第四十四話





「ワシは元々人間やった。ヤグザの人間で、ある日交通事故にあったんや……」
「ねえ、それ今聞かなくちゃいけないの?」
「いや、なんかお嬢ちゃん行ってしまいそうやから……」
「別にあの世に行くわけじゃないしいいんじゃない? さよならだけが人生よ」
「ちょ、ちょちょっ! ワシも連れてって! ワシも出して!」
「そんな犬の姿でいいの?」
「魂剥き出しで逃げる事になるかもしれんからな、家はボロくてもないよりましやろ」
ガチャン、と、あっさり檻を壊した光に連れられ、一人と一匹はこっそりと扉を開けようとしたが、案の定こちらも鍵がかかっていた。
「あかーん! 鍵が無いと……!」
「…………人が来るわ。足音の振動を感じる」
扉に耳をつけた光が静かに言った。煩いコチニールも声と息を顰め、足音すら聞こえない扉の向こうの気配を伺った。
そしてガチャン、と鍵が外れる音がした後、扉がギィ、と開いた。
片手にはコンビニ弁当が引っさげられており、その中にはドッグフードとのり弁が入っていた。
若芽繁が光とコチニールの為に食べ物を用意して運んできた。
「仲良くやってるかー?」
へらへらと笑う顔が一瞬透を見間違えたが、光はすぐに影からぬっ、と手を伸ばし、若芽の首を締め上げた。
「…………!!」
ばんばん! と、タップするが気絶するまでやめることはなかった。完全に落ちた若芽の身ぐるみを剥いで、鍵や服を着替える。
「何か、コイツ似てるわね……」
まるで透が眠っているような顔で気絶している。丁度良かったと、胸元からずるり、と、変装用のカツラを取り出した。
白衣を身にまとい、鬘を被れば若芽に見えない事もない。
「マジック!?」
「さ、行くわよ」
コチニールと共に外に出て、しっかり鍵で錠をかける。白い地下の廊下、まずは左か右か二人で迷い、最終的に左に行った。
曲がり角に来るたびに顔を少しだけ出して前を見た。コチニールは後ろをジッと観察しているが、耳をぴくぴくと動かして、小さな声で光に言った。
「やっぱ、おるで、話し声が僅かに聞こえる」
「近い?」
「いや……どうやろう……案外狭いからな、気を付けて行けば……」
こそりとどんどん前へ進んでいくと、長い道に出た。道路で言えば、今まで裏路地を通っていたようなものらしい、照明の明るさと、横幅が少しだけ大きい。
よく見れば、光や小雪が通った道に繋がった壁がある場所だと気が付いた。
――もしかして開くかも
左右を見渡して確かめようとした時、その場所に透が俯せで倒れているのが見えた。左右の確認などすぐに忘れて、光は透のもとへ駆け寄った。
「ちょっ」
コチニールが慌てたように言ったが光は透の背中を叩いた。
「透! 透!」
反応がない。頭から血が出ている様子はないし、気絶しているだけのようだ。息もしている、心臓も動いている事を確認し、ゆっくりと透を背負い立ち上がった。
コチニールはしっかり左右を確認し光の下へかけよった。顔を垂れている透を見上げて、驚愕した。
「えっ! この兄ちゃんあんときの……ほぉ、ホォォ!?」
「煩い」
「あー、なるほど、なるほどなぁ……よう見れば似とるわぁ……」
「それで、出口ってどこ?」
背負い直しながら、以前脱走した時の事を尋ねた。一度ここから逃げ出したという事は、必ず出口があり、それを知っているはずだ。
「ああ、うん、なんや、机がいっぱいある部屋の奥にあるんや、多分ここの職員の部屋……」
「それどっち?」
「うーん……」
くんくんと鼻を鳴らしていると、一方から二人の足音が聞こえてきた。
「あっ」
