第二十八話





ハッと目が覚めた時、口元に手をあてながら起き上がるとそこにはマスクはなかった。だが、首にはチョーカーがついていて、まだ喉に圧迫感があった。
透がいるのは道場の横にある古代の家の一室だった。布団が敷かれており、畳の臭いが充満する部屋の横には制服の上着がきちんとたたまれていた。
「……は、は……ふー、しゅー……あー、できる」
いつも通り呼吸ができる喜びを感じていると、古代がお茶を持って部屋に入ってきた。
『おはよう! まさか倒れるとは思わなかったよー! もー大丈夫?』
「げほっ……いや……けど、あれはいくらなんでも息し辛……」
『人に試すのは初めてだったから、死んじゃったらどうしようかと……』
「紫さん!?」
慌ててくしゃくしゃにメモを握り潰し、部屋の隅に置かれたゴミ箱に放り投げた。古代は無表情のまま引いている透にコップを渡しながらすらすらとまた筆を走らせる。
『ごめんね、僕が声を出せるなら、その声を真似る事が出来るのにそれができない。声を出さずに声の出し方を教えるというのは、僕が思っていた以上に難しいものだった』
「まあ、紫さんの声を聞いて、俺が紫さんの声になるとは限りませんし」
『そうじゃない。声ではなく声の出し方だよ。どう喉を動かすか、どう声を震えさせるか。透君の耳や目で、体感として教えこめればそれが一番いい方法だ』
「声に体感って必要ですか?」
『もちろん。発声は喉の筋肉を使うからね。特に声帯靭帯の筋肉の使い方を感じ取らないと、いくら声量があっても戦いには昇華されない』
透はげほっ、と咳払いをした。ぐっ、と喉に押し込まれる三つの突起が更に食い込んだ。
『そのチョーカーで声帯を狭め、そして喉の筋肉の動きを、声帯靭帯を意識してほしい。そうすればきっと君の声は進化するだろう』
いくら驚いたからと言って、マスクをつけただけで酸欠で倒れた自分に、古代が思うような進化を遂げられるのだろうか。
制服を着直して道場を後にし、日長山を下りる透は慣れないチョーカーを何度も触って確認する。
――光に触らず倒せるなんて理想だと思ったけど、本当にそんな事できるのか?
ぽわんと想像してみた。自分の開けた口が光り輝き、そこからレーザービームのような光線が光にぶつかる光景。だが、それは少し靄がかっている。
逆に光ならどうだろうかと、デフォルメされた光がギザギザの歯の奥を見せつけると、懐中電灯を向けられたように痛みを伴う光りが輝き、透に向かって地面を抉りながら発射される。
――……アイツならすでにできそうな気がする……
罵詈雑言も、ある意味声の力と言える。声量が無くてもその見えない言葉のナイフは、透に致命傷を伴わせるほどの鋭さを持っている。
ぶるりと肩を震わせながら、ポケットに手を入れた。
がさ、と手に何かが当たるのを感じた。
「ん……あ、これ下駄箱に入ってた……」
取り出すと朝、封筒を碌に見ずにポケットに押し込んだ手紙だった。北斗が透に呼び出しをしようとして出したであろう手紙。
――きっとまた光が横取りしてくるんじゃないかと危惧したんだろうな……意味ないよねこの手紙。
そう思いながらもべりべりと開けて、手紙を広げた。
「えーと、何々? 突然お手紙を差し上げる失礼を許してください。僕はあなたの事が好きです……え?」
歩みを止めて慌てて封筒の裏側を見る。そこには藤黄北斗と名前が書かれていた。宛名は空欄だったが、これは確実にラブレターだ。
「……間違えてる……」
惚れた女が出来た、と言っていたが、どうやら告白するつもりらしい。
手紙を間違えるなんてなんてドジだろうと思いながらも、ふと嫌な予感がよぎる。
「……ま、まさか気づかずに出してないよね……」
透に渡すはずだったであろう果たし状を、事もあろうに不良をやめようと決意させる相手に渡してしまったとなるとどうなるのだろう。
いくら間違えられたとはいえ、責任を感じる。手紙を折り畳み封筒に押し戻し、慌てて透は走り出した。
「うおおおおお! 間に合えぇぇえええ! ゲホッ! うわ、息が! うっ、ぐっ」
だが徐々に失速し、十メートルも走らない内に歩みより遅くなり、膝に手をついて肩で息をするまでに体力が削られた。
――ヤ、ヤバイ……これじゃあ走れない……!
ハッ、と透は携帯を取り出した。
「電話! あ、駄目だ知らない!」
知ってる人は誰だろうと考える。同じクラスらしい海老杉はどうだろうかと思ったが、海老杉の連絡先を知らない。
とりあえず煉瓦に相談しようとボタンを押す。
「……あ、煉瓦? あのさ、藤黄番長の電話番号知らない? ……あ、知らない……そっか、うん、ありがと……え? 俺? 知らないよ何で……え? 電話してた? いつ? ……喧嘩の取り付け……あー、そうか……そうだったね、そうだ。俺知ってるんだ。知ってるみたいだ……」
ピッと通話終了ボタンを押した後、少しだけ迷うそぶりを見せたが、透は光へ連絡した。
「……あー、もしもし? あの、いきなりで悪いんだけど、燐灰の番長の連絡先知らない? ……あー、やっぱり知ってるのか……え? いや、別に……あー、そうそう、生徒手帳落としたから! 届けてあげようと思って! ……え? 明日でもいい? いや、今日だ! 今日がいいだろ、落としたなんて知られたら可哀想じゃん! えっ、教えてくれる!? サンキュ……あー、わかった。帰りに小豆バー買って帰るよ……うん、それじゃ」
