第二十九話





「……で、なんで俺までついて行くことに……」
「馬鹿野郎。ここでまた喧嘩売られた時に止める奴がいないと意味ねぇだろ」
「いやー、藤黄番長止められないですよ俺」
「馬鹿か、お前が喧嘩相手と喧嘩するに決まってんだろ」
「止めるって一秒くらいしか止められませんけど」
「ちょっとは粘れよ」
気が付けば隣を歩き、これから告白する今日会ったばかりの先輩の告白に立ち会わなければならなくなった透は、額を押さえて溜息を吐いた。
――告白云々に絡んで碌な経験無いからな、俺……。
小学校の時、光が好きな男の子にチョコレートを渡す際にいざござがあったことを、胃腸の痛みと共に思い出す。
――もしかして疫病神なんじゃ……ならいない方がこの人の為かもしれない……
胸中であれやこれやと言い訳を探していると、透は周りの景色が燐灰町ではなく針入町に来ていたことに気が付いた。
――あー、そういえば針入の番長と戦ったの見たんだっけ……
あの時くらいから、透の中で何かが蠢いていた。喉に当たる違和感を享受するくらいには影響を受けた。
同じ顔をした双子の妹が、決して自分では倒せないであろう巨漢の男を倒してしまう姿は、まるで美しい踊りを見ているかのようだった。
舞台の上のスポットライトで温められた光は、それが決められた流れのように勝利をおさめた。
気に喰わないし認めたくないし信じたくないが、透はかっこいいと思ってしまった。
――誰だって、あれくらい戦える力があるのは憧れるよな……
――なら、アイツは誰かに憧れたのか? もともとあんな力を持っていたとは思えないし……
透がうんうんと唸りながら歩いているその横で、手汗を握りしめた北斗が目を鋭く光らせ足を止めた。
「どうかしたんですか?」
透が聞くと、北斗は顎に指をかけて小さく呟いた。
「ヤベェ、自宅まで来ちまった……」
「……そういえば、その人と面識ってあるんですよね?」
「いや、一度話したくらいで……」
「……それは、ハイレベルですね」
一度会った女の子の自宅に突撃して告白するというのは、何とも危険だ。世間的にも心情的にも。アウェーにもほどがある。
一度しか会っていないという事は電話番号も知らないだろう。知っていたら知っていたでそれはそれで大変だ。
「今歩いた道が通学路だったんだが……まだ帰ってないのか……いや、もう戻ってるはずだよな、寄り道をしていない限りは」
「はあ」
だがチャイムを押す勇気はきっと告白する時以上に勇気がいるだろう。絶対に無理だ。
透はこのままUターンしてしまった方がいいのではと思っていると、後ろから肩を叩かれた。
「ふご、」
「もしかして私に会いに来てくれたの? 新橋透君。嬉しいわ」
「う、あ、貴方は……」
振り返るとずぼっ、と頬に細く白い人差し指が埋まった。指から逃げるように顔を動かした透は、にっこりとご機嫌に微笑んでいる四季菫に一歩後ずさった。
「なんでこんなところに……?」
「何でも何も。そこ、私の家だもの」
「え!?」
そのまま指を移動させると、住宅地の中のクリーム色の一軒家を指差した。
「ちなみにその向こうの家が鉛君の家ね」
つい、と更にその横にある灰色の家を指差した。どんよりとした空気が放たれているような気がしたが、透は無視した。
「もしかして私に会いに来たの? ふふ、この間の借りはきっちりと返させてもらうわ」
「いやいやいやいや」
「最近外に出るようになったのよ鉛君。今も公園で一人ブランコに乗って筋肉とは何かを考えているでしょうしね。ちょっとそこまで散歩しない?」
「いや、今日はちょっと……!」
「ふうん。で、そちらの燐灰の番長は一体何の用? 鉛君に喧嘩売ろうとしているなら、丁重にお断りさせてもらうけれど」
「……四季菫……」
自分は喧嘩を売っていたのを棚に上げて、腕を組み北斗に堂々と釘を刺した菫に、北斗はぎゅっと眉根を寄せた。
「さっき、そこの空き地で不良たちが伸びていたけど貴方の仕業ね。まったく、小学生には目の毒よあんなの。最後まで処理してから行ってほしいものだわ」
「あの量二人ではどうにもできないよ……」
「あら、鉛君を簡単に倒してしまうパワーがありながら謙虚なのね」
厭味ったらしく微笑みながら、以前さくらに対して思ったことを言われ、透はうっと詰まった。
鉛を管理しているらしい菫は品定めするように二人を見た。どう調理すれば鉛にとっていい方向へ進むべき道を照らす事が出来るのか。
戸惑う透と肩に力が入りすぎている北斗を見た後、菫はこてん、と首を傾げた。
「……貴方達、何してるの?」
改めて問い掛けるが、透はただ北斗をちらりと見ただけだった。
北斗は北斗で菫を凝視している。菫は何かを感じ取ったらしく少し顎を引いて北斗を見返した。
「……何?」
北斗がぎり、と歯を噛みしめる音に透は気が付いた。
――ま、まさか好きな人って……!!