「どうしたぁ?」
ひょっこりと白衣を纏った、明らかにこの場所に居座っている人間らしい二人組が現れた。光はこの二人が透を気絶させたのかと思うと、とりあえず一発殴ってやろうかと思ったが、一歩後ろへ下がった。
一目見て、明らかに強そうではなかった。軽くいなせば吹き飛ぶ弱々しさを感じた。
「大丈夫か? 二人やで」
「とりあえず、逃げるが勝ち!」
透を背負ったまま戦えるが、それではらちが明かない。二人が来た反対側に走り出した光たちを、赤丹と孔雀はただ呆然と見送った。
「……え? あれ、若芽君? ……いや、にしては背が小さい……」
「……どういう事だぁ……」
「もしかして、ローズ持ちの子? あー、どこかで見たと思ったら、若芽君に似てたんだ……」
運動神経のない二人は諦めた。ローズ持ちの疑いのある人間を追いかけるなんてリスクが高い。仲間に連絡しようともここは電波が届かない。
「やべー、あっち出口じゃん……しかもあの犬、出口知ってますよね。一度脱走してるし……」
「い、いや、この時間なら道重が研究員室でマニキュア塗ったり雑誌読んだりしてる……はずだぁ……多分……!」
「でも特売とかあったら行っちゃうんじゃ……」
「……そう言えば、朝ジャムが安いとか言ってたなぁ……」
鼻歌交じりに安物を漁る珊瑚の姿を想像し、空っぽの研究員室を想像して二人はおそるおそる歩き出した。がら空きの出口は自由に繋がっている。この先どうなるのか、木村がなんというだろうか。
そこまで想像するのは恐ろしく、二人はいつの間にか走り出していた。



「そこ右や!」
言われた通り曲がると、そこには開きっぱなしのドアがあった。簡素なドアで、コンクリートの分厚い壁とは違って、閉じられていても蹴り破れそうな薄いドアだった。
そこに目がけて走り出していると、その真向いのドアノブがガチャガチャと動いているのが見えた。
中に誰かいるらしい。光は思わず足を止めた。
他に誰かいるのか、敵か、同じように監禁されているのか。
だとしても、透がいる以上助けていられない。歩き出そうとすると、聞きなれた声が聞こえた。
「出して! ここからだしてー!」
小雪の声だった。
「ドアから離れて!」
「えっ、光ちゃん!? 光ちゃーん!」
「離れてないと怪我するわよ」
瞬間、歓喜する小雪の声を遮るドアを蹴り破った。部屋の中は会議室らしく、大きな机と大量の椅子が並んでいた。ドアは反対側の壁に激突し、くの字型になって落ちた。
両手をあげて横に避けていた小雪は、光を見て涙を流して抱き付いた。
「うわーん! どうなったかと思ったよ! このまま猫と一緒にいるのかと……!」
「猫?」
眉を顰めて中を見ると、太った三毛猫が机の上で丸まっていた。光の騒ぎにも動じず、ふてぶてしくこちらを見た後、欠伸をして身体を丸めて眠り始めた。
まさかコチニールのように話し始めるかと身構えたが、ただの太った猫のようだ。
光は小雪の手を引いて走り出す。すでにコチニールは研究員室の中に入り、書類棚の横にある、これまた簡素なドアの前で尻尾を振っていた。
「ここやここ! はよ開けてー! 来てー!」
「分かってるわよ!」
小雪を引っ張り、ドアを開けると、大きな段が一段あり、すぐ右に上へ登る階段があった。
ドアを開けっ放しにし、すぐに右を向くと、階段の向こう側に光があった。
だが、すぐにそれは閉じられた。ガチャン、と音がしたと思ったら、電気がパッとついた。
階段の一番上に、出口のドアを背に立っているのは、ポケットに手を入れ、特売ジャムの入ったビニールをぶら下げ戻って来た、研究室の戦闘員である道重珊瑚だった。