ピッと小豆バーを請求された透は、電話番号とメールアドレスのついたメールを受け取りさっそく電話をかけた。
知らない電話番号じゃ出ないかと思ったが、あっさりと北斗は出た。
『もしもし?』
不機嫌そうな声に怯みながらも透は返事をした。
「もしもし、新橋です」
『ああ? 男の方か?』
「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、もしかして好きな人に今日ラブレター渡しました!?」
『あ゛ぁ!? なんで知ってんだよそんな事!』
「いや、それがですね……」
説明しようと口を開いた瞬間、電話の向こう側にノイズが走った。ガツンッ、と携帯が何かにぶつかった大きな音に、透は耳から離した。
『チッ! テメェ等こっちが電話中だって分からねぇのか! ……っと、帰れっつってんだろ! ……電車乗り継げ! ……ラァッ! ……ぐっ……ビシャッ………………あー、もしもし?』
「……何してんスか?」
『朝の奴らがまた絡んできやがったんだよ! クソ! ウゼェぞテメェ等! 朝からぶっ続けでゾンビか! 今日こそ告ろうとしてる俺に対しての嫌がらせだぜ。殺してもいいな』
「お、お疲れ様です……って、そうじゃなくて! 藤黄さん、俺に渡した手紙なんですけど、どうやら好きな人へ当てた手紙みたいで……」
透が身振りを加えて説明しだすと、また電話の向こうで携帯がガコンッと何かにぶつかる音がし、暫く雑音が混じった音が流れた後通話が切れた。
「えっ、も、もしもし!? もしもし! 藤黄さん!?」
いくら叫んでも通話は切れたままだ。かけ直しても電源が落ちているのかまったくつながらない。
「……や、ヤバいぞこれは……」
透は慌てて走りだし、そしてまたすぐにへばりを繰り返して日長山を降り、キョロキョロとあたりを見渡して商店街へ向かった。
――こうなったら自分の足で探すしかない!
今まさに喧嘩しているようだ、否が応でも目立つだろうと思っていると、瑪瑙の不良生徒が一人、商店街の真ん中でうつぶせに倒れている姿を発見した。
通り過ぎる人たちはそれを見ておそるおそる通り過ぎている。
「ここでしてたのか……?」
息を乱しながら北斗を探すと、商店街の入り口にもう一人、仰向けに倒れているのを発見した。
そこに向かうと今度は住宅地の入口へと続いており、喧嘩の痕跡が森の中で迷わない様に落ちているパンのように残っており、透はそれを遡って進み続けた。
そして行き着いた空地で、北斗が煙草を吸いながら不良たちの残骸に腰掛け一服している姿を発見した。
「藤黄番長!」
「あぁ? なんでテメェこんな所に……」
「はぁ、はぁ……ああ、よかった……あの、これ、ラブレターと手紙、間違ってましたよ……」
 ポケットから手紙を取り出し差し出すと、北斗は自嘲気味に笑った。
「……よかねぇよ。こんなボロボロになっちまった……もうあの子の所にはいけねぇな……」
ふい、と顔を背け、ボロボロの制服を軽く引っ張って投げやりに呟いた。
吸殻を不良の一人の頭へ押し付け立ち上がり、ポケットに手を突っ込み空地を後にしようとした。
「駄目だな、こんな喧嘩ばっかりしてる野郎に惚れられちゃ、迷惑だろう……ふ、告る前に目が覚めてよかったぜ」
「な、なんで……」
「とどのつまり、俺は喧嘩しか能がねぇって事だな。その大切な手紙も間違えちまうし、告る前に泥や傷だらけ。覚悟が足りてねぇよな」
「……」
「それ、お前処分しといてくれ」
「できませんよそんな事」
「あ?」
透は北斗のポケットに手紙を押し込み見上げる。
「喧嘩しか能がないなんて事はないですよ。俺、喧嘩しか好きにならない馬鹿な奴を知ってます。ソイツは自分が良ければなんでもよくって、他人を愛するとか他人を思いやるとか、そういう感情が全くない。けど藤黄さんは好きになったんでしょ? 喧嘩よりもその人の事大事だって思えるんなら、そっち大事にした方がいいと思います」
「…………」
「喧嘩なんてその人とすればいいじゃないですか。きっと楽しい喧嘩ですよ」
「……そりゃ、たまんねぇだろうな……」
「でしょ」
「……いいな、マジたまんねぇ……ビンタとかされてぇな……」
「それはちょっとわかんないけど、とにかく不良相手よりも全然いいですよ!」
「殴り合いか……いいな、包丁でブッ刺されるのもまた乙だしな」
「それは全然わかんないけど……とにかく、野郎相手よりも全然いいですよ!」
煙草にまた火をつけ、深く吸い込み、長く吐き出す。
北斗は手紙を取り出し、顔をあげて決意したように頷いた。
「思い立ったが吉日っていうしな。今日やろうと決めたことは成し遂げねぇと男じゃねぇな」
煙草を手の中で握りしめ火を消した。
「よし、行くか」
透はぐっと知らない内に拳を握りしめていた。勝利を確信したようなその力に、透自身首を傾げた。











20140402



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