第二十四話





爽やかな休日は散歩日和だと、ふらりと歩いたのが悪かった。パーカーのポケットに入っていた『最強求む者求む』のチラシを発見し、ふらふらと歩いている場所が、その記されている住所に近かったためか。
久々の休日に妹もふらりと朝から出かけてしまい、家はとても平和だったのだが、そういう日に限って透も外に出たくなった。
家に光がいる間は平穏が訪れない。ゲームをしていても無造作に部屋に入ってきて「ソファーになって」と言って何時間も全体重をかけられ、おやつのゼリーを食べていたら「それよこして」とジャイアンばりに無理矢理横取りして全て食べる。
家の中にぼこぼこと落とし穴があるように光がひょっこりと顔を覗かせ、透の足首を掴んで引きずり、すべてはぎ取る。山賊のようだ。
「鬼の居ぬ間にゲームでもしようかと思ったけどな……」
珍しい場所に少しわくわくしながら歩いているとなだらかな坂道が見えた。
日長山。150m程の山で、直線ならば距離は短いが、坂の角度が低いため頂上付近にある道場につくには結構な時間と体力が削られるだろう。
「確か小さい頃来たことあったなー」。
おぼろげな記憶の中で、確か古びた道場があったようななかったような。山の主を探しに行くぞと妹や友達と何度か上ったことがあるが、あまり記憶が無いのは何故だろう。無い記憶を呼び起こしながら透は坂を上り始めた。
一時間過ぎたころ、たしかここらあたりだったようなと思い始めた瞬間、上から降りて来る人影が見えた。
とぼとぼと痩せたTシャツにジーパンの、ひ弱そうな男性が俯いていた。透とすれ違う瞬間に顔を上げ、視線がぶつかった。
「あ……」
何か言いたげな様子だったが、彼はそのまま通り過ぎて行った
「な、なんだろう……?」
小さい背中を見送り、また透は歩みを進める。
昔の映像以上に古びた道場の頭が見え始めた。
上り続けて全貌が見えた。想像していた以上に古ぼけていて、透は一瞬ここに人が住んでいるのか少し不安になった。
だが、立てつけの悪そうなドアの横に、真新しい表札が出ているのを見て考えを改めた。
『古代紫』
珍しい名字だとまじまじと見ていると、かたん、と、ドアが動き、がたがたと横にスライドして開いた。
そこには着物を着た長身の老人がいた。髭を生やし、眉間に刻まれた皴は長い年月で噛みしめた苦渋を表しているようで、透は息を飲んだ。
「……あの……えっと……」
そしてすぐにどこかで見たことがあるなと思い、赤い夕焼けが閃いた。
針入高校の体育館の後、商店街を歩いていた時だ。光が帽子を飛ばし、それを拾ってくれた老人。
――あの後、なんか光の様子が変だったけど……。
古代紫は透をじっと無言で見下ろすだけで何も発しなかった。一歩後ろに下がり、こんこんと壁を叩いた。
「?」
そこには張り紙がしてあった。「座ってお待ちください」と書かれていた。まるで病院みたいだなと思いつつ、おそるおそる敷居を跨いで中に入った。
外と中は大して変わらず、薄ら汚れた壁は長い間蓄積された埃や汚れが付いており、床には隕石が落ちたようなクレーターのような穴がでこぼこと開いていた。
とりあえずというように床だけは拭いたみたいで、そこだけ埃が積もっていなかった。
「お、おじゃまします……」
靴を脱いで一段上に上がる。何十畳もある道場の中は少し肌寒い。板張りの床の冷たさが透の足裏から染みわたってくる。周りの木々のせいで日差しが入りにくいためなのか、それとも後ろでガタガタと音を鳴らして扉を閉めている老人のせいなのか。
――な、なんかヤバい?
全然招かれている気配のない事に透は少し焦った。
入ってすぐ左側には老人、古代紫が住んでいるのであろう居住区に続く扉があり、彼はすぐにそこに入って行った。
取り残された透はとりあえず、ぽつんとおいてある座布団に座る事にした。
しーん、と、町中から離れた山の中にある道場の静けさと冷たさが、待期する透の頭に降り積もる。
――もしかしてお茶でも持ってくるんだろうか……あ、遠慮なくって言えばよかった! でも何も言われてないしな……っていうか、あの人めちゃくちゃ強そうだな……光る並にスパルタだったらどうしよう……っていうかここは道場なのか? いいのか? なんか勝手に待ってるけどいいのか?
そわそわとし始めた透に呼ばれたように、ギィ、と、ドアが開き古代紫が戻ってきた。
透がそちらを見ると片手にはお茶でもなく包丁が握られていた。
あまりにもナチュラルに包丁を持っているので、光が不良から没収した珍しい釘バッドを土産に持って帰った時を思い出した。
お笑い番組をソファーに座ってみていた透に「これよかったらあげる」と、嫌がらせの他何物でもないと思って受け取ったが、光自身は純粋な土産として持ってきたらしく、少し笑っていた。
――もしかしてお茶菓子的な感じで包丁をくれようとしてるのだろうか……。
ぼんやりと、人の気配から離れた珍しい場所に浸されている透がぼんやりと、切れ味のよさそうな包丁を持って近づいてくる古代紫を見上げた。
すぐ目の前に立つその姿はヤグザのように貫禄に満ち溢れ、毎日人を殺さないと調子が出ないと吹聴しても誰もが納得するだろうと思える強面。
透は尚も五月病患者のようにぼんやりと見上げている。
