第五十話





よもや警察を呼ぼうなどという発言が出る事は無いだろうとは分かっていたが、それにしても異質な沈黙であった。あまりにも人間らしさというものが欠落しすぎていると、珊瑚は危惧していた。
全員思ったことが、まず、どう報告するか、だ。誰が、どうやって、角の立たない言葉を作るのか。原稿用紙に仰々しく万年筆で認めれば、それなりにお咎めは柔らかなものになるかもしれない。
そして、誰かが頭の悪い発言をするのを待っていた。あまりにも悲惨である。このまま、沈黙が明けた後、晴れやかな空ではなく、どんよりとした暗雲だったらと思うと、人間らしく元気になれないからだ。
孔雀はちらりと若芽を見た。一番年下だが、一番空気の読めない奴だ。
珊瑚はちらりと孔雀を見た、この中で一番プライドが高い人間だ。
若芽はちらりと珊瑚を見た。
「これ、どうします? モップとか持ってきた方がいいッスかね?」
「いや、それより……」
「……ゴホンッ、あー…………どうする?」
誰も『警察を呼ぶべきか』『救急車だ!』『犯人は何処だ!』という陳腐な言葉を出さなかった。三人とも冷静に、仲間の死を、面倒なお片付けとして思っているようで、全員が肩を落とした。
「はぁ……本当に、こんなにショックを受けないって言うのも、おかしな話だわ……」
「口を慎め道重ぇ。仮にも同僚だぞぉ?」
「孔雀さんも慎めてないッスよ。じゃあ俺が代表して、謹んでご冥福を……」
パン、パン、と拍手して神妙に頭を下げる若芽の頭を、珊瑚がパンッと叩いた。
「痛っ! ちょ、何するんスか!」
「叩いちゃ駄目よ、手を合わせるだけでいいの。神社で手を叩いてお参りするのは、神様を呼ぶ行為。赤丹君を成仏させたいなら、呼び戻しちゃ駄目でしょう」
「へー、じゃあ俺ご冥福とか言っておきながら後ろ髪思い切りガンッ、って引っ張ったようなもの? あはは!」
「しかも祓う意味もなかったかぁ?」
「あちゃー」
「とか言いながら全然反省してないわねアンタ」
額を叩く若芽に、珊瑚が腕を組み、目を眇めて言った。
孔雀は軽く天上を見上げた。白く、明るい天上に目を細めると、瞼の黒子がぐりぐりと子供のような大きな瞳のように姿を現した。
「桔流、惜しい奴を亡くした……」
「いや、本当にね。一番亡くしちゃいけない人を亡くしてしまったわよ。桔流君以外ならなんとかなるけど、どうしようもないわよこの状況。誰が木村君に言うの?」
「孔雀さん、それ悲しんでるのか喜んでるのかわかんねー顔ッスね」
裸の出血多量死の桔流赤丹の死体の周りには、血の池が出来ていた。殆ど池だった。絵具を溶かした水をばらまいているのかと思ったが、この鉄臭さ、死体の臭いは本物だ。
三人がそれぞれ別の場所から赤丹の死体を前に、ああでもないこうでもないと議論している間に、珊瑚は足元にある、血の足跡を見て悩んでいた。
明らかに血を染みこませた靴の跡。桔流殺しの犯人のものだろう。
だが、この地下にいる人間は限られている。しかも、この跡はスニーカー。
珊瑚はハイヒール、孔雀は革靴、若芽はサンダル、光と透の靴かもしれないが、今捕まえている。
そして、その靴が向かっている先は、さくらのいる部屋の方角だった。
若芽と孔雀を置いて、珊瑚はさくらの部屋に向かった。
鍵があるのだ、開いて赤丹を殺す力もある。
冷や汗を流しながら、そっと中を覗き込んだ。ペロペロと飴を舐めている。おいしそうに、幸せそうに。
「…………まさかね……」
鍵を開けて中に入って、さくらと話をしようと思ったが、やめた。
先ほどの一縷の望みに捕まらなかったその溝は、どんな会話も意味が無いように思える。
さくらは無邪気だが、こちらに心を開いているわけではない。
それが分かっている珊瑚は、その場を後にした。
そのドア一枚分に真犯人が、ドアに背を預けて珊瑚が立ち去るのをジッと耐えて座っている事も気づかずに。



