第四十七話





「つまり、どういう事?」
数十分前、珊瑚は孔雀の説明的な説明に、困ったように困惑した顔をした。
ぐらぐらと頭が揺れるのは、理解できる情報の許容量がオーバーしたからでも、情報処理が追いついていないからではない。その説明の中にあるニュアンスが、すでに珊瑚自身に警告を表していた。
孔雀はニタリ、と、口端を吊り上げて自慢げに一言で表した。
「つまりだぁ、人工的にカーニバルを作る!」
得意げに資料を二人に手渡したが、珊瑚は溜息を吐いて、拒絶するようにファイルを机に投げ出した。
「それ、何の意味があるの?」
「意味? 意味ってなんだぁ」
「概念から説明しないと駄目なの? しょうがない黒子野郎ね」
「マジっすか孔雀さん、意味くらい知ってますよ。頭悪いんで頭の悪い人に説明はできないッスけど」
「そういう事じゃねぇ! お前な、こういう事に意味を求めても仕方がねぇだろ。ロマンっつっとけばまとまるかぁ? まあ、俺はビジネスとして挑戦するわけだが」
「あのね、ここの施設の存在理由分かってる? カーニバル撲滅の為にあるのよ?」
誰もがそう責任者である木村からそう説明されていた。
ブルーローズ遺伝子、通称カーニバル遺伝子。
カーニバルとは、人間を好んで食す人間の総称である。
人間を狩るために必要な力を補うのが、ローズ遺伝子である。
二つの遺伝子はそれぞれ独立しているが、大抵のカーニバルはローズ遺伝子を持っている。人間を捕食するには、普通以上の力が必要だからだ。
だが、人間を食べない普通の人間にもローズ遺伝子はある、珊瑚もその一人だ。
人間の敵、人間を食べる人間、カーニバルを消す。そのために、奴らの弱点などを知りたい、という趣旨の組織だ。だが、孔雀は馬鹿にしたように笑った。珊瑚はムッとして続けた。
「私たちが見つけるべきは、カーニバルの弱点、嫌がる事、破滅の道。それを何がどうしたらそうなるのよ。なんで貴方が生みの母になるのよ」
「そりゃ、建て前的にはなぁ。カーニバルを撲滅なんて正義もいいところだが、俺は上層部はそのカーニバルだと思ってるぜぇ」
「何を根拠に」
「勘だな。じゃなきゃ、こんな地下に俺達を追いやらねぇだろ。それに、表立って行動できにくい人間を集めてるのもおかしいしな。そりゃ全員思ってることだろうがなぁ」
 珊瑚はそれを聞いて隣の若芽を見た。人一人殺してお尋ね者だが、未だ捕まる気配はない。
「あのー、それで孔雀さんはカーニバル量産してどうするんスか? カーニバル相撲でもさせる気ッスか? カブトムシやクワガタみたいに戦わせるんスか? 面白そうだから混ぜてほしいんスけど」
「誰がするかんな事!! 不毛だと思う事の中に意味は隠れてるもんだぁ。ローズ遺伝子を後天的に取り込むことができるなら、カーニバル遺伝子もしかり、だろう? 研究して損はない」
「……それで、どうする気?」
珊瑚が質問すると、孔雀は簡潔に答えた。
「あの娘を使う。カーニバル遺伝子もクール便で注文した。今日中に届くはずだぁ」
「マジッスか! え、そんなもんクール便でいいの?」
「もちろん、アマゾンでポチったぜぇ……」
「アマゾンすげぇ!」
昼休憩に教室の後ろで騒ぐ男子高校生のように笑いあう二人に反して、珊瑚の心臓は嫌な鳴り方をしていた。
無邪気に信じているさくらと、無邪気に父を慕っていたアリサを思い出す。一体いつから、なんて、野暮な事は聞けない。どうする事も出来ない。さくらのいる部屋のドアの前で立ち尽くすくらいしかできない。
さくらは眠っている。母のいう事を守って眠っている。嫌な顔一つせず、涙一つ流さずにいる。
そんな子供をカーニバルにするなんて、と、個人的感情がドロドロと噴きこぼれそうになる。
ふ、と、そんな己の根底に小さく笑い、ヒールを鳴らしてさくらの部屋の前を後にする。髪をかき上げながら、頭を悩ませる。
そう、例えば、動物園から逃げた動物がここに逃げ込んできて、波のようにさくらを連れ去っていくとか。
たとえば地下から温泉が湧きだして、そのまま全員地上へ押し上げてしまうとか。
「……メルヘンだわ、私って。若々しいわね」
ふっ、と額に手を当てて、瑞々しい感性に自己陶酔する中、そんな馬鹿みたいな事も起きるわけもなく、地下はしんとただただ静かに沈黙している。
その沈黙の中で助言もなく、珊瑚は暫く逡巡した後、瞼を上げて前を見据えた。



