第二十話





子供とは常に無邪気なものだ。大人の視点から見えないものを見て、発見して喜んでいる。
そして大人が見る全うなクリアな景色を、子供は靄がかったように歪曲して見ることがある。
商店街を抜ける子供の背にはランドセルが背負われている。周りの大人を気にせずふざけず黒いランドセルの集団に、八百屋の親父が人にぶつかると大声で叫んでいる。
買い物の主婦の間を縫うように走る小学生は、ふらりと駄菓子屋に寄ってまっすぐな商店街をまっすぐに抜ける事無く横道に逸れる。
小学生が不審そうに電柱を見る。その影に大人が隠れていたからだ。
くっ、と、悔しげな声を漏らしながらその影、四季菫はオペラグラスを目につけて下唇を軽く噛む。
「鉛君ってば『俺はもう駄目だ……筋肉が贅肉に見えてきた……ダイエットしよう……』って萎んじゃったっていうのに! 何を買い食いしてるのよ新橋透っ! 太れ!」
オペラグラスを覗き込みながら、コンビニに寄りフランクフルトをもしゃもしゃとおいしそうに食べている透を、アンパンを頬張る。
もはやなりふり構っていない菫は、先日の透に扮した光からの雑草発言に見た目を気にしている余裕はなくなっていた。
鉛ともども針入の不良のアフターケアをした後、相手の事を丸裸にしてやろうと色々と調べ上げ始めた。
だが、実際に情報収集をする針入の不良は、たった一人に負けたことに全員うつ状態に陥り、引きこもり不登校、挙句の果てには家出や自分探しの旅に出て行ってしまい、人手が足りない。
「猫の手でも借りたいくらいだわ……」
そう呟くと足元に落ちたアンパンのカスに野良猫が集まり、菫の足首にすりすりと身体を寄せ始めた。
「ニャー」
「本当に借りれないんだけどね……やっぱ、人間がいいわよね。言葉通じるし」
しゃがみ込み、自分の言葉を撤回しつつ猫の頭を撫でる。猫はおとなしく撫でられ続け、ニャーとまた一鳴きした。
その声に引き寄せられたのか、またもう一匹菫に近づいてくる影が猫に覆いかぶさった。
顔を上げ、菫はぱちりと瞬きをした。
「今帰り?」
「うん!」
「買い食いしてるの?」
「うん!」
ツインテールを揺らしながら、赤いランドセルを背負い直し、棒付きキャンディーを舐めている小学生、松平さくらが元気よく頷いた。
「菫お姉ちゃんこんな所で何してるの?」
「ちょっと用事があって」
「そうなんだー!」
「さくらは何で燐灰町に?」
「んーとね、前ここでしらないおじさんに飴もらったから、またもらえるかなーって思って来たの!」
「また危ない事を平気で言うわねこの子は」
無邪気に笑う女子小学生は、菫の家の隣の子だ。必然的に真向いの鉛とも交友関係があり、さくらが生まれたばかりの頃からの知り合いで、今こうしてランドセルを背負って一人で歩いているのが不思議なくらい、とても危ない印象を持たせる子だった。
「何度も言うようだけど、知らない人から飴をもらってもついて行っちゃ駄目よ? 学校でも習ったでしょう?」
「うん! 他の子は全然言われないのに、私は毎日言われてるよー。何でだろ。今日は知らないおじさんからも言われたよ」
「もうそれはそれでいいのかもしれないわね……」
「でも、この間飴をもらった知らないおじさんじゃない、知らないおじさんだから、何言ってるんだろうって思った」