バッと振り返り顔を見上げる。まるで腹痛を覚えているかのように冷や汗を流している北斗に透は確信した。
目の前にいる美女、豊満な身体にどこか色気を感じさせる空気、漂う女らしさを放つこの四季菫こそが、北斗が惚れた女だ。
これから告白が始まると分かると、透は早く距離を取らねばと慌てた。だが、いきなりこの場を離れるのも二人の間の空気を更に悪くしてしまうのではないかと硬直するしかできなかった。
誰も一歩も踏み出さないまま時間が流れる。何かきっかけが起きればと思っていると、とてとてと軽やかな足取りが三人に近づいた。
「ふんふふーん! えーい! 菫お姉ちゃん何してるのー!?」
赤いランドセルを背負ったさくらが、腕を組んで立っている菫の腰に後ろから思い切り抱き付いた。
「きゃっ! さくら、先に帰ってたんじゃなかったの?」
「んーん? 違うよー、さっき知らないおばさんに……あ、違う。あの人はねー、えっとねー、隣町の人でねー、どこかに住んでるって言ってたから、知らない人じゃない!」
「また飴貰ったの? もう……ちゃんとお礼言ったんでしょうね?」
「もちろん言ったよ! ありがとーって! あっ、あの時のお兄ちゃんだ! こんにちは!」
「こ、こんにちは……」
にっこりと笑いかけられ、透は大きく広げて笑う口に飴が入っているのを見て、へらりと笑いかけた。
にこにこと飴をころころと口内で転がしているさくらを見下ろしていると、がしりと肩を掴まれた。
「おい、悪いが二人きりにしてくれないか」
「あ、あぁ……!」
そうだ、こんな絶好の機会はないとさくらの腕を掴んでぐいぐいと引っ張った。
「ちょっと悪いけどこっち来てくれる?」
「えっ、飴くれるの!?」
その透の腕をがしりと、菫が掴んだ。
「ちょっとさくらをどこに連れていく気よ、新橋透」
「いや、ちょっと遠くに行くだけだから……」
その透の腕を更にがしりと北斗が掴み、
「おい、ソイツは離せ」
「掴まれてるの俺ですよ!?」
「さくらを離しなさい」
「わー! さくらも掴むー!」
 さくらがはしゃいで菫の腕を掴み、誰が何をしているのかさっぱりわからない状態の中、北斗ははっきりと透に言った。
「いや、掴んでる方だ」
「え? いやいや、だから俺……が……」
言葉をなくした透がさくらの腕を離した。
そして透の腕を掴んでいる菫をぐいぐいと引っ張り距離を取り始めた。
「……貴方、本当に私が狙いできたの?」
「俺も、最初はそうだと、思ったんだけど……」
とりあえずこっちに来てくれと、菫の家の前まで来て、門に二人で身体を隠してひょっこりと顔を覗かせる。
道路の前には北斗とさくらしか残っていない。
「ねぇ、貴方の所の番長は何をしてるの?」
「さ、さあ……」
――いや、まだ可能性はある。本人にいきなり本番はきついから、同じ女の子のさくらに練習を頼もうとしているのかもしれないし……!
