第二十五話





『最近ここに来たばかりでねー! ようやく色々面倒な事を片付けて腰を下ろせたんだけど、まだこんななんだよね』
こんな、とは汚い壁や穴の開いた床や天井の事だろう。透が見上げ、見下ろし見渡した限り、掃除するにも人手が必要だし、家の修理は大工を呼ばなければならないと思った。
『だから今日はこの家の修繕やら色々手伝ってくれないかな!』
「ええ!? 弟子……あれってバイトの求人だったんですか!?」
『そんなわけないよー! そんなわけないって! そんなのありえないよー! だって履歴書持ってきてとか書いてないしそんなやめて訴えられちゃうよ!』
「そんなに慌てられても」
筆が走って所々読みにくい部分があったが、どうやら弟子がほしいわけではなく、手伝いをしてほしいだけのようだ。ほっとしたような残念なような。
――なら包丁で態々面接しなくても……
若干引きつつもよっこいしょと、真顔で立ち上がる古代紫の後ろについて行った。外にある大工道具を片手に玄関までやってきて、次は木材も持ってきた。
『君大工得意?』
「いえ、図工とかも苦手で……」
『そっかー、とりあえず床直すから、床拭いてくれると助かるなー! ごはん奢るから!』
「わ、分かりました」
そうして春先にさっそく見知らぬ老人の家の大掃除を引き受ける事になった透は、雑巾を絞りながらギコギコとのこぎりを引いている老人を距離を置いて見た。
着物を着たままで器用に大工仕事をしているが、それにしても背が高い。
強面の横顔は人を切断しているのではないかと思う程恐怖に駆られるものだが、あの紙に書かれた女子高生のような文字を思い出して思わず眉を顰める。
――この人に弟子入りして本当に強くなれるんだろうか……光程ではないにしろ、とりあえず小学生に負けないくらいにはなりたいんだけどな……。つーか弟子入りしてるのか俺? バイトして終わりなのか?
この人が強いのは顔が威圧的だからではないのかと、童顔の透は疑いのまなざしでじっと老人を見やる。尊敬する気持ちが無ければ何も学び取ることはできない。とにかく肉体的強さがまだはっきりと分からない不明瞭な状態では、透も雑巾を絞る手も真剣さが無い。
――それに俺、あんまり他人に心開かないからな……。あの人強そうだけど怖いし、大丈夫かな……。
その視線の先の古代紫は穴の周りを真四角に切り取り、そこに外で切った木材をはめ込んだ。
トンカチを使わず自分の拳で穴にはめ込む古代紫に、透はガタッと立ち上がった。
――ま、まさかあの人、釘を使わないのか……!? いや、それより今何をした!?
雑巾を握りしめ近づきその手を覗き込んだ。
――うわ、まったく寸法計らず適当に……えっ!? それではめれるのか!? 釘は……そんなパズルみたいな……うわ、床が生き返ってる……! なんだこれスゲェ!
きらきらと目を輝かせて古代紫の後ろをついて行く。さらさらと筆で書いて紙を透に見せつけた。
『床磨いてくれる?』
「あ、はい!」
ごしごしと丁寧に磨き始めた透だが、すぐに小学生の時にしていたように両手をついて走り出した。
――なるほど! 掃除をすることによって全身の筋肉を使う! 日常の動作で俺を強くしようっていうアレか!
漫画の中で見た手法に思わず目を輝かせる。これで強くなれるなら、いつしか手から気を飛ばせるようになるかもしれないと、強面の老人がさっさと床を直し続ける姿を見ながら、ぐっと手に力を込めた。
「うおおおおおお!!」
どたどたと行ったり来たりを繰り返していると、バチッと古代紫と視線がぶつかった。
グッ、と、真顔で親指を立てられた。言葉はなくとも褒められているのがなんとなくわかった。
修正した床を叩いてみたが、そのまますっぽ抜ける事は無かった。丁度いい具合に嵌っている。
おそらくのこぎりで切る時に下に向かって斜めに窄めて切っていたのだろう。
透がいくら叩いてもそこにはつなぎ目など存在しないかのように頑丈な床があった。
――あんな難しそうな変な穴をこんな簡単に……!
