第二十六話





朝、登校する生徒の群れの中に光の姿はない。透は学校へ向かいながら、妹がいない学校にほっと息を吐いた。
「陣痛が痛いので休みたい」という理由で休んだ光は、部屋に引きこもって包丁を研いでいた。一体何を解体するつもりなのかと問いかけたかったが、触らぬ神に祟りなし。透はそれを無言の愛で包み無関係を突き通した。何を勘違いしたか、母親がそれを見て大きな魚を買ってくると意気揚々と朝から買い物に向かっていた。
「おはようございます! 透さん!」
「あ、おはよー煉瓦」
「ん? なんか機嫌いいというか、顔色がいいッスね。何かあったんスか?」
「いやー、何だろう。爽やかな一日だなーって思ってさ」
「まだ始まったばっかりッスよ」
「天気もいいし空気もいいし雰囲気もいいし、今日は一日絶対いい日だと思うんだよね」
ふぅ、と深呼吸しながらまったりと下駄箱まで来た透は、シューズの上に乗った封筒を見て、すぐに目を閉じてみなかったことにしてそっと閉めた。
「透さん? どうしたんスか?」
「……いや……」
目頭を指で摘み顔を左右に振った。もう今日一日は爽やかな一日で過ごすのだ。よもや果たし状などというものはありはしない。
見ないまま手紙を握りしめ、ぐしゃぐしゃにしてポケットにしまった。
「何でもない。いこうか!」
「ッス! あ、そういえば透さん! 昨日のテレビ見ました?」
「あー、昨日は疲れてすぐ寝ちゃったからなー……」
「もしかしてまた番長と!?」
「またって……もしかして煉瓦見たの?」
「見たって、何度も一緒にいたじゃないッスか! 番長と戦ってる最中『邪魔だからこっちくんな!』って俺を守ってくれてたじゃないッスか! いやー、鼻血噴きだしながらも立ち向かい続ける透さん、マジ尊敬ッス!」
「日に日にたくましくなってるな……」
「まったくッスね!」
かみ合わない会話をつづけながら階段を上っていると、少しざわめきだした。踊場で話していた生徒が上を見て更に壁際に怯えるように寄っていた。
まるで上から鬼が下りてくるような顔をしている。
思わず足を止めた透と煉瓦は救急車に道を譲るように身構えていた。
まさか実は学校に来てましたと言って光が災厄を持ってくるのかと飛躍した考えを持っていた透は、ポケットに突っ込んだ手紙の存在をすっかり忘れて見上げていた。
ポケットに手を突っ込んでいた。耳にはピアス、口には煙草、髪の毛は金髪。
身長は透よりも遥かに高く、鉛邦弘よりも大きく見える。
「あっ……」
隣の煉瓦が声を漏らし、ちらりと透を見た。透はその視線を受けて眉を顰めた。
「えっ……?」
顔を見合わせる二人の前にのっそりと影が覆った。もとより身長差もある中、段差もプラスされその威圧感は更に大きなものとなる。
相手はまるで見知った相手のように見下ろし、くい、と顎で上を指示した。
「ちょっと来い」
「……お、俺ですか?」
「ああ。コバンザメ、テメェはくんなよ」
「えぇ!? なんでだよ!」
「テメェ煩ぇんだよキャンキャン犬みてぇに。おとなしく授業受けてろ」
「そんな事言って透さんボコボコにする気だろ! 救急車呼ぶのは俺しかできん事だ!」
「俺も携帯電話というものは持ってるぜ」
「使うかどうか分からないだろ!」
透は会話の中心にいながらも、蚊帳の外にいた。煉瓦と知り合いみたいだが一体誰なのだろうか。首を傾げてじっと相手を見上げるが、見知った顔ではない。同学年では絶対にないだろう。先輩だとしてもあまり見たことが無い、というよりも、一目見れば絶対に忘れないくらいに見事なヤンキーだ。
「おい行くぞ」
ハッと意識を取り戻した透は背を向けて歩き出したヤンキーに透はついて行った。
ちらりと背後を見ると煉瓦が不服そうな顔をしつつも、敬礼のポーズをとっていた。
――な、何、その戦地へ見送るような感じは……
文字通りそのままの意味だと知るのは階段を上る間に聞こえた小さな声だった。
「あれって……」
「停学あけってついこの間よね?」
「新橋透と藤黄北斗……番長争い?」
ぞわぞわと、前を歩く広い背中を見上げてやっと点と線が繋がった。
――コイツ、光ボコボコにした燐灰高校の番長だ……!!