透が胸中で必死に言い訳を生産する中、北斗はロボットのように動きだし、片膝をついてさくらと同じ視線になった。
「お、俺の事を覚えているか、松平ちゃん」
「? お兄ちゃん誰?」
「やっぱりか……ほら、去年の夏、俺が喧嘩で傷だらけになって気絶していて、空地の隅っこでじっとしてた時、虫網をもった松平ちゃんが俺に話しかけてきただろ。『コオロギ知りませんか?』って。俺は何言ってんだと思って何も答えなかったら、俺のポケットをまさぐって『コオロギいないね』つって行っちまった。その後煙草を探していると、そこには飴が一つ入っていたんだ……」
「? ?」
首を左右に傾げるさくらに、北斗は胸元を掴んで恋に落ちた瞬間を思い出し少し頬を赤らめていた。
遠くから見ていた透と菫は眉間に深い皴を刻んでいた。
「ねぇ、貴方の所の番長は何を言っているの?」
「さ、さあ……なんだろう……」
――いや、まだ、まだ可能性はある。ただお礼が言いたいだけなのかもしれない。もう告白とか関係なくただ世間話してるだけという可能性がまだ……!
「つまり、お兄ちゃんは私の飴をとった、って事?」
「いや、松平ちゃんのやさしさに惚れたって事だぜ」
「その飴って何味だった?」
「檸檬だった」
「それあんまり好きじゃないやつだ! ならいいや!」
「ああ、甘酸っぱくて青春の味だったぜ」
――全然噛みあってねぇ!
「それで松平ちゃん、俺は君に惚れた……結婚を前提に付き合ってくれねぇか……!」
はっきりとした告白にさくらも透も菫も固まった。門の塀の影から覗いていた二人は顎が外れそうな程口を開けた。
「ねぇ、貴方の所の番長は何をしているの……?」
「……こ、告白とかじゃなかな……」
「……相手小学生よ?」
「見たとおりですね……」
「馬鹿なの? ロリコンなの? 通報しといた方がいいのかしら?」
「いや、それは……うん……」
さくらの出方を伺っている三人をよそに、さくらは何度か瞬きをした後、たたたっと走り出してしまった。
「! ま、松平ちゃん!」
「ちょっと待っててー」
間延びした返事に全員が言われた通り待った。さくらは自宅のドアを開け広げて、大声で廊下に向かって叫んだ。
「おかーさーん!」
「ブホォッ」
親を呼ぶさくらに思わず吹き出した透の横の菫も口に手をあててぷるぷると震えている。
「さ、さすがに私が教育したかいがあったっていうものよ……! 怪しい人がいたら助けを呼ぶ、これ基本だものね!」
「ゲホッ、ハッ……うわ、危ない……」
喉のベルトを触りながら、噴き出した瞬間呼吸が止まり、静かに心臓をバクバクと鳴らしていた。
変に笑ったりしてもこれは命に係わると、透が気を引き締めていると、さくらの母親はリビングから間延びした返事をただ返しただけだった。
「はーい? 何ー?」
「ちょっとこっちきてー」
「あー、今お母さん手が離せないのー」
「じゃあいいやー、あのねー、今結婚したいって言われたー、いいー?」
「あらー、おめでとうー、でも相手を選ぶのよー。幸せにしてくれるかどうかで判断するのよー」
「幸せってー?」
「好きな物買えるくらいお金持ちじゃないとねー」
大声で母親と娘の赤裸々な会話に透はおいおいと、待ちぼうけを食らっている北斗を見た。
――こ、これはどう収拾つける気なんだろうあの人……
さくらがたたたっ、と北斗のもとに戻り、数秒何かを考えた後発言した。
「あのね、さくらが好きなものを買えるくらいお金持ちじゃないと、結婚は許しませんよって! だから、お兄さんお金持ち?」
「いや、どうだろうな……」
「じゃあやめとく?」
「金持ちかどうかは置いておいて……そうだな、とりあえず松平ちゃんが飴に食うに困らない男にはなるつもりだぜ」
そう言ってそっときらきらと輝く大きな棒付きキャンディーを差し出した。
まるで薔薇の花束を渡されたように、さくらは頬に手を押し当てて口を開けて驚いた。
「まあ!」
