収まっていないと不安で仕方がなかった。
小学校に上がるまで、霙は自分の力に怯えていた。
長年、霊感を持っていた母だが、霙よりも遥かに劣る。大した苦ではなかったようで、霙の恐怖心をあまり理解してくれなかった。
見本にする相手が誰もいない霙は、自ら処女地を一歩一歩踏み込んでいく。
もし、小雪が姉だったならば、霙よりも軽やかな足取りで足跡を残してくれていただろう。だが、姉は霙だ。一番最初に、霊感を持った人間がどうなるかの見本となる
小学校も中学校も、最初に毒見するのは霙の役目だった。
小学生になり、入学式の後、見知らぬ人が多い教室の中、ふよふよとゴミのように幽霊が漂っているのが見えた。
「あれ、誰だろう」
近所の人に、散歩している犬の名前を尋ねるような気軽さで、霙は隣の仲よくなりかけていた女の子に尋ねた。ニコニコと愛想よく、霙も緊張が解けて緩んだ時だった。
「なあに?」
「あれ、誰だろう?」
もう一度霙が言って、わかりやすいように天上を指差した。丁度電球の近くにいるのが見えにくく、そこにいる幽霊は、この学校に何の未練があるのだろうと疑問に思った。
「『誰』じゃないよ? あれは人じゃないから『何』っていうんだよ」
「でも、あそこにいるのに……」
「何が?」
「幽霊が」
「幽霊? いるの?」
目を丸くした彼女が、じっと天井を見上げる。輝く電球しか見えないが、ずっと見えるまで見続けるようで、ずっと眺めていた。
二人が天上を見上げているので、他の子も同じように天井を見た。それを見たクラスメイト達に伝染していくように、だんだんと天上を見上げるようになった。
先生が入ってきた時、クラス全員が黙って天上を見ているという異様な光景が広がっており、新しいクラスに意気込んでいた先生は思わずビクッと驚いた。
その頃は、霊が見えると聞いて皆驚き、感心した。そう言った出来事はただのイベントで、珍しいゲームを持っている子と大して変わらない扱いだった。
だが、年齢を重ねていくにつれ、その視線がどんどん違うものになっていくのを、霙は感じていた。
カメレオンが色を変えていくように、世間の色に染まっていく。純粋だった瞳はどんどん濁り、その濁り越しに霙を見る。電球が切れたように、霙に向ける視線に光はなくなっていた。
中学生になると、それがさらに顕著になった。新たな人間の投入は、霙の異質さを浮き彫りにした。
自ら霊感の事を話題にしなくなった霙は、大人しく過ごしていた。だが、同じ小学生からきた生徒の話題の種となり、いつの間にか広がっていった。
最初は新しいクラスに馴染むための話題でしかなかった。当初は霙がいない場で話していたのだが、徐々に繋がりが出来上がり、クラスの中での立場を確立すると、霙の背後でこそこそと話すようになった。次第に声は大きくなり、集団の強みを見せつけながら霙の事を面白おかしく話していた。
霙は何も言わなかった。ただ大人しくしていた。その姿が彼女たちに火をつけた。
そんな横暴な姿が野放しにされているのならと、別のグループも当たり前のように霙に矛先を向けた。
霊感があると嘘を言う変な女の子のレッテルを貼られた霙は、クラスの中でぽつんと孤立した。
霙は決して最初から諦めていたわけではなく、新しい場所に自分が慣れた後で動こうとしていた。だが、周りの方がほんの少し、その一歩目が早かった。友達を作る前に、自分の事を話す前に、他人の色眼鏡越しの自分が広まってしまった。
そんな教室の中で、霙は自分の気配を消す道しかなかった。
黙っていればこれ以上の事は起きない。
「なあ、石竹さんは何がいいと思う?」
そう思っていたある日、学園祭の出し物を決める時、クラスの人気者の男子が、普通に霙に話しかけてきた。
教壇に立った仕切り役の彼は、チョーク片手に霙を見て笑っていた。
まさか話しかけられるとは思っていなかった霙は、ハッと我に返った。空気と化して、周りをなるべく見ないようにしていた霙は、その時初めて、その明朗快活な男の子の頭上に、霊がいる事に気が付いた。
ただいるだけではなく、その男の子に取り憑いている事に気が付いた。
「…………」