さくらの閉じ込められている部屋のドアは両面シリンダーになっており、鍵が無いと入れないし出られない。
その鍵を持っているのは、子供を持っている珊瑚と、雑用係の若芽、そして研究員室に一つ予備の鍵がある。珊瑚は先ほど孔雀の話を聞いた後、予備の鍵をこっそりポケットに忍ばせていた。
その時はただ感情のまま、さくらを逃がしてやろうと思っていたが、廊下を歩いていると頭が冷え、冷静にその鍵と向き合う事が出来た。
珊瑚は元々持っていた自分の鍵でドアを開けた。中にはさくらがすやすやと眠っている姿が見えた。
ドアが開き、カツン、と、ハイヒールの音がすると、さくらはぴくっ、と瞼を震わした後、目を覚ました。
「……おはようございます……?」
時間間隔のないさくらが、首を傾げながら挨拶をした。
珊瑚はにこやかに答える事なく、さくらをただただジッと見据えた。
観察するようなその視線に、さくらはまたこてん、と首を傾げた後、ニコッと笑った。だが、珊瑚は笑い返すことはなかった。
さくらの元へ近寄って、顎を掴んで左右に動かした。されるがままとなったさくらだったが、困惑したような顔をして珊瑚を見た。
「? ?」
その瞳も無邪気で無防備で、珊瑚はその脆い少女に爪を立てるのを躊躇した。
「何か不便はない?」
「ううん」
ふるふると、ツインテールを揺らす。
「本当に?」
「うん」
「お母さんに会いたくないの?」
「会いたいけど、でもここにいなさいって言うなら、ここにいる!」
元気よく叫ぶさくらに、珊瑚は目尻を下げた。さくらの頭をゆっくりと撫でた。娘を思い出した。彼女はこんなに自分の事を思ってくれていたことがあったのだろうか。娘の母への信頼は、眩しすぎて目が痛む。
「ごめんね、それ嘘なの」
「え?」
優しい声音で言い聞かせるように言うと、さくらは少し驚いたように目を瞠った。だが、それも心底驚いたものではなかった。予想していたテレビ番組が中止されたようなあっさりしたものだった。
珊瑚はそれにもまた違和感を覚えた。だが、さくらが悲しそうな顔をして、その感覚も消えた。
「本当はお母さんは迎えに来ないの。ここには来てくれないの。ずっと家で待っているの」
さくらはじっとその言葉を聞いた。珊瑚は暫く言葉を選んだが、無駄な言葉ばかりだった。一番刺さる言葉を選び使った。
「ここに居てもお母さんと会えないよ」
決定打だった。さくらは眉根を顰めた。珊瑚は立ち上がり、その場を後にした。しっかりと鍵をかけて立ち去った。
ヒールの音が聞こえなくなった頃、さくらは部屋の中に鍵が落ちている事に気が付いた。珊瑚がわざと置き去りにした逃げる術だった。
さくらはゆっくりと鍵穴に差し込み回した。当然のように開いたドア。さくらは顔を覗かせ、そろりとあたりを見渡した。
珊瑚の姿は見えなかった。もうすでに行ってしまったのだろう。さくらは暫くそこから顔を出したまま動かなかった。



珊瑚は少し遠くからさくらが出て来るのを待っていた。
さくらがちゃんと出口に向かうか見届けようとしていた。相手に気づかれない手引きをするつもりでいた。壁に背を預けてさくらが出て来るのを待っていた。
だが、いくら待ってもさくらは出てこなかった。
好奇心旺盛な双眸が、キョロキョロと不安げにあたりを見渡すと信じていた珊瑚は待ちぼうけを食らっていた。
珊瑚は首を傾げた。ゆっくりと足音を立てずに部屋に戻り、ドアについている窓から中を伺った。
そこには、さくらが横たわっていた。何事もなかったかのように、いつも通り眠っていた。
珊瑚が落とした鍵が、まるで最初から気づいていない様に、触ってもいない様に、鍵を開いたこともドアノブに触ったこともなかったかのように、元の場所に置かれていた。



針入町のある一軒家から一人の男が出てきた。
革靴を履きなおし、思わずため息を漏らしていた。天気で言えばくもりだ。晴れのようにすっきりとしていないが、雨のようにどんよりと落ち込むほどではなかった。
簡単に終わるはずの仕事が、まさかの暗雲。
木朽は松平の表札を見た。少し汚れていた。
故郷に戻ってきたというのに、あまりいい歓迎を受けていない気がする。最初の仕事も、自分の流儀に反するもので、電話で簡単に断りを入れた後、次の仕事に向けて歩き出したというのに、無駄足になってしまったようだ。
スーツ姿の木朽は少しつまらなそうに頭を掻いた後、何処ともなく歩き出した。
――落ち着くために、コンビニでも寄って珈琲でも買うか。
「まさか行方不明だとは……何がどうなってるんだ、まったく」
話を聞く限り、家出をするような関係ではないらしい。しっかり手綱を掴んでいたはずなのに。木朽もこれは少女の気まぐれな行動ではなく、他の人間の悪意がさくらを攫って行ったものだと考える。
「無事だといいんだが……」
行方不明からまだ一日二日、大した時間は経っていない。
一つ目の仕事から下りた事もあり、早々に報告するのは気が引けた。とりあえず捜索し、それでも見つからなければ連絡をしようと決めた。
傷一つでもついていたらどうなるか。木朽は何処から探し出そうか迷った挙句、とりあえず懐かしい場所を眺めつつ、木朽はさくらの行方を追う事にした。













20150406



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