第三十六話





「あっ! アイツだぜ番長! 燐灰の新橋だ!」
「マジかよ、あんな子供が?」
「ああ、藤黄の野郎が『俺に喧嘩売るならアイツに売ってからにしろ』って言ってたぜ!」
「電車乗り継いで態々来たかいがあったな。おい! 面かせや燐灰の一年坊主! テメェを踏み台に瑪瑙の名前を広めてやる!」
また今日も燐灰町へやってきた瑪瑙高校の不良たちは、犬と少年と少女しかいない河川敷を包囲するように降りて来る。
「お兄ちゃんのお友達?」
その大人数に怯むことなくさくらが透を見上げて尋ねるが、透は首を横に振るだけだ。
「違う違う。友達なら、もっと大人しいのがいいよ」
緩やかに流れる浅瀬の川を見ながら、もし捕まりそうになったら泳いででも逃げようと、透は現実逃避しながらゆっくりと頷いた。
不良の中の一人が悟ったような透を見て、この人数でもビビッていないと少し怯んだ。
ちらり、と傍にいる犬とさくらを見て、さくらに狙いをつけた。
「ようよう、こんな子供と遊ぶくらいなら俺たちと遊ぼうぜ?」
「あ、ちょっ」
ぐりぐりとさくらの頭を撫でる目つきの悪い坊主頭の不良に、さくらはなすがままされている。
「わー、いいこいいこだー」
ぐりぐりと頭が取れそうなほど動かされながらも笑顔でいるさくらに、不良がしゃがみ込んでニタニタと笑いかける。
「なあ、君もあの兄ちゃんに言ってやってくれよ、俺達と遊べよって」
「そうだよー! お兄ちゃん友達に誘われたら遊ばなくちゃ!」
「いや、今日は母さんの手伝いしなくちゃいけないから」
「それは帰らなくちゃだめだね! 絶対の命令! ごめんね! やっぱり遊べない!」
 バッと不良に向き合ってぺこりと頭を下げるさくらに、不良の眉が吊り上がる。
「おいおいおいおい! そんな理由で帰せると思ってんのか!? 帰すわけねぇだろ!」
思わずさくらに威嚇するように叫ぶが、唾を飛ばされてもさくらはびくともせず、にこにこと笑っている。
「でも、お母さんは怖いでしょ?」
「そりゃあお袋は怖ぇよ! 晩御飯抜きとか信じられない事をしてくるけどよぉ! それより俺達の方が怖いだろ!」
「え? なんで? お兄さんたちご飯作るの?」
「んの……!」
不良がイラつく様にさくらを歯噛みして見下ろしている。その肩に竹清が手を置いた。
「まあ待て。おい、新橋透。ちょっと面貸してくれればいいんだ。夕飯には帰してやるから」
喧嘩でボコボコにした死体を川に投げ捨てる気軽さで、家の前まで丁寧に送ってくれそうだが、透は囲まれた現状を滝のような汗を流しながら打破する方法を考えていた。
指をポキポキと鳴らし、バッドを見せつけ、じりじりと近づいてくる不良の円の中心に立たされた。
「おい、どないすんねん。ワシも囲まれとるやんけ」
「コチニールって、その、口からビームとか出せない……?」
「はぁ!? できるわけないやろ! そんなアホな事できたらそれだけで生きていけるわボケ!」
雑草を簡単に焼き払うように、この不良たちを一掃できないかと思ったが予想通り無理なようだ。子犬が歯を剥き出し、唾を飛ばしおっさんのしゃがれた声で叫ぶ姿に、不良たちは怯んだ。
「な、なんだその犬は……!」
「今ものすげーガラの悪そうなおっさんの声がした……」
「頭悪そうな声だったぜ……」
「なんやとコラ悪ガキ共噛み殺したろかアァン!?」
白くふわふわとした愛玩動物が、まさか酒瓶片手に腹巻でもしてそうな関西弁のおじさんの声を放っているなど想像もしていないため、足元に気が付かない。
「クソ、もうなんでもいい! この町に瑪瑙高校の名前を刻み付けてやる! 行くぞテメェ等!」
竹清が指を向け叫ぶと、一斉に不良が透へ飛びかかった。
「ヒィィイイイ!!」
「こ、コイツら動物愛護団体を敵に回した! なんて命知らずなガキ共や! 気に入った! 舎弟にしてやる!」
「お気に入りに登録してどうするの! グフッ!」
おもわずコチニールにツッコミを入れていると頬を思い切り殴られた。そのまま背後の川へ背中から落ち、不良たちは行動を止めた。
ばしゃーん! と、水しぶきが上がる中、さくらが飴を舐めながら歓声を上げた。
「わぁあー」
間抜けな声を発しながら、ぺろぺろと飴を舐める。不良たちが透が上がってくるのを待っているが、透は浅瀬でも構わず、泳いで逃げようと決意していた為、そのまま川を渡って向こう岸まで行く気でいた。
だが、さくらの歓声を聞いて動けずにいた。
――こ、ここで見捨てたら藤黄先輩に殺される……!