「お化け屋敷と喫茶店に二分してるけど、どっちがいいと思う? それとも、他のがいいとか?」
「……き、喫茶店が、いいと思います……」
霊を刺激しない様に、お化け屋敷よりも安全な喫茶店を選ぶと、黒板の正の字に霙の横棒が刻まれた。
「よし、これで全員が投票を終えたなー」
何も引っかかることなく言葉を続ける彼に、霙は霊から視線を落とし、軽やかに進行する彼を見た。いきなり火の中に手を突っ込んでも熱さが分からなかったように、後からじわじわと、その事実が焼き付けられる。
――私の意見を求めた……。
不思議な感覚だった。この空間において、霙の存在は霊よりも薄いものだ。胸がふわふわと軽くなったように感じた。
その違和感はクラスメイトに波紋を広げた。優しい人気者は霙にも優しい、それだけの事なのだが、霙はその男の子、塩田君をよく見るようになった。それに気が付いたのは女子たちだった。霙は、塩田に憑りついた霊を観察していた。
霙が一点を凝視するのは、霊がいるからだと小学生からの子は知っていた。実際どうなのかしらないが、霙がよく集中すると一点だけしか見ない事は知っていた。霙は塩田を見つめていた。
燃え尽きかけていた火に、また燃料を投入するように、霙の悪い噂の炎は燃え上がった。
あの時、当然のように霙に意見を求めてくれた彼に対する恩返しがしたいと霙は思っていた。
――この力も、嫌な噂があるのも、私が使い方を分かってなかったからなんだ
――人助けの為に使うべきなんだわ……
ただ漠然と力を知らせるのではなく、自分だけにしか分からなくとも、奉仕の心を持って力を使えば、きっとうまくいくのだろう。
憎悪ではなく喜びから力を扱えば、きっといい流れに乗る事が出来る。自分の事を好きになれるかもしれない。
そう思い、霙は塩田に近づき、彼に取り憑いている霊に話しかけた。何とか彼から離れるように説得する。
どうやら、霊は彼の事がお気に入りのようで、クラスメイトと同じくその優しさに惹かれているらしい。
だが、普通の人間に取り憑けば、たとえ悪意が無いとしても、疲労感を感じるものだ。
説得では無理だったので、今度は祓おうと試みた。塩田に霊の事を話して、理解してもらう必要がある。
一対一で話したいと、塩田に声を掛けようとしたとき、触るなと手をはらい落とすように女子生徒数名が霙を呼び出した。
校舎裏に霙が連れていかれ、クラスの代表者だと言わんばかりに腕を組んで霙を見る彼女たちに、霙は怯えた。
背後には冷たい壁しかなく、霙は一人だけだった。
「石竹さんって、霊感があるんだって?」
にこっ、と笑い、仲良さげな声音で話しかけたのだろうが、滲み出る敵意と嫌悪感が霙を更に怯ませた。
「う、うん」
「それって、空気は読めないものなの?」
「ねぇ、最近の塩田君を見て気が付かないの? 普通に話してるけど、ちょっと困ってる空気出してるよね? もう、石竹さんってば、全然気が付かないんだもん」
「塩田も言いにくいだろうから、私たちが言っておこうと思って」
目に見えて、素行の悪い生徒なら霙も思うところがあったのだが、見た目もよく、勉強も出来て、あまり噂話もしない女子チームだった為、その釘を受け入れた。
霊に取り憑かれて疲れていると思ったのだが、新しい生活の疲労が来ているだけだったのかもしれない。
霙が素直に頷くと、彼女たちは笑った。友好的で、会話が通じたことに喜んでいるようだった。霙はその笑顔を見て、この判断は間違っていないのだと思った。
「ありがとう。塩田君、頑張ってるもんね」
「うん、分からなくて、言ってくれてありがとう」
「ううん、気にしないで! 分かってくれて嬉しい」
校舎裏の湿った空気、黴臭い臭いの中で、一瞬だけ花開く花火のようにあっけない、女子同士の糸が繋がり、すぐにぶつんと切れた。
それから一週間、霙はずっと塩田を監視し続けた。
やはり、気苦労だけでは説明できない状態にあった。霊が、どんどん色濃くなっていった。
薄らぼんやりとした存在だったのに、萎れた花に水をやったかのように、どんどん蘇っていく。
その反対に塩田はどんどん疲労を見せていく。土壌からエネルギーを吸収しているのだ。