着物姿の老人の背中に匠を感じた透は、ゆっくりと立ち上がってのこぎり片手に出て行こうとする古代紫に駆け寄った。
「次何するんですか!」
『なんでいきなり生き生きしはじめてるの? 材木が足りないから調達してこようかなって』
「あ、それなら俺が買いに行ってきますよ」
 弟子やら師匠やらが一般的にどういうものか知らないが、とりあえず年齢的に上なのだから先輩のように接することにそた。
『回りにたくさんあるから大丈夫だよー』
「現地調達!?」
のこぎり片手に古代紫が木を倒しあっという間に切って、鉋で整え綺麗な板に仕上げてしまった。
「スゲェ!」
くぅん、と森から出てきた弱々しい子犬が感激する透の足に擦りついているのを見て、古代紫はまたのこぎりを取り出し釘を数本使っただけで犬小屋を作った。
丸文字で『タマ』と書いた看板を設置し額の汗を袖で拭った。
『一度犬飼ってみたかったんだよねー!』
「スゲェ!!」
『鉋屑出たからそれでお風呂焚こう! 汗かいただろう透君! 先入っていいよ! 早いけど夕ご飯も食べようか!』
「いいんですか!?」
『今日はすき焼きなんだ!』
「いいんですか!?」
『今日はもう遅いから修行はまた今度にしようか!』
「いいんですか!?」
さっそく檜の風呂に浸かった透は、わくわくと温度が上がるのを待っていた。
寒くないのかと古代紫は思ったが、それよりも優先するのはお湯の温度を上げる事だ。
客をもてなすのは楽しいなーと、弟子にしようとしている透に早く温まってもらおうとすぅ、と息を吸いこんだ。

ブオォォォ!!!

前髪がぶわっ、と巻き上げられ、それが額を覆い隠した頃には心地いい風が透の頬を撫でた。
ぱらぱらと古い道場の木材が落ちる中、床と檜の風呂と犬小屋だけが底に残った。
「………」
壁がなくなった開放的な檜の風呂に入っている透の頭に、木片が引っかかっている。
ぱらぱらと背後の森に家の残骸が透の頭のように引っかかっている。
古代紫の時間がゆっくりと動きだし、胸元からメモと筆を取り出し、さらさらと文字を書く。
『ごめん、張り切り過ぎた』
「張り切りというか、いきり過ぎというか……」
いきり過ぎというか息巻きすぎというか、とりあえず補修した床以外のものが何も残っていない道場周辺を見渡して、透はこのままお湯につかり続けるべきか、それとも出るべきか迷っていた。
『透君、悪いけど僕今お金持ってないんだ』
「は、はあ……」
『自給自足の生活で、森の奥にある畑で生活しているんだ』
「はあ」
『だからホテルとかそういう所にも泊まれないわけ』
「なるほど」
『だから申し訳ないけど、急ピッチで建て直すよ!』
「えええええええ!?」
グッと立てられた親指に透はボタンを押されたように驚愕した。
「ひ、人手は!?」
『なあに四本手があれば日暮れには建つよ!』
「数で計算されても!」
『じゃあ足も使っちゃおうかな!』
「猿ですか!」
その後、空が赤く焼けるまで日長山では木々が倒される音が響き渡っていた。古代紫は木材を作り、トランプタワーのように下から順番に全てを組み立てていった。
透はその後ろで木材運びやゴミ拾い、先ほど拾ったタマにドッグフードを買って与えながら、釘を使って一緒に家を作り上げた。
すっかり日が落ちたころ、道場は真新しくなり見事に完成した。
古代紫の渡すメモ用紙も暗すぎて何も見えず、携帯画面の光でやっと読み取ることができた。
『いやあ日暮れまでにって思ってたんだけど意外と遅くなっちゃったね! 親御さんに僕から何か言おうか?』
「いや、古代さん声でないでしょ」
『あっ、いっけね! あはははは!』
声を出していないが笑う仕草を見せる古代紫に、透は疲労困憊しながらも口角を吊り上げた。身体に染みわたる疲労感と、一軒の家を建てたという充実感に笑みが更に強まった。
