第十九話





時計の長針が5を指していた。かち、と、一分時が刻まれ、昼休憩があと4分ほどしかない事を知らせていた。
校舎の中はとても平和で、残りの休憩をぎりぎりまでグラウンドで楽しむか、早々と教室に戻って本でも読むかと急いでいる。休憩時間の終りの香りが学校中に広まっていた。
その中に屋上から降りて来る一人の男の姿を捕らえ、図書室から欠伸をして出てきた女子生徒が道を開けた。
「あっ」
同じ三年の教室に向かっているその生徒を見送って、頬に手をあてて首を傾げるのは石竹小雪だった。
「あれー? あの人どこかで……んー? でも全然見たこともないような……んー?」
頑張って思い出そうとしている小雪が小脇に抱えている本を持ち直し、考える事5秒。
「ま、いっか!」
とりあえず学校の七不思議の謎の本を入手した小雪は、家に持ち帰り霊が取り付いているならば、落ち着ける場所でお話ししようと、廊下を駆け足で渡る。だが、開いた窓から体育館のざわめきを聞いて立ち止る。
「何かしてるのかな?」
興味を惹かれたが、遅刻して怒られるのは嫌なのですたこらさっさと教室へ戻っていった。
胸に抱えた本以上に、霊的な気配は全くないと感じたからだ。