「オラァ! ビビってんじゃねーぞ!」
大量の不良たちの顔の奥に、燐灰の校舎を背負う藤黄の顔が浮かぶ。簡単に屋上から飛び降りることのできる男ならば、簡単に人を屋上から突き落とすことも厭わなそうだ。
せいぜい目の前の不良は川に突き落とすくらいしかしてこない。そう思えば、戦えない相手じゃない。
「何遊んどんねん! かわいらしーチワワが猫みたいに掴まっとるで! 世紀末や!」
じたばたと噛みついた不良に捕まって、短い四肢を振り回す犬にせかされるように、透は川からおそるおそる出た。
――エコーも使っても全く意味ないし……するなら大声で助け求めるくらいしかないか……
冷や汗を流しながらすう、と息を吸いこんだ瞬間、まるで友達がサッカーをしているのを見物しているようなナチュラルな態度をとっていたさくらに、見張りの不良が苛立ったようで、持っていた飴をバッと奪い去った。
「あっ」
大声の為の息は間抜けな声に変換され、透は胸倉を竹清に掴まれ頬を殴り飛ばされた。
「それ、さくらの飴!」
「なんつーふてぶてしい子供だ! 少しはビビれよ!」
「煙草でもしゃぶってるつもりか!?」
「返してー!」
「はんっ、やなこった! 子供らしく震えあがっとけ!」
「そんな……」
ガーンッ! と、頭上に文字を出したさくらがショックを受けたように二歩よろめく。その姿に満足した不良が、ニヤニヤと飴を持ったままさくらを見下ろす。
徐々に俯くさくらが、ぶつぶつと言葉を放つ。
「……飴、返してくれない……私の飴なのに……ドロボー……」
陽炎のようにツインテールが揺れる。不良はそのしおらしい子供らしい姿を見て満足する。だが、顔を上げたさくらの目には、飴を奪い取って満足している表情が見えた。そこに右拳を作り、顎を貫き上げた。
「ガゴッ!」
奥歯と奥歯がぶつかる音が聞こえた。近くにいた不良が、思い切り倒れる仲間を見て慌てて駆け寄った。
「私の飴なのにぃいい!!」
さくらの小さな拳や蹴りがどんどん急所に入って行く。
透がボロボロにされる人数が、ケバブのように削られていく。気が付けば殴り返す余力も残っていない頃にはさくらが河川敷に死屍累々と不良たちをノックダウンさせていた。
「なんだ、この子供は……」
透の右と左の鼻から血を滴らせた竹清が、一発で仰向けに倒れ、頭上で奪い取ろうとした飴が地面に落ちた事をこの世の終わりのような渋い顔をしているさくらを見上げた後、気を失った。
「ゲホッ……た、助かった……ありが……」
「アホかァ!! ド、アホかァ!」
「痛ってぇえええ! 痛い!」
「なんやお前こんな女の子に助けてもらって恥ずかしくないんか! つーかお嬢ちゃん化け物か! 不良が体操袋みたいにぽんぽん吹き飛んどったで!」
「うわあああん!! 飴が落ちたぁぁああ! 拾って食べたらお母さんに逆十字固め決められるううう!」
びえええんと泣き喚くさくらをよそに、腕に噛みつかれた透はコチニールを猫のように掴み上げ目を眇めて睨み付ける。
「まったく、何が動物愛護団体だよ。自分が犬だってさっきまで知らなかったくせに」
「人間、誰しも自分の事を完全に理解しているわけじゃない」
「人間じゃないじゃん!」
「ハッ! 確かに!」
ぶらぶらと揺れながら大きなチワワの瞳を見開くコチニールは、河川敷の上の方にスカートがはためく様子が見えた。
「ありゃ、こんな現場を女の子に見られてもーた……」
「そりゃこれだけ大人数でいれば見られるよ……って、あれは……」
じっ、とこちらを見たその人影は、紙を片手に飛び跳ねるように河川敷を降りて来る。短い髪が揺れていた。二年の石竹小雪だった。
「やっぱり新橋君だった! こんな所で何してるの?」
「えーっと、他校生に絡まれてました……」
「あはは! 本当新橋君は好きだね!」
「いや、別に好きで絡まれているわけじゃ……石竹先輩は一体何を?」
「うん、それがお姉ちゃんに頼まれて探し犬を……って、あーっ! いた!」
小雪は手に持ったA4サイズの紙とコチニールを何度も見比べて叫んだ。コチニールと透は一緒に首を傾げた。
にっこりと笑った小雪に透が尋ねる。
「え? もしかしてコチニールの飼い主なんですか?」
「ううん、私じゃないよ! 私のお姉ちゃんの大学の友達の犬なの! よかったー! 心配してたんだよ?」
「えっ、ワシ飼い犬やったん……?」
「わっ、すごい! 本当にしゃべってる! お姉ちゃんの言ってたとおりだ!」
しょぼんと目に見えてテンションと毛先が落ちたコチニールに、小雪は興奮したように口に手をあてて飛び跳ねる。