拾ったタマもキャンキャンと元気よく吠えている。
「あは、……あはははは!」
『さて、今うちにはお金はないけど、食料はあるよ! 冷蔵庫も無事だったみたいだし、今日は夕飯食べていきなよ! 今度はお風呂もちゃんと入りな!』
「ええっ!? いや、いいですよ!」
『気にしない気にしない! 家には連絡つけておきなよ。それにそんなに汚れてちゃ家の人も迷惑だろう?』
「すみません……じゃあ連絡しますね!」
暗い境内で携帯を耳に押し当てた途端、森からざっ、と土を踏む音が聞こえた。
また犬か何かかと思ってみてみると、陰からぬっと出てきた。
「キャンキャンッ!」
更にタマが吠える。それは凶悪な顔をしたイノシシだった。
「ひっ!?」
家に電話を掛けるよりも同じ電話会社の妹にかける方がいいとコール音を待っていると、珍しく妹が素直に出た。
『もしもし? 何?』
「い、イノシシ……」
『はあ?』
何言ってんの。と、不機嫌そうな声を漏らす携帯電話を持つ手が震える。
ザッ、ザッと前足で土をかいている。完全にこちらに向かう気満々だ。ふしゅう、と、口から吐き出される吐息は完全に内部でマグマが火照るように闘志が燃えている蒸気だ。
――女子小学生にも勝てないのにイノシシに勝てるわけがない!
サァッと顔から血の気が引いていく。ガタガタと震える透が、古代紫に助けを求めようと玄関へ顔を向けた。
「む、紫さん!」
だがそこには少し開いた玄関しかなく、誰も助ける者はいない。
その隙を突いてイノシシは透へ突進してきた。
ドタドタとまるで車が近づいてくるような威圧感に思わず横へ逃げた。
「うわああああ!」
千歳のナイフ以上の質量が真横を通り抜けていくのを感じた。獣臭さが風と共に透の鼻を擽って、猪突猛進の生き物はそのまま紫の玄関へ突進した。
丁度そこに蝋燭を持った紫が出てきて、勢いよく向かってくるイノシシに顔をあげた。
「紫さん!」
危ない! と、思わず呼びかけると、紫は左手を上げ、イノシシの角を掴み、そのまま背負い投げするように前へ投げ捨てた。
車が事故をしてひっくり返ったように、ひっくり返ったイノシシは頭を打って目を回している。ぴくぴくと土を蹴っていた前足は不規則に痙攣し、あっけなくその勢いは止まった。
そして古代紫は相変わらず表情一つ動かさずメモを取り出し、さらさらと書いて透に渡した。
『ラッキー! 今日は猪鍋だ! 丁度肉切らしててどうしよう! って相談するところだったんだ! しかもコイツ僕の畑を荒らしてたやつだからね! 一石二鳥!』
グッ、とまた親指を立てる古代紫に、透も親指を立て返した。
まるでそれが親愛の証しのように、昔の宇宙人との友情を描いた映画の人差し指を付け合せるように、透は疲弊する中で古代紫に対して尊敬の念を覚え、古代紫は若い少年の中に信頼が生まれたのを見て取って本の僅かに口元を緩めたのだった。



「で、アンタ今日一日何してたのよ」
「……弟子入りしようと思って、試験うけて、合格して……」
「弟子って何の?」
「その後床の修繕して、家が壊れたから家作り直して……」
「大工?」
「イノシシ出たから倒して、鍋食べた……」
「マタギ?」
「……なんていうか……強さって生きていく力なんだなって思って……」
「そんな死にそうな顔して?」
リビングのソファーにうつぶせに倒れる横で、膝に雑誌を乗せて風呂上りのリラックスしている光が、げしげしと透の頭を蹴った。
「とりあえずお風呂に入りなさいよ、汚いわね」
「いや、もう入ってきたっていうか……」
「何なのアンタは。ならもう寝なさいよ」
「だよなー……」
「まったく、めったな事するもんじゃないわよ。なんかよく分からないけど、どうせ明日筋肉痛になるわよ」