噂では新学期初日から喧嘩をして停学していたと聞いていたが、まさかこんな丁寧に出迎えるとは思いもしなかった。
――ヤベェ、光いないしどうすれば……クソー、せっかく光がいない爽やかな一日が過ごせると思ったらアイツがいなけりゃいないでこんな目にあうのか……!
頭を抱えながらも階段を上り続け、最終的に立ち入り禁止の屋上までやってきた。
ギギッ、と蝶番が悲鳴をあげながら開いた。あまり人が出入りしていないような錆びついたドアの動きに、透は額から汗を一筋流した。
咥えていた煙草に火をつけ、ふぅ、と一服する北斗にずっとそのままでいてくれとじっと見つめる。
「……さて、テメェは番長の座がほしいのか?」
「いや……」
「ならなんで俺を狙ってるんだ」
――やっぱりその話か!
「な、なんというか……狙うには、頂点というか……」
――駄目だ! この流れだと喧嘩になる!
「ほう、俺が頂点だと?」
「そりゃ、番長って学校の一番というか……」
「まあ、そりゃそうか……本当にお前ほしくないのか?」
「結構です!」
「本当に要らないのか?」
「はい」
――いや、でも光はほしいのかもしれないな……いや、でも最終的に責任は俺に来るんだから、いらないのはいらないって言えばいいか。
「そうか、いらないのか……ま、欲しくなんてないだろうな、こんなもん」
ひゅう、と屋上の風が煙草の煙を攫って行く。その声音に透は眉を顰めた。
「お、俺はいらないですけど、すごいブランド力はありますよ!」
「何いきなりフォローしようとしてんだ。別に傷ついちゃいねーよ」
ぎゅっ、と眉間に皴を深く刻み込み、北斗が鼻で嘲笑う。煙草を指で挟んだまま、遠くを見つめてぽつりと言った。
「俺だっていらねーんだよこんなもんは」
はあ、と煙草の煙と共に大きなため息を吐きだした。透は光よりも強い燐灰高校の番長の抱えているであろう悩みを嗅ぎ取って、思わず顔を覗き込んだ。


腰を下ろした二人は北斗の煙草が短くなり、また新たに一本吸い始めた頃話し始めた。
「……俺は元々番長なんてなりたくなかったんだ。ふと気が付けば祭り上げられてて、あれよあれよという間に他の学校と喧嘩になりゃ頼られる……面倒な事だ。放置したらしたで文句言うしよ。クソ、関係ねーだろ髪の毛は。地毛なんだから仕方がねぇだろ、遺伝なんだ。親に言えよ」
ぐりぐりと携帯灰皿に短くなった煙草を押し付けながら、すぱーと煙草を歯噛みする。
「そうだ、それにもともと俺がグレたのは家族のせいだ。おい、藤黄真也って知ってるか?」
「ああ、有名な俳優ですよね。よくドラマに出てる」
「俺の父親だ」
「えぇええ!?」
「母親は女優、姉貴はモデル、兄貴はタレント、もう一人の兄貴もモデルでよ、全員テレビ出演して金貰ってる」
「そ、そういえば確かに似てるような……」
怖くてよくわからなかったが、確かに全員の顔を思い出せるほど有名な人達の顔のパーツととても似ている。
「俺の家族だ」
「へぇー! 凄いですね! 皆売れっ子で、スキャンダルもないいい芸能人だなーって思ってたんですよ」
よく家族で出たりしているが、それぞれに個性があって一人でもやっていけている。
特にタレントである北斗の兄はバラエティ番組にもよく出ていて透は好きだった。
――よく見ればイケメンだ……。
番長よりも北斗もモデルや俳優になった方が為になるのにと透が思っていると、ぎりぎりと北斗の奥歯がすり切れるほど軋んだ。
「だろうな、世間からそういう風に見られるように全員演じてるからな……カメラの前じゃ善良な人間を演じ、家の中じゃ王様が四人いるぜ。権力が横行してる」
「うわ……」
ソファーを寝転がって占領し、座ろうとすれば一睨みで着席を拒否する妹を思い出す。
「外で押さえつけていた鬱憤が、家の中で爆発する。同業者の三人はテレビ番組でチクられるのが嫌だから、矛先が全部俺に向かう……何が酒が飲みたいだ自分で買ってこい! 何がうまいものが食べたいだ自分で食べて来い! 何が疲れただ俺の方が疲れてる!!」