「あの、」
ひゅ、と、包丁が振り上げられた瞬間我に返った。
――……殺される!?
やっと当たり前の事を当たり前に判断した透がひゅっ、と息を飲んだ。
鋭利な包丁が透の視界から消えた。振り下ろされた刃の切っ先が、鎖骨に当たった。
見上げたまま硬直した透に感染したかのように古代紫も動きを止めた。
――……デジャブ……。
千歳と初めて会った時も、こうして刃を向けられ寸止めされ、透はぴくりとも動けなかった。
包丁を引いて床に置き、古代紫は真顔で手を叩いた。そしてどこから出したのか分からない小さなくす玉の紐を引っ張り、そこから垂れ幕と紙吹雪がパラパラと申し訳程度に綺麗に磨かれた床に落ちた。
『祝! 一番目の合格者! おめでとうございます!』
「…………えっ? 合格?」
垂れ幕の文字に思わず顔を前に出してまじまじと見る。
合格、おめでとうございますという単語を何度も確認した後、塔のように遠くにある古代紫の顔を見た。
相変わらずの強面な髭面の老人が、ぐっと親指を立てて頷いていた。
「……う、嬉しいです……」
こくりと頷き、くす玉と落ちた紙を丁寧に拾い上げ、座布団に正座し傍にそれを置いた。
真正面に座った古代紫は、胸元から紙の束と筆を取り出し、さらさらと何かを書いている。
――な、何だ? もしかして誓約書とか? 私の修行で何が起きても一切の責任は取りません。とかそういう……!?
膝の上に握りしめた拳を置いて待っていると、書き終わり紙を透に向けた。
『来てくれて本当にうれしいよー! チラシ配ったのに誰も来てくれなくてさー! さっきも一人来てはくれたんだけど泣いて漏らして大変だったんだよね! 君の名前教えてくれない!?』
「えっ、ええええええ!?」
砕けた口調を凌駕するかわいらしい丸文字に透は思わず絶叫した。古代紫はすらすらと絶縁状を認めるように筆を走らせまた透に見せた。
『ははは!(笑) 僕の話し方にびっくりした? よく言われるよ! けど声が出せないから仕方がないよ、慣れてもらったらきっと平気だから!』
「いや、それよりも……! ……いや、な、なんでもないです」
全体的にかわいらしいハムスターが丸まったような文字も慣れればいいのかと、透は首を振った。
声が出ないのか出さないのか、態々筆談をする相手に無駄話も迷惑だろう。
――頑張って書いてくれてるんだ。変な茶々は入れないでおこう。 『ところでこの内装どう思う? 僕的には奇をてらった花柄とか名前的に紫とか入れたら超シャレオツだしジョークも兼ね備えていいんじゃない? って夜中のテンションで決めかけたんだけど、やっぱりシンプルなものがいいよねーって結論になっ』
――めちゃくちゃ雑談しようとしてる!
真顔で表情金が全く動いていない古代紫の紙に入りきらなかった文字を更にさらさらと書き続けている。
『たんだけど、チラシ配って人が来はじめたらなんか気になってね。若者のセンスがほしいんだけど、どうかな?』
「え、いや、いいと思いますよ。なんか、清潔感があって」
『清潔感かー! 店の内装ならそれでもいいのかもしれないけど、生活感がほしいんだよねー。生きてるって感じというか、僕の人柄が出てるっていうか、ああ、こういう人間なん』
そこまで書いた紙を透に渡す。
『だなーってわかっちゃう感じというかさ、一目で見て取れる感じがほしいっていうか。花が好きな人は花柄で感じでストレートな感じがいいんだよね!』
「はあ……」
『最近DIYっていうんだっけ? そういうのも流行りだし、ついでに色々好き勝手にやっちゃおうかなーって思ってて。君は大工仕事とか興味ある? 家を弄ったりリフォームする事に抵抗感あったりとか。よかったらこれから一緒に園芸も手伝ってくれないかな? 楽しいよー!』
「あ、あの」
『トマト植えよう! 甘 何?』
「えっと、その、俺、あのチラシ見て……力求む者求むって……もしかしてバイト的な感じなんですか……?」
園芸やらリフォームやら壁紙やら、そちらへ斡旋しようとしているのか何なのか表情から全く見て取れない。
かといって文面から読み取ろうとすると無表情とのギャップが激しく、情報の齟齬が生じる。
『そんなこと無いよー! 純粋に弟子入り者を探してるよ! 失礼だな!』
「すみません……」
『でも僕と同じ興味があってくれると嬉しいよね! さっきの人はまったくそういうの好きじゃないって言ってたから……』
「もしかして、さっき降りてきた人って……」
『うん! あの見せかけの殺意に気づけるかどうかの試験だったんだけど不合格だったんだ。君は僕に殺気が無い事に気が付いてそのままでいただろう? ナイスナイス!』
太い親指を立ててグッグッと数回プッシュされる。どうやら日々培われた本物の殺意に触れていた為の棚ぼただったようだ。脳裏で光や千歳の高笑いを想像し、頭を振った。フランクな動きをつけても表情筋は全く動く気配たない。
「は、はあ……」
『とりあえず君は僕の弟子ね! 僕は師匠! 師匠からのお願い聞いてくれるかい?』
「え、あ、はい」










20140311



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