第十七話





「脱いで」
「いや、あの」
「つべこべ言わずに脱いで」
「試合昼からなんですけど……」
「脱いで」
「……はい」
朝から人気のない空き教室に引っ張り込まれた透は、朝から妹と制服を交換した後、ヅラを被り、妹は帽子を被り悠々と廊下を闊歩した。
今まで光のふりをしてきたことは数知れない透だが、こうして堂々と学校の廊下を歩くのは初めてだった。
――ヤベェ、誰かにばれないかな……
堂々と背筋を伸ばして歩く光の背後から、付き人のように俯いて歩く透はいつも透の周りをついてくる煉瓦のようなコバンザメになった気分だった。
一体何をするのかと光について行くと、その先には教室があった。
「え、マジで何すんだお前」
不安に思った透だが、A組をスルーしてB組へさっさと入って行ってしまった。
「ちょ、ひか……う……」
名前を呼ぶことすらできない透は、こっそりとドアの影から中を覗き込む。
そこには当たり前のようにB組の生徒がいて、一番後ろの席には櫃本が座っていた。そのすぐそばに光が立ち、その横を胡散臭そうな、警戒した顔をした取り巻き二人組が光を睨み付けていた。
――何やってんだアイツ!!
顎関節が外れそうなほどに口を開ける透をよそに、光はまっすぐに前を見据えたままの千歳に向かって、声を変えて話しかけた。
「頼みがある」
「……私に頼みですって?」
「おい、テメェ気安く話しかけんな」
「マジヤベー」
千歳と光の視線が絡み合う。お互いに腹の底にしまった殺意を出すか出さないか探り合っているようだ。
二人の間に不穏な空気が流れる中、光は再度言った。
「今日の昼、時間を作ってくれないか」
「……決闘の申し込み?」
「いや、体育館にバスケをしに」
「……は? もしかして私を遊びに誘ってるの?」
「姉御! 迷惑してるなら私追い出すよ!」
「喧嘩の手助けをしてほしい」
「喧嘩?」
「おい! 無視してんじゃねーよ!」
取り巻きの一人がわめき、光の胸倉を掴み揺さぶるがまったく視線を向けようとはしない。
――おいおいおいおいやめとけ腰巾着!
透が扉にへばりつきながら胸中で思い切り叫ぶ。そんな風に揺らしたら後で脳みそがメレンゲになるほどの返しを食らうぞと、光の格好ではらはらしているのを、A組の同級生が不審そうな目で見て通り過ぎていく。
がくがくと揺れながら、光は帽子が落ちそうになりかけると頭に手を置いて位置を戻した。
「相手は? 貴方が手こずるとは思えないけど」
「喧嘩というか、試合だな。バスケの試合をすることになった」
「……もしかして今朝のバスケ部の男と?」
「なんだ、知ってたのか」
「ちょっと見ただけ。……なるほどね、いいわよ手を貸しても。私も思うところがあるからね」
千歳がふっと笑い、光が胸倉を掴む手を簡単に解いてB組の教室を出て来るまで、あまりにもスマートに何事もなかった。
どうせ一発ぐらい殴っちゃうんだろうなと勘繰っていた透はただの会話で終わったことに目を丸くしていた。
「何?」
「いや……よくわからんけど、喧嘩になるかと」
「お互いの利害が一致しただけ。もし一致しなかったらあの首へし折る気だったけどね」
「お前の考えがさっぱりわからん……って、ん? そういえばバスケの試合とか言ってたけど……櫃本誘うの?」
「ええ」
「な、なんで?」
何故櫃本千歳なのか。同じクラスメイトにもバスケ部や元バスケ部の生徒がいたはずだ。何故よりにもよって殺し合いをした相手を誘うのかと問いかければ、光は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「アイツは透の事を知っていた。実力を知った上であの態度。私に喧嘩売ったのよ。買わないなんてありえない。あの女なら私の屈辱を拭う雑巾になってくれると思って」