ぐしゃあ、と携帯灰皿が煙草の箱を握りつぶすようにあっさりと砕け散った。
「ずっと耐えてきたが、いい加減グレるぜ俺も! ったく社会的にいい奴に碌な奴はいねぇ!」
「それは同意しますね」
社会的にいい顔をしている人間も、いない人間も碌な人間がいないと思うが、とりあえず肯定しておけばこの怒りは静まるだろう。
透の予想通り、北斗は怒りの炎をしゅるしゅると沈静化させた。
「だろう? いい顔する奴は大体中身腐ってる。ほら、あのバスケ部の海老杉とかいう奴。アイツは臭いな。ゴルゴンゾーラタイプだ」
「チーズタイプって何ですか」
「腐っても食べれるタイプ。綺麗に腐ってるんじゃなく、中途半端に腐ってる感じだ。アレだ、納豆と一緒だ」
発酵食品と一緒にされた海老杉と北斗の家族と光はさておいて、透は燐灰高校の番長が、思っていた以上に普通の人間で安心した。
――家族のせいでグレたか……俺もグレようかな。……それじゃあ光のおもうツボか。
今の段ボールハウスの隠れ蓑が旅館に変貌するようなものだ。透の隠れ蓑はずっとこのままちんけなものでいようと頷いた。
「それならお前じゃなく、あの女に話つけるか……番長やってくれそうだしな」
「え、あ、いや、アイツはやらないと思いますよ……」
「あ? なんでだ」
迷った末、透は手身近に光のこれまでの悪行を愚痴を交えて説明した。
「お前……そりゃあ……なんでそんな事許してんだよ。一発殴ればいいだろ」
「桁違いの一発返されるんで……」
「お互い家族には苦労するな。これから一生付き合わなくちゃいけねぇんだからよ」
「というより、なんで番長やめたいんですか?」
「普通に不良してたかったっていうのもあるんだが、惚れた女が出来た。今日告ろうと思ってるんだが、番長なんて肩書は邪魔なだけだろ?」
立ち上がり背伸びをした北斗がフェンスの向こう側を見て目を変えた。纏う空気も一変し、つかつかとフェンスに指をかけてグラウンドを見下ろした。
「何だアイツら……」
校門には金属バッドや角材を持った、いかにも不良な他校生がぞろぞろと屯していた。
「燐灰高校の番長出てこいや! わざわざ隣の県からやってきたんだぞ!」
「瑪瑙高校番長竹清様がテメェの相手してやるぜ!」
「何が最強の番長だ! 雪だるま式に大きくなってるだけだろ!」
「さっさと出てこいやー! こちとら電車乗り継いで来てんだぞ!」
「うわー……殴り込みだ……番長も大変ですね」
透が他人事のように呟くと更に叫び声が増えた。
「あと新橋透とかいう奴も出て来いや!」
「テメェ態々県跨いで休日に充実した喧嘩していきやがって!」
「殴り終わった後名物聞いて帰ってんじゃねーぞ! あと俺の釘バッド返しやがれ! 親指の痛みの末のブツだぞコルァ!」
「ヒィィ!」
「有名人も大変だな」
透が地面に腹ばいになって頭を抱える。今日は光がいない。平和な一日が訪れると思っていたのに、何故いきなり危険にさらされなければならないのか。
「ほ、北斗さんもほら隠れて隠れて!」
「いや、俺はいくぜ」
「意外と乗り気だ!」
「乗り気じゃねぇよ。宿題はさっさと終わらせないと後から辛いだろ」
「宿題気分ですか」
真面目に嫌々喧嘩と向き合う北斗の前に、瑪瑙高校の不良たちを出迎える影が校舎から出てきた。
まさか千歳か? と思って覗き込むと、そこにはバスケ部エースの海老杉が両手を広げて歩いていた。
「やあ君たち! いい天気だ! 確かに友情を深める喧嘩をするにはマジヤベー日だ! だが場所をわきまえたまえ!」
マジヤベー菌が少し残っている海老杉が、ちらちらと校舎を気にしながら声を張り、堂々と不良に向き合っている。
騒ぎに気が付いた生徒が廊下の窓からこっそりと覗き込んでいる。海老杉はそれを見て口端を上げた。
――正義感に駆られるバスケ部のエース……! 先輩、そして同学年の誇りだろう! だが僕は君たちの為にしているんじゃないんだ! 新橋光! 僕の恋人がきっとあの中で心配そうに見ている事だろう……! ああ、なんて罪な男だ! また彼女が惚れ直す!
