第二十一話





松平さくらは普通の少女だった。普通に甘いものが大好きで、異常に飴が大好きだった。
ころころと舌で固くて甘い飴を転がす感覚が大好きで、乳離れできない子供の様に常に飴を持ち歩いている。学校で何度か注意されたが、その度に泣きわめき、我慢が出来ないのだと地面を叩いて駄々をこねた結果、学校は折れた。
こねる駄々が窓ガラス破損、壁に飴をめり込ませるなど許容できる範囲を逸脱していた為だった。
さくらはにこにこと普通の生徒と変わらず過ごしている。
教師の間で檸檬小学校の中でもトップクラスの問題児とされているさくらは、飴に関すると周りが見えなくなってしまう事が教師の悩みの種だった。
「さくらちゃんって甘いものが好きなの? 糖分過剰摂取しないと死ぬの? 命に関わるの? それとも馬鹿なの?」
檸檬小学校の中でもトップクラスの問題児の一人が、さくらにそう問い掛けても飴さえ舐めていれば小首を傾げて終わりだ。
意地悪とも取れる言葉だが、丹は純粋な興味で尋ねていた。さくらもそれを理解して簡単にいなした。
「さくらちゃんってなんでそんなに飴持ってるの? 武器なの? 薬なの? 誰か殺す予定でもあるの?」
いちご味の飴さえあればそんな言葉もさくらには右から左だ。飴が無くても右から左だが、それは言葉ではなく人が物理的に移動することになる。
問題児の一人の丹は、いつものようにさくらに疑問をぶつけるとスルーされたので、さくらの口の中にあるキャンディーを取り上げてみた。書道が飾られている教室の背後に吹き飛ばされた。
「まるで麻薬だね」
頭から血を流しながら冷静に一言、松平さくらの飴欠乏症の症状が現れ、発狂した姿を見て呟いた。教室の中はまるで戦場の様に、さくらが飴を探し回る姿に阿鼻叫喚で逃げ出していた。
その中の一人、こんなことがあろうかとと飴を持っていた生徒が、まるで節分の豆まきの様に飴をさくらに投げつけた。
悪魔のように開いたさくらの口に飴が転がり込めば、通り雨のようにあっさりとさくらは意識を取り戻し、机だけが暴虐の名残として残っていた。
まさしくさくらは飴が無ければ生きていけない程依存していた。
「とりあえず、さくらちゃんに頼み事をしたいときは飴を持っていればいいって事は十二分に分かったよ」
あはは、と見舞いに来た同級生に笑い話として結論を出した頭を縫った丹を見て、担任の教師はクラスの担任を変えてほしいと校長に打診した。
だが未だ担任はさくらと丹のいるクラスで授業を受け持ち、学校に持ってきた大きなキャンディーを自慢げに見せびらかすさくらから視線をそらし、そのまま下校するまでずっとキャンディーはさくらの手の中にあったのだ。
そう、確かにあったはずなのだ。



ドシュッ!

「誰だうちの盆栽を割ったのは!」

ドシュッ!

「きゃあ! 家宝の花瓶がっ!」

ドシュッ!

「ああっ! おやつのドリアンが!」

ドシュッ!

