第二十三話





上を向くと冷たい目をした光が、ブラウスを丸い柔らかい胸で押し上げている菫に押し倒されている透を見下ろしていた。
「まだ玄関直してないの?」
「この状況で聞くか?」
「何顔赤くしてんのよ」
「鼻だろ。ずびっ」
「何鼻血出してんのよ」
「鼻水だろ」
「鼻の下伸ばしちゃって」
「鼻水出そうになってんだよ! は、……ばくしょんっ!」
「ふりょーのお兄ちゃん風邪ひいたの?」
「そうじゃないと思うんだけど……」
ずびずびと鼻を啜る透の上から、くらりと眩暈を感じながら立ち上がった。
澄ました顔をして乱れた髪を整える。
「よくわからないけど、頭も痛いしさくらも送って行かなくちゃ私も食らうし帰るわ」
「あ、そうです……ばくしょいっ!」
頭痛を覚えるようで眉間に皴を刻む菫に、さっさと帰ってもらいたい透は笑顔とくしゃみで見送ろうとしたのだが、シャワー上がりの光は頭の上に電球をだし、手を叩いて菫に微笑んだ。
「ちょっと待ってくださーい。お姉さん、その子の保護者なんでしょう? 子供の責任は保護者の責任という事で、少しお手伝いしてもらえませんか?」
「はくしょんっ!」
猫なで声に寒気を感じくしゃみを放った。明らかに光が原因のその一発に、光自身も気が付いたようで透に冷たい目を一瞬向けた。
「玄関壊れちゃったんで、針入の不良さん連れてきて直すの手伝ってくれませんか?」
「……へえ、貴方確か光ちゃんよね? 意外と肝が据わっているというか……針入高校の番長右腕の私にそんな事言うなんて」
「いい汗流した方が皆さんとても元気になりますよー」
「まあ、そうね。どうやらさくらが貴方にも怪我させたみたいだし。女の子にとっての傷の値段としては安いものね……わかった、呼びましょう」
光の怪我もさくらのせいだと思い込み、携帯を取り出し不良を呼び出す菫の傍で透が光に耳打ちをする。
「お、おい。いいのか? あいつ等呼んでも……」
「別にいいわよ。暴れたら暴れたで、私が殴り返しても文句言わないでしょ。それに意気消沈してるみたいだから、ここらで一発分からせた方がいいかと思ってね。あの女、どうやら仕返しの機会を狙っているみたいだから。手下がいなければただの雑草。いくら息巻いても関係ないわ」
「た、確かに……」
おでこに大きなたんこぶを乗せたまま電話をする菫を見て同意する。
「女王が下す命令に、働きアリが従わなければ脅威じゃないわよ。それをあの雑草女にも分からせてあげなくっちゃね」
ふふ、と悪い笑みを浮かべる光に透が距離を取ると、さくらが透の袖を引っ張って困った様に眉を寄せていた。
「お兄ちゃん、また来てもいい?」
「……………………うん」
「わーい! やったー! ありがとー!」
長い沈黙を汲み取る能力は小学生には難しすぎたのか、それともそれを踏まえたうえでの満面の笑みなのか分からないが、松平さくらは嵐のように透に直撃し、嵐のように何もかもをひっかきまわして帰って行った。
暫くすると針入の不良、大工組が金槌片手にやってきて玄関を直していく。
「おい、これでどうなんだよ!」
「違うわ。そこはもっと洋風で重厚感のある中国風な彫り物がしてありました!」
「お前嘘ばっかり言うな! 普通の金属ドアだろうが!」
「ちょっと新橋透君、貴方の部屋つまらなすぎじゃない? ここもリフォームしてもらったらどう?」
「貴方は貴方で勝手に人の部屋に入らないでください!」
 玄関を直している間に、自宅に上がり込み何か弱点になるものが無いかと警察のように、犬の様にいろんな場所を嗅ぎまわる階下で、光と頭に捩じった鉢巻をした巨漢の男が、子供なら泣き出して逃げる顔をして見下ろしていた。
「お嬢ちゃん、材料費ってもんにも限度があるんだ。そんなに言われても聞き入れることはできねぇよ」
「えー、でも材料費は全部そちらの右腕さんが出してくれるって言ってましたけど……」
「菫姉さんが!? ……くそ、おい、お前ちょっとひとっ走りして材料全部持ってこい!」