このまま放置するのはまずいと判断した霙は、皆の前で接触するのは、彼女たちに負い目を感じ、下駄箱に手紙を入れておいた。
『突然のお手紙申し訳ありません。塩田君の事で少しお話があります。五分ほどで終わりますので、校舎裏に来てはいただけないでしょうか。お待ちしております    石竹 霙』
待っていると、来たのは彼女たちだった。どうやら手紙を入れている所を目撃されたらしく、塩田に思いは届かなかったようだ。
「どうしてやめてくれないの?」
一言、そう尋ねられて霙は黙った。相手は霙の答えを、霙は答えを探すための沈黙が広がった。ポケットに入っている塩を、手のひらで押さえつけた。
「……一度だけ、話たい事があるの」
それ以降はもう必要以上に迷惑を書けないと言いたかったが、彼女たちは訝しんだ。
「嫌だよ、なんでそんな事するの? こんな所じゃなくてもいいじゃん。クラスの中でとかさ」
「それは、ちょっと……」
「人に聞かれたら困る話なの? ……ふぅん」
明らかに、全員が目の色を変えた。夜の森から覗く、肉食獣のような目だ。霙に突き刺さる数が多すぎて、汗が額から流れ落ちる。
「……はっきり、塩田君に説明した後に、塩田君が決めるような事で……彼にとっても大切な事なの……」
「もういい。石竹さんには話が通じないんだね」
ふい、と顔を背けられた。呆れたような声音と仕草をする彼女は、決して塩田の母でも、霙の母でもない。何も止める権利などない。
だが、見えぬ威圧を放つ彼女に、霙は一歩後ろへ下がった。一体何が彼女を突き動かしているのか、霙には分からなかった。
「そんな事、ないと思う……」
「どうして? じゃあ、私達の気持ちもわかるよね?」
「……塩田君の気持ちの問題じゃなくて……?」
「塩田君よりも、私達じゃないの?」
「……塩田君の問題だから、多分、皆には関係ない、」
バシン、と、乾いた音が湿った校舎裏に響き渡った。一体どうして叩かれたのか意味が分からず、じんじんと熱い頬をそっと押さえて、呆然と彼女を見た。
叩いたことに驚いていたのは、叩いた彼女の方だった。周りの子も驚いていた。そして、一番早く我に返ったのは叩いた彼女だった。
噴火前の火山のように、熱く、だが冷静な声で言った。
「ごめんなさい。謝る。でも、石竹さん、何も分かってないじゃん」
何を分かっていないのだろう。それすらも分からない状態で、霙は逃げるように立ち去っていく彼女たちを見送ったまま、その場で暫く立ち尽くした。
それでも答えを出すことができなかった霙は、教室に戻った。塩田はクラスメイト達と話していて、その中に、先ほど話していた女の子もいた。叩いた彼女が霙を横目でちらりと見た。
その視線に流されるまま、そそくさと自分の席に着くと、塩田が額に手を当てて溜息を吐いた。
「あれ、どうしたの?」
「あぁ、悪い……なんか、最近寝不足なのかわかんねーけど、よく疲れると言うか……理由がまったく思いつかないんだけど……なんか変な感じだ」
「そうなんだー。まあ、塩田君人気者だから、人疲れって事もあるんじゃない?」
「いや、そんな事ないと思うけど……」
「皆平等にって頑張っちゃってるんだよ、」
居心地の悪さを感じながらも霙は、他人に疲労を伝える塩田を心配した。
彼の性格を考えると、こういったネガティブな事は言わない。相当疲れているのだろう。
どれだけ人間関係を見つめ直しても、睡眠時間を長くしても、よい食事をしても、その疲労感は取れない。
――悪化してるのなら、早くどうにかしておかないと……
生き生きとしている霊は、塩田の周りをとびまわり、すりすりと抱き付いている。徐々に輪郭がはっきりとして、同じ学校の制服と長い黒い髪、片方脱げた靴を見ると、事故で死んだのだろうと予想が付く。ほぼ同学年の女子生徒に付きまとわれているという現状だけなら、微笑ましいが、彼女は死んで、塩田の生気を吸い取っている。
霙はその日、下校する塩田に直接話をしようと決めた。猪突猛進に行動すればうまくいくだろう。下校時刻、校舎から背中を丸めて出て行く塩田を追いかけ、声をかけようとした瞬間だった。
ガシッと腕を掴まれ引っ張られた。
――なんでわかるの……?
