第二十二話





妹の遅い登場に、透はしっかりと肩から力を抜いた。目の前に落ち着いたライオンが飴を転がしていても決してリラックスする事は出来ない。これで暴れられても何とかなる。
「さっきそこで針入の女いたんだけど何? アイツにやられたの? ならもっと傷めつけとけばよかった!」
「いやいや、それはこの子が……って、お前それどうした!?」
苦虫を噛み潰したような顔をして現れた光は、頭から血を流し、垂れ落ちそうになっている血を親指で拭っていた。
「まさかあの四季とかいう人にやられたのか!?」
そんなに強かったのかと驚く透の横を通り過ぎ、どしんどしんと冷蔵庫に近づいて中から水を取り出し、ぐびぐびと飲み干した。袖で口元を拭った後、透を睨み下ろす。
「違うわよ馬鹿! あんなクソ女に負けるわけないでしょ! 番長よ! 燐灰の番長! 喧嘩売りつけに行ったらこのざまよ! ふんっ!」
「友達とカフェに行くとか言ってなかったか?」
「嘘に決まってんでしょ! 昼間海老杉とやった後すぐに行くっていったら、アンタ止めてたでしょ」
「まあ、やめてほしいとは思うけど……っつーか、うちの番長ってお前以上に強かったのか……知らなかった……」
「ええ、私も今さっき身をもって知ったばかりよこのクソ虫! あーもう、舐めてかかるんじゃなかった! 最初から本気を出せばこんなことには……ん? っていうかこの子は誰?」
額の血をうざったそうに拭いながら訝しげにさくらを見下ろす光に、堂々と立ち上がり、腰に手をあて、警察官の様に敬礼のポーズを決めた。
「松平さくらですっ! 小学四年生ですっ! 大好きなものはキャンディーですっ!」
「私は新橋光です。高校一年生です。大好きなものは血なまぐさい喧嘩です」
「小学生になんちゅー事言ってんだお前は!」
「だから負けたけど意外とすっきりしてるのよ。負けちゃったけどね。勝てばお姫様抱っこしてあげるくらいには機嫌よかったのにね」
「いらねーよそんなもん!」
心底嫌がりながら、タンスからタオルを取り出し光に投げつける。とりあえずごしごしと顔の血を拭いた後、赤く染まった血を見て更に眉間に皴を刻む光の顔に残った傷痕を見て透は少し目を瞠った。
――アイツあれだけ怪我してたのか……。
殆どが返り血だと思っていた透は、数ある傷痕を見て光が負けたという事実を改めて噛みしめる。
「……消毒するか?」
「その前に汚れ落としてくる。シャワー浴びるけど、私があがる前にこの子と玄関どうにかしときなさいよね」
「えぇ!? いやいや無理だろ!」
 キャンディーを食べて闘志の炎は沈静化されたさくらは返すことができるだろうが、あの破壊された玄関はどうにもならない。ボンドをありったけ持ってきたとしても修復不可能だ。
「無理じゃない」
「そんなはっきり言い切っても無理なもんは無理だから!」
「ふざけないで」
「お前はマジなのかよ」
「当たり前でしょ。あんなプライバシーゼロなオープン状態でどうするのよ。ドアは開閉出来てこその存在価値でしょアンタの身体を使ってでもふさぎなさいよね」
ふん、と浴室へ歩いていく光を見送って、透は大きなため息をリビングで吐き出した後、のろのろと廊下に出て破壊された玄関へ足を向けた。
とりあえずできることはしておこうと思い向かったのだが、そこには玄関の残骸の上で、髪をぐしゃぐしゃにして俯せで行き倒れの様に倒れている四季菫の亡骸があった。
「ぎゃああああああ!」
「お兄ちゃんこの飴他にないのー? って、ああああ! 菫お姉ちゃん!!」
「は!? お姉ちゃん!?」
「そんな! 誰がこんなひどいことを!」
キャンディーをもごもごと口内でうまい事転がしてぺらぺらとしゃべるさくらが、わっと菫の死骸に駆け寄り抱きしめる。
その台詞でなんとなく、この騒ぎの原因が何だったのか理解出来た。
――なんで俺の知ってる女の子は皆こうなんだろ……。
シャワーの音がかすかに聞こえる中、俯せになった菫のポケットを漁り、飴を発見したさくらが勝手に食べて、頬に手をあてて喜んでいる。
「あっ、これいちごみるくだー! おいしー!」
「ちょ、お姉ちゃん怒るんじゃないの?」
「だってお姉ちゃんじゃないもん」
「さっきお姉ちゃんって……」
「違うーお姉ちゃんじゃなくて…………でもお姉ちゃんなの」