「はいッス!」
 がさごそとクローゼットや机の引き出しを開け、丁寧に白手袋までした菫が床に膝をついて這いつくばる。
「チッ、エロ本とかないの? 弱みになりそうなものは……」
「何ベッドの下もぐりこんでるんですか! ああ! クローゼットまで荒らして! 泥棒じゃねーか!」
「針入のみなさーん! お疲れ様でーす! 差し入れの缶コーヒーどうぞ!」
「おぉ、悪いな」
「どもッス!」
「あ、この釘打ち終えてからもらいます」
 ふー、と、以前よりも断然ゴージャスになった玄関扉を作り終えた不良は胡坐をかいて円陣を組むように丸く座り、缶コーヒーで乾杯した。満足した光は、にっこりと社交性たっぷりの笑顔で媚びるように身体を揺らしながら無邪気に話しかける。
「いやー、皆さんも大変ですね。トップ自ら枕営業する人の下にいるなんてー」
「ブッ!」
 全員口から噴射した珈琲が、円陣になっていた為中央でぶつかりそのまま地面に黒い水溜りを作った。
「げほっげほっ! は、はい!?」
「何なんスかそれ、どういう事ッスか!」
「あれぇ? 知らなかったんですかー? あっ、これ言っちゃ駄目だったのかな? 私がお風呂に入っている間にお兄ちゃんに伸し掛かって、自分の出っ張った部分を丸出しにしていやらしく微笑んでいたなんて言わない方がよかったのかなぁ?」
顎に人差し指をあて、こてん、と首を傾げる光に、口や鼻からコーヒーを出した不良たちが困惑する。
確かに色仕掛けをすることはあったが、そこまですることは今までなかったはずだ。
「な、鉛さんに言うか?」
「何言ってんだよ、本当かどうか分からねーだろそんな事」
「そうだよなー! あの菫姉さんがそんな……」
突撃した事実に傷をなめ合うように不確かな言葉に狼狽える針入の円陣の上の透の部屋の窓ががらりと開き、菫の声と透の声が響き渡った。
「ああ、もうこんなにぐちゃぐちゃにして! 信じられない! どうするんだこれ!」
「だってしょうがないじゃない。我慢できない女なの。貴方がなんとかして頂戴」
「無節操にも程がある! 貴方女だろ! もっとちゃんとしろよ!」
「ちゃんとできたら苦労してないわ。それに、貴方だからこういう風にしてるのよ」
「自慢げにいう事か!」
ばさばさと布をはたいている透の珍しい怒号が降り落ちて来る。全員が言葉をなくし見上げていると、ひょっこりと菫がボタンを数個開けて下を覗き込んだ。
「終わったの? ならさっさと帰るわよ」
「は、はい……」
不良たちの困惑顔に菫は首を傾げる。その背後で透がまた大きなくしゃみを零す。
「ふふ、どう? うちの不良たちの実力は」
「喧嘩じゃなくて大工さんならとってもいいなって思いますけどー」
にこにことお辞儀をする光に、菫は白魚のような手を差し出し、光の手をぎゅう、と力いっぱい握りしめ、耳元に口を寄せた。
「悪いけど、私は枕仕事なんてしたこと無いわよ?」
「えー? なんのことですかぁ?」
「まあいいわ、……お兄さんによろしく言っておいてね」
吐息交じりの声音に光の笑みがぴくりと反応する。耳に吹きかけられた吐息に怯むことも臆する事もなく、笑顔で頷いた。
「はい!」


「あー、やっと帰ったかー……なんか今日は疲れたー……」
直った玄関を見て、透もさっさとお風呂に入ってしまおうと腕を上げ、背筋を伸ばしながら脱衣所に入って行った。
玄関に入った光が靴を脱ぐ前に、握られた手を広げる。
そこには四角におられた小さなメモが入っていた。広げると電話番号とメールアドレスが記されていた。
「……女にモテても嬉しくないわね」
そう呟いてぐしゃ、と潰してポケットにしまい込んだ。
その次の日、海老杉智彦という男にロックオンされる事になる光は欠伸をしながらリビングへ透と同じように腕を上げ、背筋を伸ばしながら入って行った。











20140304



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