「あー、うん……あー、なあ、お前ってイノシシ鍋食べたことある?」
「は? そんなのあるに決まってるでしょ。山籠もりしてれば何度もね」
「そっかー……なんか、お前ってものすごい逞しいんだなって改めて思った」
「今更失礼な事言うんじゃないわよ。今度アンタも山に入ればわかるわよ。アレ倒すの超楽しいわよ」
「……それよりお前は今日何してたんだよ……俺が出る前に出て行って……」
「うっさいわね、なんで言わなきゃならないのよ」
「理不尽」
「別に普通に散歩していただけよ! まったくもって全然至って平凡な一日だったわ」
「そんな大怪我しといて平凡とかいうなよ」
「大怪我なんてしてないわ」
 つんと澄ました光の頬には大きなガーゼが貼られていた。他にもかすり傷など目に見える場所にたくさんついていて、さすがにこれでは誤魔化せないだろう。
「じゃあお前、明日学校行くのかよ?」
「……あ、明日は頭痛が痛くなる予定だから……!」
「お前、喧嘩しすぎだろ……誰とやってきたんだよ」
「……番長」
「また勝てなかったのか」
「殺す!」
「うわっ! おいやめろ!」
ドスッ! と透の頭のあった場所に拳が埋まる。ずぼ、と引っこ抜くと綿が見える。慌てて透がクッションを置いて誤魔化し、光を睨み上げる。
「お前な」
「煩いわね! ったく、今日は策を弄したっていうのに、それでもアイツ倒れなかった……! 正攻法じゃまだ駄目ね。一回くらいダウン奪わないと勝てるイメージ湧かないわ!」
ギリギリと雑誌を握りしめて歯を軋ませる光に、イノシシ以上の威圧感を感じる。
そんなイノシシを簡単に倒した古代紫。彼の底は一体どこにあるのか透は計り切れないでいた。
――あの人、光に勝てるかな。
「今度は地雷仕掛けたいわね……何かトラップを……イノシシ用の罠作ろうかしら……いや、あの男はそれじゃあ止まらないわね……」
ぶつぶつと企む妹を見上げて、いやいやと首を横に振った。
――あの人は正攻法な人だ。大工が出来て家も建てられて、自給自足で生きてるし……
「何か獲物をぶら下げようかしら。……たしか忍が薙刀持ってたわね。借りようかな……」
「お前、喧嘩はノーフォルダーが一番いいって言ってただろ」
「そうだけどー」
「あんまり武器はよくないんじゃないのか?」
「これだけボコられて武器の一つも持たないなんて相手に失礼よ。つまりアマチュアがプロ棋士にノーハンデで打ち合いしましょうって事よ。舐められてるのよ。私だって弱い相手がいくら武器を持とうが構わないもの。どうせ勝っちゃうし。相手も楽しみたいでしょうからできる限りは見栄えよくするわ」
「けどその見た目じゃ明日学校行かないんだろ?」
「治ったら着飾っていくわ。最高のデートにしてみせる」
「お前の相手させられるなんて不幸な奴だな……あ、そういえば海老杉先輩とはどう、」
ドスッ! と、穴の開いたソファーを隠すクッションに更に穴をあけた光は、絶対零度の視線で射抜くように実の兄を見下した。
「その話題は金輪際しないでくれる?」
「お……おぉふ……」
「やっぱりイノシシの罠も薙刀も使うわ。番長よりもまず先に屠る相手がいたわね。思い出させてくれてありがとう」
「お……おぉふ……」
メキメキ、と、目の前の光の拳の骨が軋む音を聞きながら、海老杉の敵意を隠した笑みが黒の額縁に入れられ、喪服姿のおばさんに抱えられ、小さな葬式を開いている様子を想像した。
そこには光もおり、まるで自分も死を悼むようにさめざめと泣いている。厚顔無恥もいいところだ。
どすどすと階段を上って行った光に、透は俯せのままやっと安心を手に入れてそのまま眠りに落ちてしまった。










20140312



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