第三十一話





息を詰まらせ、接近してくる物体と呼吸に困惑していると、古代が透の脇腹に腕を回し、荷物を持つように抱え飛んだ。
「ぐぇっ」
呼吸が止まりながらも、自分たちがいた場所に三つの刃物が地面を削りながら飛んでいくのをぞっとしながら見下ろした。
――なんなんだよあれは!!
殆ど気絶しそうになりながら意識を保っていると、古代が透のチョーカーを外し、地面に着地した。
狭まった喉が開け、通気口のように簡単に風が吐き出て、吸い込まれる。呼吸という簡単な行為が透の命を繋いだ。
「げほっ! げほっ! ハッ、ハッ、しっ、死ぬかと……!」
『ヤバイ』
「へっ? げほっ!」
咽る透の涙で滲んだ視界に、歪んだ丸文字が三文字書かれていた。
それは涙のせいではなく、焦りのせいで文字が歪んでいた。手入れの行き届いた古代の筆先がまるでトカゲのしっぽのようにバタバタと揺れている。墨が飛び散りながらも必死に手を震わせてメモを書く古代の奥、三つの三角形が飛んできた方角に、地面に落ちた枝をぱきり、と踏みつけながら影が出てきた。
犬小屋で眠っていたタマが飛び起き、キャンキャンと小うるさく吠えていた。
「ふ、久しぶりだな古代紫。探すのに苦労した」
「え……古代さんの知り合い……?」
「俺の攻撃をかわすとは流石、俺を倒しただけの事はある」
涎を拭いながら小さく笑う少年を見た。見たところ同年代のようだが、その傍らに置かれているキャリーバッグから、授業に使う大きな三角定規のようなものに鋭利な歯をつけたような三枚の盤がひょっこりと顔を覗かせている。
先ほどの攻撃は少年によるものだったらしいと、透が理解する間に少年は更に続ける。
「俺がいない間、耄碌してぽっくり逝ってしまっていないかと心配していたが、どうやら無事で安心した」
優しげに目を細めてにっこりと微笑みかける姿に、透は眉間の皴をほぐした。
――あれ、もしかして古代さんの家族の人かな……?
だとすると弟子にしてもらっている自分としては挨拶をしなければ。孫だろうかと古代を見上げると無表情の中に焦りが見える。額から一筋、小さな汗が流れ落ちていた。
「古代さん?」
透が呼びかけると、少年がキャリーバッグを引きずりながらザッザッと距離を縮めて来る。
バッ、と、古代が手を掲げる。手のひらを相手に見せる姿は、制止を意味していた。
言わなくとも来るなという意思表示に、少年も透も固まった。
そして一人動く古代は、さらさらとメモにいつも通りの丸文字で文字を書いていく。
「フッ、相変わらずだな古代紫……アンタはいつもそうだ。毎度毎度、この俺が足を向けてるというのに贅沢なジジイだ」
透にメモを渡す。それはどうやら透に向けられた文面ではなく、ちらりと見上げ、視線だけで読み上げろと言われ、透はこくりと頷いた。
「こんなところまで来てもらって悪いが、是非帰ってほしい」
「ふん、それはできん。俺もただ散歩をしに来たわけじゃない」
また古代はさらさらと書いて透に渡した。
「僕も気まぐれで身を隠したわけじゃない。君の相手をするほど時間はない」
「成程、老い先短いと悟ったのか……なら余計に俺が必要だろう?」
叩きつけるように筆を走らせ、そのままの勢いで透に渡し、その勢いを声に乗せた。
「オブラートに包んでもダメなのか! 帰ってくれと言っているんだよ!」
「それはできない。なぜなら貴様は俺を弟子にしないといけない立場にある」
ぴっ、と自信満々に古代を指差す少年に、透は思わず反応した。
「えっ?」
「弟子よりも通訳を取るのか? 面倒だが俺が通訳になってやってもいいぞ、弟子として仕方のない事だからな……」
「弟子? この人も古代さんの弟子なんですか?」
ぶんぶんと捩じり切れるくらい首を左右に振る古代に透は一歩退いた。
「も? もとはなんだ。まるでそいつが弟子みたいな口ぶりだが」
古代はメモを書いて透に渡し、両肩をガッと掴んで少年の前に押し出した。