「そりゃ、知らないおじさん以上に知らないおじさんから言われてもね」
菫はさくらの頭を猫を撫でたように同じ手つきで撫でながら、透の背をじっと見つめた。
――この私の身体じゃ満足できないっていうなら……もしかしてロリコン? そういえばシスコンだったわね……妹の身体は貧相だった……もしかして……
じっと、ころころと口内で飴を転がして無邪気に見上げるさくらを見下ろす。ぺたんこの胸を堂々と張って、さくらは身体を揺らす。
「えへへー! 菫お姉ちゃんにいいもの見せてあげるっ」
「いいもの?」
「うん! 今日ねー、お母さんに頼んでたキャンディー持ってきてるの! とっても綺麗でかわいくって、おいしそうなやつ!」
にっ、と歯を見せ笑うさくらが、ごそごそとランドセルを漁り始めた。菫はそんなすみれの頭を見下ろした後、ランドセルからつくしのように頭を見せている、とても綺麗でかわいくっておいしそうなキャンディーがあるのを見て、こっそりと取り出し、背中に隠した。
「あれ? あれぇ? ないっ!?」
「どうしたの? かわいいキャンディーないの?」
「えー、でもちゃんとあったよ? 学校でもずーっと綺麗だなーって見てたし……ちゃんと持って帰ったよ!」
「どこかで落としちゃったのかな? ……あっ、見てさくら、あのお兄ちゃん何か食べてるみたいだよ?」
「ふぇ?」
菫が指さす先を、さくらが潤んだ瞳で追いかけた。そこには人ごみの中、のんびりと何かを食べている学ランを着た男子が、近くのゴミ箱にぺいっ、と、何か棒状のものを捨てている姿が見えた。
さくらが眉を寄せた。今しがた探しているキャンディーは棒が付いていて、その先にまるまると固い飴がまるまるとついている。
「……あれ、キャンディーの棒……?」
「さあ、それはどうだろう。でも、もしかしたらそうかもしれないわね」
いけしゃあしゃあと演技臭く話すが、さくらはまったく気づく様子はない。
自分が気が付かないうちに、ランドセルに刺さっていたキャンディーを、あの人が奪って食べて、そのままゴミを捨てたのだろうか。
「あっ、あのお兄ちゃん私知ってる。たしか燐灰高校の悪い生徒だ。不良だよ不良」
「ふりょー……」
悪い人と書いて不良。さくらの疑惑が確信に変わり、ぞわぞわと全身から憎しみを絞り出す。
幼い子供を騙すという行為は決して美しくないが、自分の美しさに自信を持っている菫は、ぺろりとこっそりと舌を出す自分の顔を見つめて全てを許した。
頬に手をあて、さくらを見下ろし薄く笑みを浮かべる。
「喧嘩もとっても強いから、さくらが怒っても大丈夫だよ」
「邦弘兄ちゃんくらい強い?」
「あのお兄ちゃん、鉛君と喧嘩して倒しちゃったの。鉛君泣いちゃったんだよ」
「え!? 泣いたの!?」
「うん、とっても傷ついててね、今もまだ落ち込んでるの」
「そんな……邦弘兄ちゃんを泣かすなんて……!」
わなわなと、筋肉達磨の異名を持つ鉛の泣き顔を想像する。デフォルメされ、まるまると大きな身体をまるくしてぽろぽろと丸い涙を流す近所のお兄ちゃん。
キッ、と、さくらの目にはっきりとした敵対心が生まれた。
「私、あのお兄ちゃんに注意してくる!」
――さて、小学生にどんな手を使ってくるのかしら? 新橋透!



