第十八話





昼ごはんを食べた後、暇だった生徒がぞろぞろと体育館へやってくる。一人一人が「見に行くのなんて俺くらいのもんだろ」と思っていた為、あまりの人数の多さに驚き、中でどんな展開になっているのか、好奇心を爆発させて群衆の中に突っ込んでいく。
そうしてギャラリーが増える中、コートの中では一進一退の攻防が続いていた。
「よっしゃスリー!」
「姉御ダンク決めてダンク!」
「今度は瞼切ってるじゃねーか!」
「海老杉がダンク決めたぞ!」
「もっとやれー新橋透!」
「次の授業なんだっけ?」
「数学じゃなかったか?」
「俺国語だいやだなー」
「お前等もっと足を動かせ! 油断するなよ!」
「新橋得点して無くね?」
「あれ、あそこに新橋が! 二人!?」
「あれ双子の妹だから」
「またあの背の高い子スリー決めたぞ!」
「エビちゃんがんばれー!」
「鉢巻踏んづけて転んだぞアイツ!」
「新橋チームの鼻血率高すぎだろ」
「これファールなんじゃねーのか?」
「自業自得だからあるわけねーだろ!」
ギャラリーの雑談や応援や悲鳴や歓声の中、コートの中も熱気を帯び始めてきた。
海老杉以外は片手間に相手をしてやろうと思っていたレギュラー陣だったが、徐々に真剣になっていった。その原因は千歳の取り巻きの一人、マジヤベーがあまりにもマジヤベー実力を持っていた為だった。
「クソ、一人マジヤベーのがいるな……何者だアイツは!」
「俺思い出した……あいつ女バスが話してた久我潤だ……なんでこの学校に、しかも部活入ってないんだよ、マジヤベーだろ」
「この学校女バスないのになんでだ……とりあえずこの試合、負けるなんてバスケ部としてマジヤベーぞ。全力でアイツを止める」
「ああ、そのほかの奴らはマジヤベーくらい弱い」
「ヤベーな」
「ああ、マジヤベー」
そう話しているうちにまたシュートを決められた。ゴールネットを揺らしたのを見ると、マジヤベーはガッツポーズをとった。
「マジヤベー!」
掛け声のように得点が入るたびに叫ぶマジヤベーに、海老杉チームが頬を叩き、気合を入れ直す。
「クソ! これ以上マジヤベーを言われてたまるか!」
「実際は俺たちが勝ってんだ! これ以上マジヤベーをのさばらせるな!」
「うっしゃあ! マジヤベーは俺に任せろ!」
「マジかよ大西マジヤベー!」
――ああ、マジヤベー菌がコートの中で感染してる……。
ラインの外にいる透は客観的に汗を弾ませる選手のいるコート内を、冷静に見ることができた。
マジヤベーのおかげでいい試合になっているが、バスケ部の方が10点もリードしている。3Pが得意なマジヤベーが打たなければ後は試合終了まで時間を削れば勝てる。
透チームの内二人は無駄に出血をしていてさらに劣勢をアピールしている。透はコートの中で海老杉をマークしている光を見る。
――らしくないな……アイツが特に目立たないなんて……
しかも光が自ら喧嘩をすると言って交代したというのに、あの闘志はもう飽きて鎮火してしまったのだろうかとみていると、ある事に気が付いた。
「……あれ?」
何だ? ぽたぽたとコートの中に血が沢山落ちている中で、あまりにも目立たなかったが、海老杉の肘がすり切れて血が滲んでいる。
――別に大した怪我じゃないけど……でも、いつだ?
海老杉が大きな怪我をするような場面はなかったはずだ。そして海老杉の顔を見ると、焦っているような表情の中に、怒りと怯えが混ざった汗を掻いている事に透は気が付いた。
――何をそんなに……
そして帽子の唾で隠れて見えなかった顔が見えた時、透は思わず身を乗り出した。
「まっ、さかアイツ!」