「タイムセールで手に入れた卵がっ!」

このままでは俺の頭も吹き飛ばされると、背後からマシンガンを乱射する殺し屋が走って追いかけてきているような危機感を覚えながら、透は必死に走った。
近隣住民の方に多大なご迷惑をかけているさくらは、猪のごとく真っ直ぐ透しか見ていない。
――そうだ、小学生だからって、女の子だからって油断していた!
もはや近づく人間すべてが透にとっての敵だというように考えを改め、曲がり角を曲がった。目の前を弾丸のごとく飴が横切りった。塀がぴしっ、と罅割れる。
妹の光もあの年齢の時からすでに透以上に強かった。いまどきの子は昔以上に成長が激しいと聞くが、
「うわっ!」
透の鼻先すれすれで飴が飛んでいき、遠くの電柱に埋め込まれた。
――ここまで酷いとは!
ちらりと背後を見ると弾丸補給をしているようで、足を止めて缶をまっさかさまにして、口の中に放り込んでいる。
その隙に透は声をかけるべく、口に手をそえて叫んだ。
「君は勘違いしている! 俺はフランクフルトを食べていただけで、キャンディーなんて知らない!」
「もごもご!」
「な、何言ってるかよくわかんない……」
「もごもごもごっ! …………〜〜〜!! 〜〜!!」
「な、何言ってるか……え、詰まった!? マジ!?」
もごもごと口内で飴を転がしていたさくらだが、徐々に顔色を悪くし震え、胸元を握りしめて空に手を伸ばし、溺れているように手をばたばたと振る姿は、正月に餅をのどに詰まらせた老人のような動きだった。
透はすぐさま近づき、背中をばしばしと叩いて飴を吐き出させた。
「げろげろー!」
ころころと大量の飴がダンプカーに積まれた土を下ろすように道路に転がっていく。完全に体積と見合わない飴が吐き出されたわけだが、透はさくらの背を叩きながら困った様に四つん這いになった女子小学生を置いて帰るわけにもいかないので、誰かバトンタッチしてくれる人はいないかと、キョロキョロとあたりに視線をさまよわせた。
さくらが放った飴の一つが埋まった電柱の陰で、オペラグラスを片手に持って菫が二人を見ていた。
――さすがに手は出さないみたいね。でも、逃げてるだけじゃ、飴の事で手一杯のあの子は止まらないわよ。
持っていたランドセルから引き抜いたキャンディーをこっそりと透の方へ投げた。
「ん?」
地面を滑る棒付きキャンディーを見つけた透は、さくらの背を撫でながら拾い上げた。
「なにこれ、キャンディー?」
さくらが落とした物だろうかと透が指で挟んで回していると、その声に反応したさくらが、地獄の淵から這い上がるように顔を上げ、透が持つキャンディーを目にした。
綺麗に包装されているキャンディーは、ビニールに包まれてきらきらと輝いている。
リバースしてでも返してもらおうと思っていたさくらは、その姿にきらきらと負けないくらいに瞳を輝かせた。
そして愚直なまでに、キャンディーを持っている人物を見上げた。所有権は今、さくらにはない。
「いい? 最初に遊んでいたのはたっくんなんだから。さくらちゃんは順番待ちしないと」
幼稚園の時、ブランコに乗りたくて乗りたくて仕方がなかったさくらは、ブドウ味の飴をなめ、制服の裾を握って楽しげにブランコに乗っている男の子を見ていた。
がりがりと、普段なら味わうはずの飴を噛み砕いて飲み込んで、また新しい飴を口の中に放り込む。
おもちゃも遊具も、何もかも最初に手にしている人間、手にした人間にしか遊べない。食べれない。じわりと幼稚園の先生の注意する声音を思い出し、視界が歪んだ。
「う……うわああああんっ!」
「えっ、何!?」
鉛を泣かすような男だ。意地悪してキャンディーを返さずにさくらの目の前で開封して、おいしそうに食べるだろう。
ぶんぶんと頭を振って嫌がるが、戸惑う透は暴れるさくらから距離を取る。必然的にキャンディーも遠のき、さくらの予想が確定された。
この男は自分からキャンディーを奪う。
ぽろぽろと涙をこぼしながら、ドロップ缶を投げ捨ててポケットからまた新たな飴を取り出した。
駄菓子屋でよく見た、指輪型の飴だ。透が懐かしく見ていると、それを四個取り出し右手の指に装着した。
――ああ、俺もよくやったなー。あれで指輪じゃなくて、男子はメリケンサックにしてた……っけ……。と、過去に浸っていたその時、
「私のキャンディー返してよー!」
ドゴッ!
「ぎゃああああああ!!」
顔に向かって飛んできた拳を避けると、背後の塀が砕け散った。大きな船が氷山にぶつかってもこんな風には壊れないはずだ。
それが女子小学生の手に装着した、昔ながらの指輪型の飴をしているとはいえ、パンチで砕けるなんて。
「嘘だろ、光みたいな女の子がいるなんて……!」
電柱の陰から覗く菫が、ん? とその破壊力に首を傾げる。
「あら……ちょっと前まで罅入れるだけだったのに、あんな爆砕するなんて……成長期は凄いのね」
疑問をあっさりと成長期という言葉に集約した菫は、避けるだけの透に焦れ始めた。
――逃げるばかりじゃ解決しないわよ。さあ、早く戦いなさい。そして弱点を晒すのよ!
わくわくと、あの小さな女の子に攻めあぐねいている透を見て優越感に浸る。これだけ自分の思い通りに動いてくれるさくらに相反して、新橋透のセキュリティーは頑丈だ。まったく思い通りに動いてくれない。
その透はこの戦闘力の高さに、女子小学生という言葉を押しのけて、理性の無くなった戦闘サイボーグのような剛力に一つの結論に至った。
――これ俺死ぬね。
冷静な判断によって透はどうすれば助かるか一つの結論に至った。