地下研究室からの入り口は閉じると出られない様に、出口も出たら外からは出られない様になっている。
一々病院内から入るのは面倒だし嫌だ。何より特売ジャムを買って戻るなんて不自然極まりないと、珊瑚は出る時、出口にほんの少し隙間を開けて出ていた。
褒められた行為ではないのだが、今この時は珊瑚が出口から入ってきたことは僥倖であった。
出口を閉めた珊瑚は、明るくなった階段の一番下に、見慣れぬ人間がいる事に眉を顰めた。
しかも三人、一人は気絶して担がれている。
「……石竹霙の妹? なんで?」
先日見た小雪の姿を捕らえて、珊瑚は思わずぽつりと漏らす。何故見慣れぬ女の子と一緒に出口に繋がる階段にいるのか。霙がどうにかすると言っていたはずなのに。
これはよろしくない展開だと、ポケットから手を出してビニール袋を持ち直した。
「戻って、まだ話は終わってないでしょう?」
「……何、あの子供は」
ぴっ、と、小雪に戻るように居丈高に言い放つ珊瑚を見上げて呟いた。
道重珊瑚は金髪の髪の毛、赤く塗られた唇、タイトなミニスカートと、人を殺せそうな高いハイヒール。
何とも大人びたものを身に着けているが、その体躯はまさに子供。小学生と見間違う程の幼さだった。
階段の一番上にいてもその小ささは誤魔化せず、光は少し面喰ってしまったのだ。
「そこの子供、私は子供じゃない。立派なお姉さんよ。アンタよりも遥かに人生長いんだから」
「それは自慢する事と違うんやないの……」
「黙りなさい犬!」
「ワシは犬ちゃうし! おい! ワシの身体どこにやったんや! さっさと返さんかい!」
「さあ、私わっかんなあい」
「都合のええ時だけ子供のふりするのやめろ! 知っとるで! ホンマは三十路のおばはんやって!」
「ええええ!?」
「驚きの年齢!」
「分かった。そのよく動く口、今すぐ潰してあげる」
タンッ、と、一番上から飛び上がった。狭い通路で空中に身を投じた珊瑚に、光はニヤリと笑った。狙いが定まった相手程、落としやすいものは無い。透を担いでいても倒せると、こちらも身構えると、身体がギチッと、固定するように締め付けられる感覚がした。
「!?」
目に見えない腕で抑え込まれているかのようなこの感じは、以前にも感じた。
横を見てみると、研究員室のドアの前でこちらに手を掲げる霙の姿があった。
「恨みはないけど、ごめんなさい」
足掻く光を更に締め上げる霙だが、光の狙いは抜け出す事ではなかった。
肩に担いだ透が、このままでは巻き添えを食らうと、身をよじってずるずると前へ落とした。
「お嬢ちゃん!」
ゴチン、と、地面に頭がぶつかった音がしたが、すぐに珊瑚の踵落としが光の頭に叩きつけられた音にかき消された。
「足応え有り」
頭蓋骨に罅が入ったであろう威力を叩きこむことができ、珊瑚はくるくると回転し、見事に着地した。
「光ちゃん!」
 がくり、と頭が垂れた光が
「別に、手助けは必要なかったわよ」
「まあ、もしもという事もありますから」
慌てて光に駆け寄る小雪を、珊瑚が足で制した。
「駄目よ、すぐに戻りなさい。さもなくば、ここでこの子の頭、真っ二つにするわよ」
カンッ、カンッと、威嚇するようにヒールを地面に叩きつけ、小雪を一歩二歩、後ろへ下がらせた。
霙は力を解いて小雪の傍に寄って肩を抱いて引き寄せた。
「お母さんに電話しておいたから、ゆっくりできるわよ、小雪」
「お姉ちゃん……」
「その犬もリードつけといてよね、桔流君」
「あ、ばれました?」