じっと品定めするようにキャンディーを身体を動かして見た後、恭しく受け取った。
「結婚しましょう!」
堂々と叫んださくらに、北斗は「おお!」と叫んで手を握りしめた。
「幸せにするぜ! さっさと番長やめて一芸入試を果たすぜ!」
「うん! おかーさーん! さくら結婚するねー!」
「あらー、おめでとー! あっ! きたきた! いい! あぁーっ! 関節決まらなかった……! おしい! あぁっ! もう、マスクとっちゃいなさい!」
家の中でプロレスに白熱している母親をよそに、さくらはキャンディーに負けないくらいに目を輝かせて戦利品を見た。一番の大物である北斗は眼中になく、その北斗も告白疲れをしたのか、俯いて肩を震わせている。

「……新橋透君、私はどうすればいいのかしら」
「……とりあえず、本人たちがいいって言ってるし、親も公認だし、放置しとけばいんじゃないッスか……」
初めて一組のカップルが誕生する瞬間を目撃した透だが、その後味はあまりいいものではなかった。
自分よりはるかにがたいのいい男が、自分よりはるかに小さい女子小学生を捕まえて恋人というのは何とも違和感を感じる。
違和感を感じると言えば、隣にいる菫がぐいぐいと腕を引っ張ってくるところなのだが、
「何ですか?」
「せっかく針入町まで来たんだから、ちょっと鉛君の相手して帰って」
「えぇ!?」
「いいじゃない。あ、相手と言っても喧嘩はいいわ。そうね、腕相撲してくれない? それで負けてくれればいいから」
「え? 腕相撲? ……まあ、それくらいならいいですけど……」
「君なら受けてくれると思ったわ」
ふふ、と妖艶に笑う菫に透は戸惑いながらふらふらとついて行った。
後ろを振り返ると北斗がさくらを肩車して喜んでいる姿があった。とても幸せそうな顔をしていて、ほっとした。
――これでアイツもボロボロにならなくてすむだろ……
流れるように流れた思考にハッとした。そして額を押さえて大きくため息を吐いた。
そのまま現実も流される透は、鉛の自宅で腕相撲の前に本物の相撲をして頭を打って気絶してしまった。
目が覚めると自分の顔に『針入高校番長に敗北!』という文字を書いたまま菫と鉛に満面の笑みで見送られて帰宅した。
「アンタ、それ喧嘩売ってるの?」
「え?」
油性マジックの文字に激昂した光に首を掴まれて洗面所でたわしでごしごしと洗剤で洗い流されるという拷問を受け、本当になんて馬鹿なんだろう俺はと、溺れながら光の頭を掴み、一緒にたわしへ顔を押し付け更に怒りを倍増させた後、外に放り出され透は本当に後悔した。
「ハァ、ハァ……死ぬかと思った……色々と……」
「息が荒いわね、変質者でもいるのかしら?」
「お前な!!」
窓枠に身体を預けて、腕を組んで見下ろす光はふんっと鼻で笑った。
「その顔二度と見せないでよね」
「せめて汚れ落としを、」
ぴしゃっ! と窓をしめ、律儀にカーテンまで閉めて締め出された透はがっくりと項垂れた。
「おのれー針入のあの二人め……! 人の顔にらくがきしやがってー!」
言われた通り腕相撲をして、あまつ相撲までしたというのに。拳を握りしめて怒りをたぎらせるが、すぐに水をかけられたように煙となって消滅した。
「はあ……やっぱり無理か、光みたいに怒りパワーは出ないか……」
手を握って開きを繰り返すのをじっと見ていると、菫の顔を思い出す。
「……そういえば、あの人なんか変だったな……なんだろう、今までの接し方みたいに棘が無くなったというか……」
雰囲気が違った。明らかに警戒し、ギラギラした空気が無くなっていた。
「……んー、腕相撲で番長のプライドが戻るって気づいたからなのかな?」
それにしても、新橋家も針入高校の女もよくわからん。と、透は首元のチョーカーを触りながら小さな溜息を吐いた。











20140403



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