まるで霊感があるように、まるで千里眼でもあるかのように、野生の嗅覚を持って塩田に接近する霙を引き留める彼女は一体何なのか。
「いい加減にして! なんで塩田君に近づこうとするの!? 聞いてなかったの!? 貴方のせいで疲れてるの! やめてよ!」
「何度も言わせないでよ石竹さん」
「もういいでしょ? 放っておいてあげてよ。元気ないの、見て分かるでしょ?」
矢継早にまくし立てられ、もう言葉が出てこないだろうと思い、霙は口を開いた。
「多分、塩田君が疲れてるのは、私のせいじゃないと思う……」
「はぁー……あのね……」
呆れたように大きなため息を吐き、困ったように肩を竦める彼女たちがまだ口火を切ろうとしたので、霙も諦めたように本当の事を話した。
「しばらく前から、塩田君に霊が憑りついてる。だから、除霊しようと思って……」
バシンッ、と、本日二度目の衝撃が走った。
だが、今度は叩く意思を持って叩かれた。最初より痛く、刺々しいものだった。
彼女は敵意を持って霙を見据えた。涙が浮かび、ぽろぽろと零しながら叫んだ。
「信じられない……! まだそんな事言ってるの!? 馬鹿じゃないの!? 霊が憑りついてるなんてよくもそんな……! 元々嫌だったのよ! こんな子と一緒のクラス! 馬鹿みたいな事言って、空気も読めないし……! こんな子、仲良くなんてできないよ! 塩田君も皆平等にって言ってたのに……こんな変な子のせいであんなに疲れるなんて、可哀想……!」
最後は泣き崩れる彼女の肩を仲間が支える。
「私達も、まさかって思ってたけど……本当にそんな事言うんだね……」
「もうやめときなよ、石竹さん。皆が損するだけだって、そんなの」
それぞれ思い思いに霙に言葉を投げかける。小石のような言葉は、こつん、と霙にぶつかって羽落ちた。真実を話しても誰も認めず、霙を非難する。
塩田を救おうと意気込んでいた肩の力がガスが漏れるように抜けて行く。
どれだけ誠意を持っても、善意を持っていても、彼女たちの悪意には勝てない。霙は全て諦めた。
「……分かりました。もう、これから塩田君には話しかけません。関わり合おうとも思いません。これでいいですか?」
「は? 何それ……私達を悪者にしようとしてるの?」
もう一発叩きそうな女子生徒を仲間が肩を掴んで止めた。
「やめなよ、暴力なんてよくないよ。石竹さんも分かってくれたみたいだし、ここは大人になろう?」
ね? と、優しく言うと彼女は手を下ろした。まだ何か言いたげな目を霙に向けていたが、霙はもう無気力だった。魂が抜けたように目は死んだ。やる気をなくした身体は、だらりと垂れている。
それから塩田に近づくことはなくなった。それから塩田はどんどん疲労を濃くしていった。
霙が静かな岩のようにただ過ごしていると、塩田の体調はどんどん悪くなる。誰の目から見ても、何かに生気を吸い取られていると噂になった。
「ほら、だからさ、石竹さん、塩田君の事好きだったんだって。でも振られたから、呪ったんじゃないのって」
「ああ、霊感あるとか言ってたんだっけ? あれ本当なの?」
「家で藁人形とか持って、釘打ってたりしてー」
「オカルト女って怖いよねぇ。人間と話せないから霊と会話してんのかな? あははっ!」
動いていても止まっていても、静かにしていても息を殺しても何も変わらない。一体どうればよかったのか。
帰り道、霙は泣いた。家に帰るまでには涙は止まり、顔には泣いた後が見えない程度に収まった。
家族は霙の学校での生活について、あまり触れることはなかった。何をどうしても霙の生活で関係なのだし、親が出て行くと余計にこじれてしまうと思ったのだろう。霙もそう思っていた。だが、それでもやるせなさを感じるのも確かだ。
「ねーちゃん、泣いた?」
玄関に入る前に、庭でサッカーボールを壁相手に蹴っていた小雪が振り返って尋ねた。
膝には走って転んだ怪我が残っている。半ズボンとTシャツ姿で遊ぶ姿は、男の子のようだった。
怪我を負っている小雪は、いつも学校が楽しくて仕方がないと言う。