「何だテメェは!」
「僕か? 僕はバスケ部エース、三年の海老杉智彦だ! 今、人生の中で一番不良という生き物が大嫌いなんだ! そしてもうすぐ授業が始まる……たしか一年がグラウンドを使う。彼女たちに迷惑をかけるわけにはいかない!」
「一年か……おい、お前も行こうぜ。確かにあの納豆の言う通り可哀想だ」
「俺が目も当てられないような事になったらどっちもかわいそうじゃないッスか」
「なら虫みたいに地面這って待ってろ」
「んなっ」
そう言って北斗はフェンスをよじ登り、屋上から飛び降りた。タンッと溝を飛び越えるように軽やかに飛ぶ姿に、透は地面に顎をつけたまま目を剥いた。
「う、嘘ォォ!?」
その下では番長の竹清が指の関節を鳴らしながら海老杉に近づいていた。
「するってーと、テメェは番長の前座になるってわけか? 面白い。バスケ部だがなんだか知らねーが、売られた喧嘩は遠慮なく買うぜ」
「何を言っている。僕は喧嘩など一度たりとも売ったことが無い! 今、僕は提案しているんだ。こんないい日に、普通の生徒の授業を邪魔する理由が何処に、」
肩を竦めあざける様に笑う海老杉の背後に北斗が着地し、砂埃が波のように全員に襲い掛かった。
「ブワッ!」
「げほっ! な、なんだ!?」
「隕石でも落ちたか!?」
「拾えー!」
竹清が砂埃を手で払い、落下物が燐灰高校の番長だと知ると一人笑みを浮かべた。
「お前が燐灰高校の番長だな!」
「一応な」
「げほっ! なんだ僕の説得中に……って、ああ、藤黄君じゃないか。君学校に来ていたのか」
「いちゃ悪いのかよ」
「いや、不良の癖に学校をサボらないなんて、さては受験を気にしているな? 一芸入試の大学を調べておこう」
「テメェは相変わらず腹立つ野郎だな」
苦々しい表情をしてきらきらといい事をしたという満足感に包まれている海老杉を一瞥し、竹清と向かい合った。数名の不良が竹清の周りを固め、砂埃にはしゃいでいる不良たちはまだ気が付いていない。
「喧嘩するならさっさとしようぜ。もうすぐ授業が始まる」
「はは! 本当に出席日数を気にしてんのか!? 噂は所詮噂に過ぎないって事か! おい、まず様子見だ、行け!」
北斗を指差し、周りの数人をけしかける竹清の横を、手下たちが走り通り過ぎていく。
四人で一気に北斗に飛びかかるが、砂埃のようにあっさりとなぎ倒され地面に伏せた。
「なっ!?」
「雑魚はどうでもいい。頭を潰せば簡単に終わるだろ」
さっさと来いよと、手のひらを上に向けて指を曲げる。竹清はギリギリと歯を軋ませながら、笑みを浮かべて踏み込む。
「上等だ! そうこなくっちゃあな!」
竹清は北斗へ嬉々として殴りかかった。










20140328



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