ドアの傍からぬっと出てきた赤丹と孔雀は、巻き添えを食らわない様にこっそりと見ていたらしく、へらへらと笑いながら出てきた。
「いやー、逃げられるかと思いましたよ」
「本当、危なかったわ。でも仕方がないわね。特売だもの。あっ、そうそう、明日はトイレットペーパーが安いのよ。一人一つだから、誰か一緒に行ってくれない?」
「こんな時に行けるわけないだろうがぁ!」
「こんな時だからこそ行かなくちゃ!」
爛々とした様子で安く手に入ったジャムを見せびらかす珊瑚に、孔雀は眉根を寄せ見下ろした。
赤丹はへらへらと小雪に笑いかけている。そんな赤丹に小雪は怯え、寄り添うべき姉にも恐怖していた。
コチニールは隅で小さく丸まっていた。自分の気配を殺し、出来れば逃げる機会が無いか伺っていたが、どうやらそううまくはいってくれないらしい。
「ほーら、こっちおいでー」
「いやや、アカン、そんな恐ろしい所行けるわけないやん?」
「とは言っても、大人しく来ないとこっちも珊瑚さんが黙ってないよ?」
「えっ、犬くらい捕まえてよ。私は人間専門よ」
困ったように赤丹に言うが、聞いていない様にコチニールに向かって手を差し伸べていた。
「ほーら、この子ももう戦えないし、何の手立ても……」
傍に転がっている光をちらりと見ると、光の手がぴくりと動いた。
「あ、ヤバ、珊瑚さー」
バッ、と立ち上がったが、すぐに光の手が赤丹の足首を掴みひきずり倒した。
「嘘でしょ、なんで動けるの!?」
赤丹の襟首を掴み、マウントを取った光の額からぼたぼたと血が流れ落ちていた。
「タイムタイム! 待って、そのままじゃ君も危ない!」
だが、光は何も聞いていなかった。そのまま腕を振り上げ赤丹を殴ろうとしたが、珊瑚の回し蹴りが腕に直撃し、弾かれた。
「っ―――!」
そのまま透の上に倒れた光が、墓から蘇ったゾンビのように髪を乱しながら珊瑚を睨み付けた。
その鼻先に珊瑚の爪先が突きつけられていた。
「いいの? そのまま彼ごと殺すけど」
冷静な言葉に光の動きは止まった。ぴたりと、見事なほどの停止に全員が固まった。
起き上がり、袖で光の血を拭いながら赤丹が笑った。
「ヒュウ! さっすが珊瑚さーん!」
赤丹がそう言うと、光は目の色を変えて珊瑚の足を掴み、地面に叩きつけた。
背中から叩きつけられた珊瑚は更に壁にも叩きつけられた。
「うぐっ!」
べしゃっ、とうつぶせに地面に落ちると、背中を足裏で押さえつけられてしまった。
そのまま珊瑚の横顔を狙って蹴りを入れようとする姿を見て、珊瑚は目を見開いた。
――これは、まずい!
全身に力を入れたが逃げられる余裕はなかった。だが、すぐに動きは止まった。
先ほどのように思考によってすべての動きが止まったのとは違い、別の力が働いて止まっていた。
霙が光の身体を締め上げていた。力を使い、光の身体を拘束し、宙に吊り上げた。
「や、やめてよ、お姉ちゃん……」
「小雪は黙っていて。何も言わず、しないで」
片手で小雪の目を塞ぎながら、光を締め上げる。
「かはっ……」
身体を這いあがり、光の首を締め上げる。暫くすると気を失ったので、今度は慎重に意識を失ったのを確認して透の傍に下ろした。
珊瑚が四つん這いになりながら立ち上がりかけている所に、霙がにこりともせず尋ねた。
「手助け、必要なかったですか?」
珊瑚はやられた、とでも言いたげな顔から、引き攣った笑みを浮かべて言った。
「いいえ! どうも! ありがとう!」










20150122



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