――これ光じゃないと無理じゃね。
大抵の事は光に全て原因があるが、これは一体どういう事か、珍しく透がらみの事件だ。
千歳の時以上に光とまったく関係ない状況だが、致し方あるまい。土下座でも何でもして妹に事態の収束を懇願しよう。
さっそく光に連絡しようと開いた携帯が、パンッ! と、手の中で破裂した。
何故と思う暇もなく視線の先にいるさくらは、口をもごもごと動かし、両手の指には指輪をつけている。
飴補充完了。ぎらりと殺意に満ちた瞳を透にロックオン。突き出した唇はしっかりと透の眉間を狙っている。
ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ!
「ぎゃあああああ!!」
今度は表面がざらついた大きな飴を吐き出しているためか、威力が更に向上していた。
ぎゅるぎゅると回転が収まらず、壁の中で暴れ回っている。そして貫通し、民家の窓を割った。
「ぎゃあああああ!!」
透がそれを見てまた叫び逃げ出した。全速力で無意識に自宅方向へ向かう。
その間に他の塀や電柱に流れ弾が埋め込まれる。無鉄砲に打ちまくる飴が、菫が覗き込んでいるオペラグラスに向かって飛んできた。
「ひっ!」
菫が慌てて目から離すと、がしゃんっ! と粉々に砕け散った。
「あの子全然成長してないじゃない! 周りの事見なさいって皆に言われてるのに!」
あの子の担任も大変ねと、予備の双眼鏡を取り出して二人の動向を見守る。
――ただ逃げてるわね……さくらも全然当たってないし。ここは私が一つ何かするべきかしら……
ふむ、と考えている菫の視界に丁度いいものが丁度いいタイミングで通りかかるのを見た。
「あっ、丁度いいところに!」
菫が手を打ち鳴らしてすたこらさっさとそちらへ向かった瞬間、透がいきなり足を止めた。
「ぎゃあああっ! って、ここ俺の家じゃん!」
背後からの追跡者に気が付かなかったが、さくらの飴が激突した表札の新橋という文字を見つけ、慌てて急ブレーキをかけ家の中に入った。
「光ー! 光ーー! ヤバいって光ー!」
玄関に入って叫んでみるものの、人の気配は全くといってない。背後からどんどんとドアを叩く音は、電気はすべて消されて薄暗い家の中にいる透から見たらただのホラーだった。
「キャンディー……キャンディィィー……」
「ひいいい! だ、誰かー! というかなんか武器! 武器を……!」
靴を脱ぐことも焦りままならない透の背後でガシャンッ! と、手では開けらず切れたさくらが、飴を鍵穴に発砲した後、全てを叩き壊すようにキャンディーサックでドアをぶち破った。
「ぎゃああああああああ!」
もう喉はがらがらだが、それでも透は叫んだ。瓦解したドアから覗くツインテールの悪魔が、こちらに目の照準を合わせた。靴を乱暴に脱ぎ捨て慌ててリビングへ向かう。そこには誰もおらず、机には『買い物行ってきます☆』という母の置き手紙しか残っていなかった。
がぱ、と口の中には何もないさくらがずんずんと靴を脱いでリビングまで入り込みながら、ポケットに手を突っ込み飴を探している。
「ま、待て! ハッ! キャンディー! これ返すから! な!?」
「ぐぎゅるるるるる」
「腹の音!? ハッ! そうだここに光が隠していたあの時の菓子がたくさんあったような……!」
「ぐりゅりゅりゅりゅ」
「ええいままよ! くらえ! 菓子攻撃だっ!」
棚からお菓子の袋を取り出し、袋を開けて投げつける。ポテチにチョコレートをぶつけても、松平さくらはピクリともしない。
「クッ! 小学生の癖にポテチじゃ心揺さぶられないだと……!?」
簡単に買えるお菓子よりもケーキとかクッキーとか洋菓子系の方がいいのかと、棚の中を探すがどこにもない。
「柿ピーでもくらえ!」
ばらばらとリビングに落ちる柿ピーを、さくらは桃色の靴下で踏みつけてずんずんと透に近づいていく。
「うわ、うわ」
飴がすでに底をついていたのか、指輪の飴を口の中にぽいっと放り込み、顔を上下に動かして照準を合わせる。
透が目をぎゅっと瞑り、無我夢中で色々なものを投げつける。手に取るならば爆弾でもナイフでも何でも投げつけていただろう。手近にあったおたまの次に投げたのは、従姉からもらったキャンディーだった。
「………」
ばらばらと固い音がリビングの床に落ちる音が響き渡る。額にぶつかって落ちたキャンディーを拾い上げ、スコープのような光を放っていた眼光は和らぎ、それを口の中に入れた。
「もごもご……」
指輪飴を取り出し、透がばらまいたキャンディーをしゃがみ、一つずつ拾い上げて口の中に放り込む。
まるで凶暴な猿に餌付けが成功したように、透はゆっくりと椅子に座ってその様子を眺めた。
嵐が遠くへ行ったのをしっかりと確認した後、幸せそうな顔をしてキャンディーを貪るさくらに、ゆっくりと机の上に返せと言われていたキャンディーを置いた。
「あの、これ……」
「んむ? んー! えっ!? かえしてくれるの!? もごもご、ありあと!」
「……飴好きなの?」
「うん!」
「へ、へぇ……」
「これおいしーね。食べたことない!」
「う、うん」
「っていうかお兄ちゃんだれ?」
「っていうか、君は誰?」
がらがらの声で最後の虚勢を張ると、玄関から怒号が響き渡った。
「ちょっとこれどうなってるのよ!? わけわかんないし!」











20140301



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