「そう、この子は僕の弟子だ。悪いが帰ってくれ」
メモを淡々と読み上げた透が視線を上げると、周りの空気を何度か下げた少年が小さく笑っていた。
「ふふ……おいおい、ジジイそろそろ老人ホームが必要なんじゃないのか? 俺以外に弟子がいるなんて、そんな馬鹿なことあるわけないだろう? この殺し屋エンブリオの師匠にならず、そんな通訳の師匠になるなんて、メリットが無い」
 さっ、と、カンペを出すようにメモを背後から出され透は機械のように読み上げた。
「殺し屋じゃない弟子を持てるというメリットがある」
「蛙の子は蛙だ。殺し屋のアンタには、殺し屋の弟子がお似合いだ」
「は!? 殺し屋!?」
 両肩に手を置いている強面の無表情の老人についたオプションに、思わず肩がこわばる。
 そんな透に馬鹿にしたように笑うエンブリオが顎に指をかけながら自慢げに言った。
「おいおい、師匠、弟子には何も言っていないのか? そんな信頼関係でそいつが強くなるとでも? 俺はアンタの事を知っているつもりだ、古代紫……いや、殺し屋ハッシュ。類まれなる声域と声量を駆使し、数多の人間を騙し、屠り、痛めつけてきた貴様が何故そんなひ弱そうな男に?」
さっとメモを取り出し透に渡す。まるでスピーカーだなと思いながらも透は読み上げる。
「僕はもう引退した身。殺し屋という職業にもう未練はないし、喉が潰れた以上何もできない。だから帰ってくれ。道楽として生きようと思ったんだ。帰ってほしいな。君が今出てきた森の奥に畑がある。帰ってください。それを耕し、作物を育てるように、一から透君も鍛えようと思っている。だから帰ってくれ、是非、帰れ」
「合間にそこまで挟まれると逆に帰りたくなくなるな……」
「お茶でも出そうか? せんべいあるんだ」
「うむ、もらおう」
「どっちも一緒じゃないか!」
「何故こんな所でそんな事をしているのか分かった、だが、今一度よく考えてみろ。そんな男よりもこの未来ある殺し屋、このエンブリオ……おそらくアンタ以上の名を轟かせる男の師匠という肩書はそれらを差し引いても魅力ある話だとは思わないか? 見ただろう、さっきの攻撃を。あの見事な攻撃……フフ、我ながら最強だと思う。だが、貴様は俺の攻撃を見切った挙句、この俺を倒した。屈辱だった……あの日以来弟子になると健気にも一時間おきに通い詰めたというのに、一体何が不満なんだ! 持っていったまんじゅうも、羊羹も食べず押し返しやがって!」
「そういうところが嫌なんだよ! 弟子なら師匠が現れるまで待ってた方がいいって! 待期晩成! ……あ、古代さん、この待期って字違いますよ」
『え、うわー、本当だ! 恥ずかしい!』
 無表情のまま恥じる古代に、苛々とするエンブリオにまた透はスピーカーとして言った。
「大体それだって眠り薬やら毒やら痺れ薬やら入っていたから押し返しただけ! 普通のお菓子ならありがたくいただくよ僕は! お菓子大好きだからね!」
「……ふっ、まあいい。とりあえず一番弟子はそこのもやしに譲るとして、さっさと俺を弟子にしろ」
「人の話聞いてた!?」
「帰ってやるから弟子にしろ」
「セールスマンでもそんな事言わないよ」
透が素でコメントすると、古代は居心地悪そうに透をぐいぐいと前に押す。
――お願い、アイツどうにかして。
「いや、いやいやいや!」
言葉もなく意思を汲み取った透が首を横に振って拒絶する。あんな攻撃をしてくる人間に、しかも話も碌すっぽ聞く耳を持っていない人間に何をどうしろというのだ。
意思疎通が簡単な家族で双子の妹にも手を焼いているというのに、あんなわけのわからない男をどうしろというのだ。
「大体何が嫌なんだ! このエンブリオというブランド力を持ってして、何故弟子にしようとしない!? 何が不満だというんだ! 言ってみるがいい!」
『そういう所が苦手なんだよ! もう、透君マジ助けて!』