男の子も女の子もどちらも関係なく遊んでいる。ずきずきと、もう赤くもない頬が痛んだ。
「ううん、泣いてないよ」
「ふうん、そっか!」
快活にそう言って、また壁にボールを蹴り始めた。
「……なんで、そう思ったの?」
「んー? 幽霊さんが、なんか泣いてたように見えたから」
後ろを振り返ると、霙に付きまとう霊が大量に浮かんでいた。いつも無視していたので分からなかったが、霙の周りを心配そうな動きで漂っている。
霙が学校で生活する中で分かったことは、生身の人間相手ではうまくいかないが、霊相手だとうまくいくらしいという事。
どうやら、石竹霙には霊に対してカリスマ性のようなものがあるらしく、どんな霊でも、恨みを持っていようが悲しみを孕んでいようが、後悔に苛まれていようが、どんな場所や物に執着を見せ、動けない霊を霙の傍に侍らす事ができるようだった。
「……そんなのいらなかったのに」
どうせなら、同級生と仲良くなれる才能が欲しかった。無いものは無いと割り切れない。自室で膝を抱え、大量に浮遊する霊を無視して、霙は膝に顔を埋めた。

塩田の霊は三年間つき続け、彼はどんどん衰弱していったが、霙はそれを見ても何とも思わなかった。もう何も考えたくなかった。
卒業式、体調の悪い塩田を、霙を叩いたあの女子生徒が呼び出していた。叩かれてもいない頬は紅潮して、照れたように斜め下を見つめていた。
手首を掴まれ、校舎裏に連行されるのを成すがままにされている塩田は、げっそりと痩せ、足取りもおぼつかない。成績優秀スポーツ万能の男は、このままいくと死ぬだろう。
霙はその様子を見ていた。そして、やっと気が付いた。
――ああ、恋なのね
皮肉にも、それに気が付いたのはあの女子生徒の表情ではなく、塩田に憑りついた、もはや人の形をした霊の表情からだった。
三年間、塩田から生気を吸った女の霊は、塩田といる事で生き生きとしていた。生き返ったようなその姿は、隣にそっと寄り添う恋人のようなものだった。それに反してげっそりとしている塩田と、どちらが霊なのか分からなかった。
だから、霊が塩田を告白に引っ張って連れていくときの、あの憎悪の視線を見てやっと気が付いたのだ。自分の物に手を出すなと威圧する。その威圧を受けるのは、告白する女子生徒ではなく、とり憑かれた塩田自身で、足取りは更に重たくなっている。
卒業証書を持った霙は、遠くからその光景を見ていた。
手を引っ張られる塩田が、ふとこちらを見た。まるで助けを求めるような目だったが、霙はすぐに視線をそらして学校を後にした。
高校ではもう二度と霊について言わないと決心して、霙は燐灰高校に入学した。
同じ中学校の生徒ももちろんいたが、他県の学校に進学する生徒が多く、半数は地元に残らなかった。もう半数は針入高校に多数行き、残った少人数は燐灰高校に入学した。
――あまり家から離れたくないし……
本来なら、霙も遠くの学校に行きたかったが、小雪がどうなるのか心配していたというのもあった。
霙等存在が、この町の霊を束ねていると言ってもいい。霙が町から消えた後、霊感のある妹に全ての荷物が雪崩れのように降りかかるのは恐ろしかった。
霊に対してうまく立ち回れる霙と、人間とうまく立ち回れる小雪。姉妹としてバランスが取れていると思った。そして、理不尽だとも思った。
燐灰高校の入学式を終えた後、今度はスタートを早くして、友達を作ろうと意気込んでいた霙に、一人の女の子が霙の前の席に座って話しかけてきた。
「どこから来たの?」
「……燐灰中から」
「そうなの。私、山吹エリカ。とってもかわいいね、友達になろうよ!」
ニコッと見せた笑顔に、霙は怯んだ。こんな好意的な笑顔を見るのは久しぶりだったからだ。
「うん、なろう……なりたい……」
怯んでいたし、怯えた。だが、それ以上に喜びがあった。身体の中心がキュッと締められ、感動の余韻が身体を痺れさせた。初めて、友達が出来た。













20150510



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