「た、助かった……ありがと……」
「ううん、平気ー」
「ところで、君は誰?」
我が部屋だと言わんばかりに、当たり前のように部屋にいて、飴まで舐めているさくらに対して、真赭は首を傾げ、笑顔で尋ねた。
「松平さくらです! 小学四年生です!」
「そっかー、所でなんでこんな所にいるの? 入院?」
「入院じゃないよ。お母さんがここにいろって言ったから」
「それは入院なんじゃ……ハッ!」
そういえば、先ほどのゾンビは普通の人間の姿をしていた。血色もよく、服を着ればまったく普通の男の姿だった。
目の前の普通の小学四年生の女の子も、もしかするとゾンビかもしれない。
「……つ、つかぬ事をお伺いいたしますが、貴方様は人間様でございましょうか?」
「? 人間だよ?」
「ほ、本当に……? アタシをゾンビにしたりしない?」
「しないよ?」
「そっか、なら万事OK! 友好を築こう!」
四つん這いになってさくらに近づき、手を差し出した。さくらは素直に手を握り返した。
「シェイクハーンド」
「あはははっ」
ケタケタと笑うさくらに真赭も笑った。どうやら本当に人間のようだ。手を握りしめても違和感を感じないし、首などに継ぎ目はない。
「それで、さくらちゃんはなんでここにいるの?」
「んー、お母さんがここにいなさいって言ってたから……なんだけど、本当は嘘だって言われちゃったんだ」
「んん?」
「でも、やっぱりお母さんはそう言ってるような気がするから、ここにいる!」
「……んー、なるほど……所で、ここって見た目メルヘンというか、子供部屋風にしてあるけど、ベッドも何もないみたいだけど、出入りできるの?」
「うん」
「そっか、それならよかったー」
ほっと胸を撫で下ろした真赭に、さくらは先ほど使った鍵を指で摘まんで見せた。
「さっき、この鍵を落としていったから、ドアを開けることができるようになったの」
「ラッキーガール! そしておバカガール! なんだ、つまりやっぱり当然のように捕まってるってわけじゃん! 危ない、騙されるところだった!」
大仰にリアクションする真赭は、額の汗を袖で拭った。とどのつまり、この子は掴まっている。お母さんが言っていたという常套句で誘拐されているのだ。
先ほどのゾンビがいるような場所だ。おそらくこの子も実験なりなんなりに使われてしまう。
真赭は指をボキボキと鳴らした。
「さくらちゃん、アタシと一緒にここでよう。ここは危ない場所だから、出来るだけ破壊して出よう。そして家に戻った方がいい」
「でも……」
もじもじとするさくらの腕を掴んだ。ぐいっと引き寄せ、ドアへ近づく。
「お母さんに会いたくないの!? ここにいたら、一生会えないかもしれないよ! そして地球が危ないかもしれない……!」
「……出た方がいい?」
さくらの素朴な疑問に、真赭は全力で頷いた。
「もちろん! だってここ、ゾンビがいるんだよ! マジヤベーよ!」
「分かった、なら出ることにするっ!」
「うん! それでよし! ……さて、さくらちゃん、もしかしたら私達の結託で外にはゾンビが大量発生しているかもしれないかもしれないから、もしもの時の為にもしかしたら必要になるかもしれない武器とかなんとか持っていた方がいいかもしれないのかもしれない」
「うん! 全然分からないからこのままでいくね!」
「そうだね、そのままが一番いいね!」
「お姉ちゃんでないの?」
「フッ……旅立つときには心の準備が必要なのよ……いや、本当、出たらゾンビだらけだったらどうしよう……全裸男だらけだったらどうしよう……」
想像するだけで恐怖だ。
それが服を着た屈強な男なら、殴り飛ばすだけだが、全裸の男なんて何もできない。悲鳴も上げることができないだろう。
ガタガタとドアノブを握る手が震える。その手を見つめて、真赭はニヒルに笑った。
「フッ……武者震いね……」
「お姉ちゃんどうしたの? 踊り始めるの?」



だらだらと汗を流しながら、暫くドアノブを握りしめたまま硬直している間、ドアの外では珊瑚、孔雀、若芽が死体を囲んでああでもないこうでもないと議論を繰り広げていた。
「だから、警察はまずい! 死体隠蔽は構わんが……とにかく木村に連絡を……!」
「さあ、つくかしらね……まあ、とりあえず報告ね。ホウレンソウ大事」
「さすがに人一人死んでるのにほうれん草の事を言うのはどうかしてると思うッス! そりゃ、鉄分たっぷりで必要なのかもしれないけど、もう無理だから! 死んでるから!」
「貴方の思考回路が死んでいる事が分かったわ。とにかく皆、落ち着きましょう。やるべきことはあるんだから。孔雀君は上に出て木村君に連絡、私と若芽君は死体掃除をしましょう」
「だな」
「えぇー、嫌ッスよ、掃除なんてしたくなーい」
「箒の柄で殴られる前にバケツと雑巾持ってきなさい」
「はぁーい」
孔雀が携帯電話を取り出し、珊瑚が死体の傍でしゃがみ、若芽が後頭部に手を当てながら、掃除道具が入れてあるロッカーの方角へくるりと踵を返した時、若芽の向かう先の曲がり角から赤丹が顔を覗かせた。
「あれ? 皆そんな所で何をして……」
「ギャアアアアア! ゾ、ゾンビだァァァ!!」
















20150418



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