「いやいやいやいや! 言葉が無理なら俺はもう何もできませんよ! 古代さん力づくで返したらどうですか! 勝ったんでしょ!?」
『無理無理無理無理! さらに強い所見せたらさらに押しが強くなるから! 押されるの嫌なんだよ僕ー!』
「さっきから俺の背中押してますけど!?」
『押すのはいいんだよ! バスの停車ボタン押すのも好きだしね!』
二人がごちゃごちゃと押し問答をしている間エンブリオはズゴゴゴ、と、キャリーバッグの中から平面の三角形の鋭利な刃物を取り出した。
「弟子にしないというのか……分かった、いいだろう。ならば今の弟子を葬り、その椅子を奪うだけだ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「覚悟しろ!」
透の悲痛な叫びも虚しく、古代に前へと固定された絶好の的となった透にまた三つの物が回転しながら低空飛行をして接近した。
エンブリオが軽く投げたそれらは、地面を抉りながら透に近づいてくる。
「さあ、真っ二つになれ! ついでに古代も殺してやる!」
「弟子になりたいんじゃないの!?」
「子供は親を殺して強くなると言うのが俺の持論だ。親というのは強き者の象徴だろう?」
「古代さーん!」
『だから嫌なんだよこの子は!』と、メモに書く前に刃をかわす。またもや透を小脇に抱えて避けた古代は道場の屋根に飛び移った。
『どうやら相変わらず三つだけみたいだね』
「これどうします? 家、削られちゃってますけど」
『いい機会だから透君、ウルトラエコー試してみようか!』
「エコーロケーションしてなんの意味が!?」
『攻撃が何処から来るのかって事だよ!』
「それ音で分かりますよね!?」
 地面を削る聞きなれない音はエコーを使わずともすぐにわかる。
『だからウルトラエコーでやるんだよ! どうせ聞こえるのは一緒なんだからさ! それに彼となら体格差もそんなにないでしょ?』
「体格差そんなに重要じゃないッス!」
「むっ、そんなところにいたのか! 降りて来い!」
また戻ってきた盤を屋根に投げつけられ、猫が掻き毟ったように三本の穿たれた線が迸る。
線二本の隙間に古代と透が縦一列になってかわしたが、屋根瓦が罅割れている足場で、透は悲鳴を上げた。
「あれですよ! あんな攻撃どこからくるとか分かっても全然意味ないですよ!」
『やらなきゃやられる! あんなダサい子に負けちゃだめだよ!』
「ならこれ投げましょう」
いい具合に持ちやすい瓦の残骸を拾い上げ、そのままエンブリオへ向かって投擲する。
不意を狙ったなら当たったかもしれないが、エンブリオはその瓦礫を軽くかわして、古代よりも透を強くにらんだ。
『いい感じに恨まれたね! グッジョブ!』
「ぬかったー!」
肩をぽんと叩かれ親指を立てる古代に、頭を抱えて膝をつく透。イメージ通りのスピードと威力が出ない己の身体が呪わしい。
古代や光ならば透の理想通り、相手の頭に激突させ目を回させる事は可能だっただろう。だが、この貧弱な身体ではそんな理想は砂の城のようにあっけなく透の目に入って明るい未来を見据える事すら許さない。
『彼は遠距離攻撃型、あの三つの盤を使って攻撃してくる。近距離戦はあんまり好きじゃないみたいで、あっけなく僕にやられてたから、透君も今みたいな遠くから卑怯な手を使えば勝てる相手だ! ガンバレ!』
「俺が百五十キロ投げれる肩を持っていればやろうと思えるんですけどね……」
『脱臼覚悟で行けば意外と投げれるんじゃない?』
「そんな適当な事言われても! 力の入れ方も知らないのに!」
屋根の上で騒ぐ二人を、下から見上げるエンブリオの表情はどんどん険しいものになっていく。
自分より高い所にいる、見下し、二人でなんてことないようにぎゃあぎゃあと子供のように騒いでいる。実際に騒いでいるのは透だけだが、それが更に苛立ちを加速させる。
「ふざけやがって……!」