「テメー何してんだよ!」
「ふざけやがって! バスケ部エースだぞ!」
「負けそうになったからって酷い奴だ!」
「お前ゲームで負けそうになったら電源消すタイプだろ! クズ!」
担架に乗せられ運ばれそうになっている海老杉の傍にいる新橋チームは、大人数という武器を持った一般生徒からのバッシングの嵐を浴びた。
「煩いわね。あんなのバスケじゃよくある事でしょ。ボールが挟まるのと同じくらいある事でしょ」
「いや、姉御あんまりないよ」
コートの中には腰に手をあて、壁に人の頭が埋め込まれるという至って日常的な事に、憮然とした顔をした千歳が冷たい目で喚きたてる大衆を見た。
「大きい子よくやった!」
「鉢巻お前シュート結構頑張ってたなー!」
「ディフェンス凄かったぞ女子ー!」
だが、結果的に暴言を浴びているのは新橋透だけで、他の生徒に対しては激励と拍手が送られていた。
女子が全員まんざらでもない顔をする中、煉瓦だけが鉢巻を揺らしながらギャラリーに向かって拳を突き上げ叫んだ。
「ふざけんな! 透さんはここに試合じゃなくて喧嘩しに来てんだよ! 文句あるならかかってこい!」
と、火に油を注ぎまくる。光は腰に手をあて、そんな煉瓦を満足そうに見ていた。
自分の大嫌いなタイプの男を殴ったことに後悔はないが、大事にしてしまったという責任はある。
――校内で明らかにわだかまり作っちゃったわね。どうしようかしら……
珍しく千歳が透の心配をしたが、ものの1秒で吹き飛んだ。せっかくこの姿になったのだし、後味が悪いままでは終われない。海老杉はもう駄目だ。ならばいい相手がいたと、薄らと笑みを浮かべた。
海老杉が担架に乗せられ、持ち上げられた時、同情した透が声音を変えて話しかけた。
「あ、あの、すみませんでした……」
「ぐっ……」
「こんな時に言うのもアレですけど、俺……じゃなくて兄が話していたのはゲームの事で、決してバスケを馬鹿にしていたわけじゃないんです」
海老杉は返事が出来なかった。顔へのダメージはもちろん精神的にも言えなかった。顔を手で押さえながら、血まみれの口内で血に染まった歯を噛みしめる。
――たとえそうだとしても、アイツは僕を侮辱した。絶対に許さない……!
明確な殺意を瞳に宿らせた海老杉に、透が怯えながらも出来ればこの事件を風化してくれればと思い話しかけた。
「海老杉さんとってもかっこよかったですよ! バスケットマンって感じがして、それに血もしたたるいい男って感じ! これで兄の事を水に流したら、海老杉さん更に人気者になっちゃいますよー! うん、絶対! 私好きになっちゃいそう!」
くねくねとできるだけのおべっかと媚を売る透に、海老杉はぱちぱちと数回瞬きをした。
透は更にいけるかもしれない! と畳みかける。
「いやいや、もう惚れてます! 他の子もきっと惚れてますよ! アイラブシュリンプシダー! 心の広い海老杉さん素敵って! 男子も女子も海老杉さんみたいなカリスマ性あふれる人を好きにならないわけないです! そんな人が兄と仲が悪いなんて、あんまりいい感じじゃないでしょ? でしょっ?」
必死に海老杉から「この事は無かったことにしようネ」という言葉を待ち望むが、海老杉は顔を手で覆ったまま担架で運ばれて行ってしまった。
ああ、と、がっくりとまた憎しみの種がばらまかれたと暗鬱に肩を落とす透に光が近づいてきた。
「ごめんごめん」
「お前軽いよ!」
「でもまったく憂さ晴らしできなかったから、このまま番長に殴り込みに行ってきてもいい?」
「番長って、まさかこの間の!?」
「いや、そんな遠くに行かないわよ。確か今日くらいから停学あけたとか言ってたから……」
体育館の隅でこそこそと会話する二人に千歳が近づいてきた。光は言葉をやめ、目を細め振り返り千歳を見た。
「悪かったな、手を煩わせて」
「いや、結構楽しかったわ。バスケ楽しいわね。マジヤベーわ」
 ふふ、と機嫌よさそうにマジヤベー菌に侵された千歳に、光は冗談交じりに牽制する。
「俺に構うよりボール追っかけてた方がいいんじゃねぇか?」
「そうはいかないわ。私は貴方を倒さなければマジヤベーのよ」
「ふうん」
「また何かあったら言ってみなさい。利害が一致した時には手を貸してあげるから」
「ああ、ありがとな」
「そのかわり、」
シュッ、と、透の目には見えない速さでナイフが振り下ろされた。
光は指で挟んで止めたサバイバルナイフは、綺麗に磨かれているのがわかる程にきらきらと光っていた。
「私に殺されてくれない?」
「まあ、それはいつかまた」
「そう、いつかね。わかった。約束したからね。絶対守ってよ」
「うんうん、守る守る」
ナイフを大人しくしまう千歳に、耳を穿りながら適当にいなすように二回繰り返して返事をする。約束を取り付けた千歳はるんるんと楽しげに取り巻き二人を連れて体育館を出て行った。
ギャラリーに煉瓦が言い返しているが、徐々に楽しげなものになっていき、そばにあった学ランを羽織って応援団のように腕をふりだした。
「俺は世界一の不良になってやる!」
わけのわからない夢を叫ぶ煉瓦に声をかけることもせず、光はすたすたと体育館から出て行こうとしていた。
「お、おい、本当に喧嘩しに行くのか!? もう昼休憩終わるし、制服返せよ!」
「……それもそうね。今日はやめとく」
素直に頷いた光と共に、煉瓦を一人取り残しこっそりとまた空き教室へ向かう。
「なあ、お前なんであの人あんなにイジメたんだ? お前らしくもない」
「しょうがないでしょ。見た目美しくて中身最悪とかとんだ不良品じゃない。嫌味の一つも言いたくなるわ」
「じゃあ俺もクレーム入れていいわけだな」
「コールセンターなんてそもそもないから」
「商品どころか会社自体が悪いじゃないか」
「会社なんて存在してないわ」
「無駄にミステリアスだな」
「あるのは不良品ばかり」
「不良に品はないけどな」
「そうね、いきなり脱いだり誘拐したり品性を感じられないわね」
慣れたように着替えた後、透はハッと大変な事に気が付いた。
「お前櫃本ととんでもない約束してたけど、それ被害被るの俺じゃん!」
「え? 何言ってるの? 当たり前じゃない」
「適当にしてるなと思ったけど俺だからか!」
「私が透の為に喧嘩以外に真剣になったことある?」
「ないね! これっぽっちも!」
気持ちいいくらいに兄のランクが最底辺にあると言い放った妹に、兄は溜息を吐いた。