途中、言葉を探すようにすべての動きが停止したが、次に動いた時には説明する気を無くした気まぐれな女子小学生が笑顔で締めた。
透もそれ以上追及することなく、とりあえず人目につかない様にと菫を中に引き上げようと、両脇に手を入れて死体を引きずるように持ち上げた瞬間、家の前をお隣のおばさんが通り過ぎていた。
こちらを見て、珍獣を発見したように、急にライオンに遭遇したように、急に指名手配犯を見つけたように、驚愕の目を持って透を射抜いた。
「……ち、違うんです! これはそのっ!」
弁明する事も許されず、きょとんとするさくらと共に透は見捨てられたように、隣のおばさんに逃げられた。
隣から玄関を急いで開ける音がして、すぐに閉じられた。完全に逃げ込まれてしまった透は、シャワーを浴びている光が脱衣所にいる気配を感じながら暫く固まっていた。
そして遠くから五時を知らせる音楽が流れ始めた。さくらがぴくっ、と反応してそのまま玄関の外に飛び出て、踊るようにくるくると回ってまた敬礼をした。
「じゃあ、私帰らないとだから! ばいばーい!」
「ちょっと待ってコレ連れて帰ってよ!」
「えー、でもさくら、菫お姉ちゃんおんぶできないし……」
「玄関クラッシャーしといて何をしおらしい事を! とにかく知り合いの君が一緒にいた方がいいだろ?」
「でも、早く帰らないとお母さんに筋肉バスターされちゃうから……」
「どんな教育方法!?」
とにかく早く帰りたい気持ちは分かったが、それでもこのままで帰られても困る。
後ろには光、前にはさくら、腕の中には菫と、どれもニトログリセリンのように何がきっかけで爆発するか分からない。ここに千歳が加われば、透が危険視している女子が全員そろって爆破するしかないのだが、
「くそー、まず手当が先か?」
投げやりになりつつも、とりあえず菫がどうして倒れているのか調べてみる。
ごろりと仰向けに直した瞬間に何が致命傷なのか一目でわかった。
形のいいおでこにぽっこりと、雪玉を押し付けたような大きなたんこぶが出来ていた。
複雑な内出血やら傷があったらどうしようかと思ったが、これは見た目通りシンプルな手当で大丈夫そうだ。
「氷で冷やそ」
さくらに頼むわけにもいかず、冷凍庫に入っている氷を取りに立ち上がった瞬間、がしりと手首に気絶しているはずの菫の手が巻き付いた。
「うおっ」
「菫お姉ちゃん!」
さくらが目を輝かせ抱き付くが、菫はお構いなしに手首を引っ張った。
「うわっ」
予期していなかったこともあり、体制も中腰だったためもあり、菫にあっさりと引き倒された透はマウントを取られ、ニヤリと笑う菫に右手で口元を鷲掴みにされ、口に指をあてて「しーっ」と言った。
「ふふ、記憶が曖昧だけど捕まったのかしら? いい事してあげるから見逃してくれない? ……ん? ……あら、ここどこ? 監禁じゃないの? オープンザドア?」
「それだけ元気ならさっさとお帰りください」
「あら、新橋透……? 何してるのよそんな所で」
「貴方に倒されたんですけど! は……ばくしょんっ!」
きょとんとする菫に下から叫び、くしゃみをする透に、眉を顰めて眉間を指で押さえる。
「まさか飲酒でもしたのかしら……いや、そんな事は……今日は確か私貴方の弱点をと思ってたのは覚えてるけど……」
「あ、やっぱりそういう感じですか……はっ、は……はくしょんっ!」
「よかったー! ね、早く帰ろっ! お母さんに筋肉バスターやられちゃう!」
「えっ、私もおばさんに? それは困るわ……」
菫が顔を顰め、起き上がろうとした瞬間シャワーから出た光が出てきて、廊下に押し倒された双子の兄を目撃した。
双子と菫がぴしり、と停止し、三者相手の動きを伺うように見据えていた。
さくらだけが早く帰ろうと言っているのに、止まった菫に首を傾げた。
「お姉ちゃん、早く早く!」
「こ、これはちがっ……は……ぶぇくしょんっ!」
口を手で押さえながらくしゃみをする透に、菫はふん、と鼻で笑って顔を近づけた。
「あらあら、花粉症かしら? 次は杉を手土産に来てあげようかしら?」
「は? いや、俺花粉症とかじゃ……」
鼻をむずむずとさせながら否定する透の顔の真横に、どんっ、と、柱が立ったような芯のある足が踏ん張った。










20140301



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