――クソっ!
胸中で毒づく海老杉は、目の前にいる光を睨み付ける。
ギャラリーに向けるときの顔とも、試合中の顔とも全く違うものだったが、海老杉は気づかず歯ぎしりをする。
――コイツ、なんて陰湿な奴なんだ……!
当初、海老杉と新橋透の試合とあって、全員の視線が二人に集まっていた。だが蓋を開けてみるといきなり出血した千歳や煉瓦、そしてなにより見事にゴールを決める長身のマジヤベーの活躍のおかげで、二人は完全に希薄になった。
バスケ部レギュラー四人とマジヤベー、そしてそれを追いかける千歳や煉瓦達に置いてけぼりになり、海老杉と新橋透は二人きりとなっていた。
だが、いくら活躍していないとはいえバスケ部のエース。試合の流れの中に飛び込むくらいたやすいものだ。
海老杉が中央に向かえば、マークをしている光も当然追いかける。そのボールを奪い合う混雑の中、満員電車の中でぶつかってしまう事が当たり前のように光は海老杉にぶつかっていた。
全員はボールに目が奪われる。その中で光は着々と相手にプレーの中でダメージを与えていた。
ボールを奪い合う過程で受けた傷など、別に大した問題じゃない。だが、それでも薄らと笑みを浮かべている相手に何も思わないわけではない。
――こんな事、僕のプライドが許さないが……!
やむ終えないと、キッと笛を鳴らさない審判を睨み付ける。
「っ、審判! 何故ファールをとらない!?」
「え、は……?」
「は? じゃない! さっきからあれだけ足を踏まれたり転ばされたりしているのに、何故だ!」
「え? な、何の事ですか先輩?」
「くっ! よく見ていないのか!」
胸倉を掴む勢いで後輩に詰め寄る海老杉をよそに、マジヤベーがまた3Pを決めた。
審判がぱっと海老杉から顔をそらし、笛を鳴らした。ぎりぎりと悔しげに歯噛みする海老杉に、光は嘲笑った。
「言いがかりはやめろよな海老杉先輩。みっともないぜ」
「何を……! 君は恥ずかしくないのか! こんなラフプレー、スポーツマン精神に反する!」
「アンタ、俺がスポーツマンだと思ってたのか? おめでたい人だな」
「不良め!」
「一対一じゃなくてチーム戦。俺が誰にマークを付けて、その動きを止めようとも作戦の内だ。口は出せないだろ?」
「ルール違反だ!」
「そっちが用意した場所で、ゲームで、コートで、審判で、ルールだ。その中で反則をしたならすぐに俺は退場されるはずだ。違うか?」
ボールは海老杉チームにわたっていた。チームメイトも海老杉の存在を忘れているのかいないのか。マジヤベーから振り切ってゴールに向かって一直線に向かっている。
海老杉はボールよりも、目の前で腰を落としてディフェンスの構えを取っている光を睨み付けていた。
試合が始まり、マジヤベーたちに目が行ったとたん、審判の目を盗むように足を引っ掻け転ばせ、肘で腹を突いたりと完全に反則技を駆使していた。
丁度死角になるように、誰の目にも触れさせず陰湿に、まるでイジメのように海老杉をボールに近づけさせないでいた。
「俺だってこんなことはしたくない。気分が悪い。だが、目には目を歯には歯を、爽やか気取ってるクソ野郎には、大衆の前で足ひっかけて転ぶ以上の事をしてやる」
 ダムダム、と、ボールが弾む音がする。コートの中で隔離された二人はまだゲームから弾き出されている。
「君にはプライドというものが無いのか!?」
「先にそういう卑怯な喧嘩を売ってきたのはお前だろ。脳みそより覚悟が足りてないんだよテメェは。一発殴ったら二発殴り返される覚悟をしろ、足を引っ掻けたら足首吹っ飛ばされる覚悟をするのは当然だろう」