「凄い! オウムみたい!」
「犬やのに!?」
「あはは! しかも関西弁だー! 変だね! おもしろーい!」
「ちょ、君今関西弁の人間に喧嘩売ったで!」
「関西弁の犬には売ってないの?」
「犬にまで売る気かいな! 商魂たくましいお嬢ちゃんやで」
「でも、コチニールは覚えてないって言ってるんだけど……っていうか、人間だと思い込んでたみたいなんだけど」
「せやせや! いくら記憶が無いからって、ワシの人権を剥奪しても構わんわけちゃうし。ワシにはワシの意見があるんや! そう簡単に連れていかれてたまるかい!」
「そうなの? それは聞いてないけど……あっ、お姉ちゃん来た! お姉ちゃーん! わんちゃん見つけたよー!」
不良が横たわる河川敷から両手をぶんぶんと振って、ゆっくりとおどおどとした様子で降りて来るポニーテールの女性。小雪の姉の石竹霙は透もコチニールも目を瞠る程の美人だった。
「小雪ってば、足が速いわ……あっ、わっ……ふぅ……よかった、転ばなかった……あら、本当にいた。よかった! 無事だったのね!」
コチニールを見るとぱぁっ、と笑顔を見せ、透にぶら下がったままのコチニールを胸に抱く様に抱き付いた。押し上げられた胸のふくらみに、小さなコチニールは埋もれるように抱きしめられた。
透が戸惑いながら見ている事に気が付いた霙は、慌てて距離をとってコチニールを抱えたまま、ぺこりと頭を下げた。
「えっと、初めまして。私、小雪の姉の霙です。いつも妹がお世話になっております」
「し、新橋透です。いえいえこちらこそ、いつもお世話になっております……」
同じように頭を下げる透に、霙は小さく微笑みかける。
「この子を助けてくれたのね……本当にありがとう。友人の犬だから、彼もとても喜ぶわ……」
「大したことはしてませんけど……でも、コチニールが前の家の事をまったく覚えていないっていうんですけど……」
「あら、コチニール? そうなの?」
「もごもご」
胸に埋まったコチニールは、まんざらでもない様に動いている。霙が胸から離すと、鼻から血を流しながら透に親指を立てるように前足を上げる。
「この温かみでワシはオスやと気が付いたわ」
「男じゃなくて!?」
「生きとし生ける男なんて、皆オスやろ……小便臭い子供には分からんやろうけど……さ、姉ちゃんいこか。記憶さっぱりないけど、君がこのまま抱いて連れて行ってくれるならどこでも行くわ」
「そんな風任せな」
また霙の胸に身体を寄せたコチニールを見下ろして、霙はもう一度透に頭を下げた。
「ありがとうございます。それじゃあこのまま友達にコチニールを預けてきますね」
「あ、はい……じゃあねコチニール」
「んー」
投げやりに尻尾を振っただけで、コチニールは去って行った。河川敷には小雪とさくらと数多くの不良が残され、さっさと退散しようと、意気消沈しているさくらの手を引っ張って歩き出す。
「ほら、行くよ」
「でも……」
「後でかわりの飴買ってあげるから」
「本当!? わーい! やったー!」
両手をあげてくるくると回転しながら登っていくさくらを呆れたように見ていると、隣の小雪が笑みをこぼしていた。
「ふふ、かわいいね。あの子新橋君のお友達?」
「いや、藤黄さんの恋、……友達なんだ」
「藤黄さん……三年の人だっけ? そうなんだ。番長だからって言っても交友関係は意外とかわいいんだね」
「は、はは……それにしても、石竹先輩のお姉さん、凄い美人で驚きました」
「それ、お姉ちゃんに言ったら喜ぶよー! でしょ! とっても素敵な人なの! 隣町の透輝大学に通ってるんだけど、最近忙しいみたいであんまり家に帰ってこなかったの。だから今日は友達のわんちゃん探しで、飼い主さんには悪いけど、お姉ちゃんと一緒に歩けて楽しかった! えへへっ」
口に手をあてて子供の様に笑う小雪を見て、本当にうれしかったのだなと透も笑みをこぼした。
あんな姉がいるならば自慢もしたくなるだろう。透の周りにいる高飛車な女とは違って、腰が低く柔和で、裏表のなさそうな大人の女性。
「俺もあんなお姉さんが欲しかったです」
「えー、光ちゃんかわいいじゃない! それにいい子だし! 十分透君もキラキラだよ!」
「きらきらって……」
そのかわいい妹は学校で隣のクラスに転入してきた殺し屋の口を封じようと、血なまぐさい手段に講じている事だろう。
――俺に飛び火しなければいいけど……。
後で尻拭いをさせられることになるだろうが、今はあまり考えたくない。










20140523



Back/Top/Next