がじがじとフランクフルトを食べ終わった透は、昼間に行われた海老杉智彦とのバスケの試合を思い出して憂鬱に帰宅していた。
妹は友人と呑気にカフェに寄って帰ると言っていたし、煉瓦は何故か応援団から勧誘を受けたらしく、部長と話をすると言って学校に残っていた。
千歳は目が合った瞬間にナイフを投げて「さようなら」と、どこの国で通用するのかそんなご挨拶をしてさっさと取り巻きと帰っていく。
商店街の中、同じ高校の生徒がほぼ見当たらない中、透は商店街の中を抜けていた。
「なんでこんなに疲れてるんだろ、俺……」
ぽいっ、と、ゴミ箱に棒を捨てた後、ポケットに手をいれて溜息を吐く。
ポケットに突っ込んだ何も殴れない拳にかさりと何かが当たった音がした。
「ん?」
取り出すと丸められた紙で、広げると今朝入っていた変な広告だった。
『最強求む者求む!』
「……力かー……」
光は物心ついた時からあの好戦的な性格だった。勝手に透に化けて、勝手に忍に喧嘩を教わり、勝手に忍の師匠と共にさらにその力を磨いていた。
透はと言えばそこまでの情熱もなく、喧嘩もそこまで好きではなかった。
――好きとかそういう感情を、アイツが根こそぎ摘んじゃったんだよなー。
感動ものの映画を見て泣きそうになるが、隣の人が醜いほどの大号泣をしていると頭が冷静になるように、透はやんちゃするという気分が見事に削がれていた。
見てるだけでお腹がいっぱいになってしまう。
素質があるのだからと言われたが、透にその実感は全くない。そして喧嘩する事のデメリットばかりが見えて仕方がない。
「俺まで強くなる必要はないよなー」
新橋家に暴れん坊は二台いらないと、ポケットにチラシをしまい直した瞬間、腰に何かが激突した。
「えいっ!」
かわいらしい声に、その衝撃も千歳が鉄球でも投げつけたのかと混乱した透を冷静にさせた。
「え? え?」
まるでじゃれるように抱き付く細い腕を見下ろして、どうすればいいのか固まっているとその腕が解かれ、透の前に回り込んできた。
赤いランドセル、ツインテール、低い身長、ふわふわのスカート。そしてよく見る怒ったような表情。
「…………な、何か用?」
「お兄ちゃんいじめちゃ駄目!」
「へ?」
「お兄ちゃんを泣かしたらだめ! ぜったいだめ! いじめは駄目だって皆言ってるよ!」
「え、あ、うん、俺もそう思うけど……」
「でしょ!? じゃあもういじめちゃだめだよ!」
「は、はい……」
いきなり現れ正論を言いのける女子小学生に得に反論する事もなく、透は素直に頷いた。肯定された事によって得意げになるさくらはそのまま帰ってしまいそうになるが足を止めてもう一度透に向き直った。
そして無言で小さい手のひらを差し出した。
「?」
透がその手を握りしめ、上下にゆるく揺すると、さくらも笑顔で上下に手を振った。
「えへへー、シェイクハンドー! じゃ、ないっ! 違う! 私のキャンディー返して!」
 機嫌よく笑っていたさくらだが、べりっ、とすぐさま透の手を離して腕を振って叫びだした。
「キャンディー?」
「そう! 私のキャンディーとったでしょ! 食べてたでしょ! さっき見てたよ食べてるところ!」
「俺が食べてたのはフランクフルトなんだけど……っていうか、食べてたらもう返せないんじゃ……?」
「がーん!!」
両手を頬に押し付けて顔を青くする。雷が落ちたような衝撃を受けるさくらに、透は訳が分からないというように首を傾げる。
「あの、君それより返してっていったい何の……」
「……やだ……」
「ん?」
じわり、と、大きな瞳から涙がぽろぽろと零れ落ちる。女子小学生の涙にぎょっとした透に、さくらはポケットに手を入れソレを思い切り引っ張りだした。
「……缶ドロップ……?」
唇を尖らせ、キッと睨み上げるさくらの瞳に、透はぞわぞわと背筋を凍り付かせる。
――こ、これはまさか……!
嫌な予感が頭の中で警戒を促す中、さくらは小さな手のひらの上で、缶をまっさかさまにしてドロップを取り出す。
駄菓子屋で売っている昔ながらのドロップは、まさしく市販の飴そのものだ。
十個ほど手の上にこんもりと乗った飴をさくらはそのまま、薬を飲むように口の中に放り込んだ。
リスのように膨らませた頬をもごもごと動かし、タコのように唇を更に尖らせる。
薄らと開いた唇の隙間の暗闇から、ぎらりと飴が光る光景が見えた。
透の嫌な予感がさらにじわりじわりと身体全てに緊張として伝わる。
まるでその洞穴のような暗闇は、銃口を向けられているような……。

ドシュッ!

そんな音を聞いたと思ったら、透の真横に風が生まれていた。
「きゃあっ!」
そして、背後から何かが割れる音、そして店内にいた女性の悲鳴が聞こえ、透は汗を流しながらゆっくりと振り返った。
ショーウィンドウのガラスの破片が散らばる中、小奇麗な服を着たポーズを決めたマネキンの左胸が、失恋したように丸い穴を穿ち罅割れていた。
そして更に汗を流しながら元の位置へ視線を戻すと、唇を尖らせたまま、頬をもごもごと動かす女子小学生の姿があった。
眇められた目には殺意に似た敵意を内包しており、
「もごもごもごごご」
ぴゅっ! と、また一個、いちご味の飴が弾丸のように透へ向かって発射された。
甘い臭いが硝煙のように透の鼻をかすめる。背後のマネキンの頭がスイカを地面に落としたように砕け散った。
「きゃああ!」












2014027



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