「アイツ酷すぎる……」
透がコートの端にいる二人に近づき、会話をこっそりと盗み聞きした後、帽子を被り自分の体操服を着ている妹にドン引きしていた。
足をひっかけられたという事を知らない透は、あまりにも光の言い分が一方的な理不尽なもので、海老杉に心の底から同情した。
――ただ気に喰わないからってあまりにもひどい……つーか、アイツただ自分より人気者なのが、気に喰わないだけなんじゃ……。
「うおぉ! また3P入れたぞ!」
「すっげー!」
ゲームは進み、あと少しで試合が終わるところまで来ていた。久しぶりにしたバスケの感覚を徐々に掴みだしたマジヤベーが、一気に2点差まで縮めてきた。
「うっしゃー! マジヤベーマジヤベーぜ!」
 観戦する生徒が叫ぶ中、コートの中でわくわくと興奮する千歳達が勝利への高揚感に浸っていた。
「うわ、勝っちゃうんじゃない? これ勝っちゃうんじゃない? マジヤベーよ!」
「ふふ、バスケ部にスカウトされたらどうしようかしら、マジヤベーわね」
 顎に指をかけてまんざらでもない顔をする千歳に、マジヤベーが冷静に二人に言った。
「この学校マジヤベーくらい女バスないから」
「なにそれマジヤベー」
「マジヤベーくらいつまらないわね」
新橋チームにもマジヤベー菌が蔓延し、ゲームもあと10秒程で終わりを迎える。
光は冷めた目で、痛いところをつつかれたような顔をし、バスケの試合中だというのに棒立ちになった海老杉を前にディフェンスの構えを崩さなかった。
「くっ! 君こそ卑怯だ! 卑劣でクソ野郎じゃないか!」
びしっ、と、光の鼻先に突きつけられた指を鼻で笑った。
「俺は自覚してるからいいんだよ。お前、自分を卑下する時でさえ、土台には自分は間違っていない、最高の人間だって思ってるだろ。その卑しさが滲み出てるんだよ」
はっきりと断言する光は、ふんと鼻で笑う。
背後では残り一秒の所で、ディフェンスをかわし、マジヤベーが背後に飛びながらシュートを放った。
海老杉は胸に手をあて、腕を広げ訴えかけるように叫んだ。
「何を言う! クラスどころか全校の人気者! この爽やかなスポーツマンの僕が最高なんて、ただの事実だろう!?」
「開き直ってんじゃねぇ!」
ボールがゴールに入った瞬間、光は自分と同じ無意識に猫を被る女々しい男につい、というように拳が出た。
見事に振り切った腕は、海老杉の頬に激突し、透が立っている体育館の壁まで吹き飛んだ。

ピーーーッ!

ギャラリーと審判はゴールに目が奪われ、一瞬爆弾でも放り込まれたのかと驚いた。他の選手も同様で、目を見開き固まっている。
だが、それはずっと二人の動向を伺っていた透にも言えることで、真横に壁にめり込んだ海老杉がいる中、顔を青くしてぷるぷると震えながら、少しも動けないでいた。
大砲の弾が飛んで来るように、横すれすれの所に海老杉の顔が埋まっている。
何度か光に埋められたことのある透は、色んな意味で海老杉に同情した。
「……あ」
光が空気が変わったことに気が付き、声を漏らした。
一斉に静まり返ったギャラリー、喜びも落胆も出来ない選手たち。
仲間の方に顔を向ける。今まさに勝利をおさめたチームメイトに、光はこつん、と、額を拳で軽く殴り、真顔で言った。「ちょっとミスしちゃった。てへっ」
誰も反応しない中、壁から滑るように抜け出た屍のような海老杉を見て千歳が冷静に突っ込んだ。
「出血大サービスね」
その瞬間鼻血が噴水のように飛び出した。見事なタイミングに誰か笑うだろうと千歳はわくわくと顔に出さずに通販番組並の爆笑を待ったが、誰もぴくりとも反応しなかった。












20140223



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