数日後。
朝のホームルームが始まる前の時間、煉瓦と共にゲームの話をしていると後ろからいきなり3年の海老杉が1年の教室に堂々と入ってきた。
クラスメイトがざわつく中、堂々と歩いてくる海老杉に透は身構えた。
――うわ、まさかここで!?
光と入れ替わる事も出来ないし、何より光は友人と談笑してとても楽しげな雰囲気だ。海老杉が入った来た事に気が付いていたが、興味もないというように友人との会話を続けていた。
――おいおいお前が蒔いた種だろ! 収穫しろよ!
透が見知らぬ顔をしている光に毒づくと、海老杉はそれに倣うように毒と共に光の方へ向かっていった。
「……あれ?」
「何なんスか?」
煉瓦が背を向けて何事かと背後を振り返ると、そこには光の前に立ち、光の手を握りしめ顔を近づけている海老杉の姿があった。
「やあ、久しぶりだね新橋光ちゃん」
「は、はあ……」
ぴしっ、と、光が顔を引き攣らせながら必死に嫌悪感を抱く相手に手を握られながらも、社交性を見せつけている。
あんな顔、噴火寸前の火口そのものだ。透はそんな火口に顔を近づけている海老杉にはらはらする。
「そんなに緊張しなくてもいい。今日はいい知らせを持ってきたんだ……あの時の君の告白、よくよく考えさせてもらったんだけど、あまりにいきなりの事だったので驚いた……だが、君が僕を好きなように、僕も君が好きだと気が付いた! 是非付き合おう!」
「はい!?」
「えっ!?」
「光告白ってどういう事!?」
「きゃー!」
教室中に響き渡る凛とした声で叫ぶ海老杉に、鳥肌を立たせ石化した光。
透の傍で同じように固まり、絶句している煉瓦。透はたらり、と、先日の事を思い出し汗を流す。
――やば、色々あって忘れてた……俺とんでもない事してたのか……?
ぎぎ、と、軋む視線を動かし光を見る。
まるで噴火寸前の火山のように、大災害の気配を感じさせる妹の鋭い視線がレーザービームのように透の寿命の導火線に火をつけた。
「あ、あは、あはは……」
とりあえず笑って誤魔化そうとしたが、余計に光の逆鱗に触れたらしく、手を握りしめたまま視線だけで透を殺す勢いで透をジッと見据える。
そんな光に気が付いたのか、海老杉は透を見てにっこりと笑い、光からやっと離れて手を差し出してきた。
「この間の事は誤解があったようだね。光ちゃんから聞いたよ。是非仲直りさせてもらいたい」
「え、あ、はい」
恨まれていると思っていたが、光に惚れてくれたおかげで何とかなりそうだと、ほっと手を差し出したが、ぴたりと手を止めた。
海老杉の手のひらから光の視線のような悪意を感じたのだ。
「…………」
「あれ? なんで指の間に画鋲なんて挟まっているんだろうね? あはは、ごめんねー! まさか僕がわざとしたと思ってる? そんなわけないだろう? あははは!」
もう一度画鋲を取り除き手を差し出した海老杉に、透は素直に手を握った。
ぎちぎちと骨を軋ませる強い握手に、いい笑顔の海老杉が顔を近づけて光の兄に挨拶をした。
「これからよろしくね、お兄さん」
「……はは……」
冗談はよしてくれと疲れた笑みを浮かべる透に、教室の奥で質問攻めになっている光から発せられる殺気を、ビシバシと受けながら、一日の始まりを告げるチャイムがすでに夕暮れ5時を告げるチャイムに聞こえるほどに疲労していた。












20140227



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