キャリーバッグを荒々しく開ける。着替えや財布やシャンプーなど、日用品が地面に転がる。その中からぬっと折りたたまれた棒状の物を取り出し組み立てる。
長さは三メートルほどの物干し竿の太さのそれを掲げると、投げた盤がカーブを描いて先端へ向かう。
がちり、と、何かに嵌る音が鳴る。三角形の盤が先端を頂点としてぴたりと身を寄せ合う、角錐の形になった。
その先端を屋根に向け、手元のボタンを押す。
「ウルトラビーム!」
技名だろうか、堂々と叫んだどこかで聞いたことのある単語を放った後、棒の先端から弾丸のように打ち出され、瓦に埋め込まれた。よく見るとパチンコ玉を一回り大きくしたもので、爆発でもするのかと思っていた透はほっと胸を撫で下ろした。
「よかったー……いや、よくない! 危ねぇ! 瓦貫通してるし!」
『あれ? 前は屋根吹き飛ばすくらいの火薬入れてたのに、どうしたんだろう?』
「どっちにしても危ないッスよ! このまま籠城していても意味ないし……」
『そうだね!』
ぐっ、と親指を立てて古代は首にチョーカーをまたつけて透を突き落した。
「んなっ……!」
ぱくぱくと口パクだけで「ガンバレー」と、言っていた。背中から落下した透はすぐに起き上がり、先端を迷うことなく向けているエンブリオに背を向け、森の中へ逃げ込んだ。
「うぎゃあああああ!」
「あっ! こら待て貴様!」
木の幹に弾が撃ち込まれる。透は木々をぬって奥へ奥へと脱兎のごとく逃げ去り、木に紛れて見えなくなった。
エンブリオは暫くそれを見た後、暫く戻ってこないと分かり武器をキャリーバッグに収め、古代のもとへ跳躍した。
ヤンキー座りをして腰を下ろしている古代に人差し指を向ける。
「師匠を置いて弟子は逃げ出した。これで椅子は空いたな」
『弟子は師匠のボディーガードじゃないからね』
「そして師匠の期待に応えられない。これも弟子失格だな」
『それはどうかな? 君よりも弟子らしいよあの子は』
「はあ? どこがだよ」
『まず高校在籍、もしくは卒業資格がない人間は弟子にしないんだ』
「ぐっ……! さ、差別だ! 学歴で人間は計れんぞジジイ!」
『そして第二に、本名を名乗らない相手は信用できない。だから君は無理。他にも色々理由はあるけど無理だから』
「浅紫優二郎だ」
『第三に、』
「まだあるのか」
眉を顰めながらメモの続きを読むエンブリオは、その表情を硬くした。そしてゆっくりと起き上がって古代に背を向ける。
「……なるほど、貴様が一体何故殺し屋を降りたのか分かった気がする。喉の怪我もそのせいだな」
古代は答えずただエンブリオを横目で見やるだけで、その場に腰を下ろしていた。
「いいだろう、あの似非弟子を殺して証明してやる。俺の方が奴より強いと。その時は潔く俺を弟子にするんだな」
『いや、それとこれとは話は違う』
強さ=弟子にするというわけじゃないと、古代が静かに手を振って否定するが、エンブリオは見向きもせず屋根を飛び降りて森の中へ走って行った。
ぽつんと取り残された古代も屋根から降り、小屋の中で震えている犬のタマの頭を撫でる。
――本当に僕の話聞かないなーあの子。とりあえず畑荒らさないでほしいんだけど……あ。
声が漏れていたら大声で二人に注意できるのだが、潰れた喉ではそれもかなわない。エコーロケーションで二人の位置を確認する事も出来ない。
――そういえばイノシシ用のトラップしかけてるから気を付けないと……足潰れる事になっちゃうなー……どうせ戦ってたらそうなるか。
早いか遅いかの違いだとタマに向き合い額を親指で撫で上げると、森から爆発音が響き渡り木がバキバキと音を鳴らして倒れていた。
タマは揺らがない強面の老人を見上げながら、また小屋の中に戻って震えはじめた。











20140418



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