「櫃本まったく関係ないじゃん!」
「馬鹿ね。アンタに、私が変装しているアンタにただの一般人が喧嘩を売った。アンタに負けた櫃本千歳も舐められてるって事よ。そんなのアイツのプライドが許さないでしょうね」
「つまり、お前等二人、あのバスケ部エースの人に舐められてるって事?」
「一番舐められてんのはアンタだけどね! まったく、私の双子の兄なんだから、もうちょっと強くなりなさいよね。素質は十分にあるはずなんだから! やる気出しなさいよやる気を。無かったらさっさと墓に入った方がいいわ。邪魔だから」
「とんでもない女だなお前は!」
「それに私ああいうタイプ一番嫌いなのよ。虫唾が走る……あのうさん臭い笑顔の下にある下水臭い本性……演じているのも大嫌いだけど、アイツ気づいてないのよ、無自覚なのよ自分がクズ野郎だって事に!」
「なんでそう思うんだよ……」
「私がそうだからに決まってんでしょミトコンドリア! とにかく今日はやってやるわ。黒板で爪を引っ掻くような嫌な感じのあのクズ野郎の顔に汚物塗りたくってやる」
自分と同じタイプの相手にこれでもかと嫌悪感を出す妹に、お前も誰かに汚物塗りたくられるんじゃないかと言いたかったが、いつも以上のパンチを食らいそうな予感がし、透はおとなしく口を閉じた。




朝の騒ぎが噂を呼び、バスケ部エース海老杉と、次期番長と噂の新橋透が体育館で勝負するという噂が駆け巡り、昼休憩にはそれなりのギャラリーが集まり、体育館の出入り口は完全に人で封鎖された。
海老杉はすでにバスケ部の同級生や後輩たちに声をかけ、暇なら来てくれと連絡していた。
「わざわざ大切な昼休憩を潰して悪かったね」
「いやいや、いいッスよどうせ暇だし」
「海老杉さんあの新橋透とバスケ勝負するなんて面白すぎでしょ」
「喧嘩が強くてもバスケじゃ負ける気しないなあ!」
あはは! と、ユニフォームを着てしっかり準備したレギュラー陣が、いつも通りのアップをしながら笑いあっている。
――そりゃそうだ、県大会優勝したこのチームで負けるはずがない。
海老杉は爽やかにギャラリーに手を振りながら胸中でも笑っていた。いくら新橋透が針入高校の番長を倒したという噂を聞いても、このコートの上では格下だ。
――僕の土俵で僕が劣勢に立つことはありえない。
ふふ、と、この衆目の下で、生意気な不良の新入生を正々堂々とスポーツで勝つという、誰かキャンパスと有名な画家を用意すべき絵が見える。
勝手知った体育館の中に、ぞろぞろと数人入ってくる姿を捕らえ、ユニフォームを着た選手たちは足を止めた。
そこには体操服に着替えた五人と一人の姿があった。
「うわ、何このギャラリー」
「マジヤベー」
千歳の取り巻き二人がまずコートの中に入った。
「ふん、関係ねぇよ、透さんの売られた喧嘩、絶対に負けねー!」
そして煉瓦がなぜか鉢巻をして手のひらに拳を叩きつける。
「やる気ね新橋透。楽しみだわ」
「足を引っ張るなよ」
帽子を被った透を横目で見て笑う千歳に、透に化けた光が釘を刺した。
「もちろんよ。こう見えて私バスケットは好きなの」
準備運動を始めるコートの外では、関係者の雰囲気を出して俯き立って見守っている女子生徒がいた。
透はまたヅラを被り、女装をしてこの大衆の中いる事に肩身を狭くして光たちを見守っていた。
燐灰高校の体操服は、男子はTシャツに短パンに対し、女子生徒はTシャツにブルマだった。
「それともブルマ履く?」
「精一杯応援させていただきます!」
ズボンを履いて参加してもいいが、一人だけ長ズボンだとさすがに怪しまれると光にあっさりと戦力外通告をされた後、腰を90度まで曲げて妹に頭を下げ、悠々と外で観戦することになった。
「新橋君、いい妹さんを持っているね。兄とは違っていい子らしい」
「ああ、俺にはもったいないくらいできた妹だ」
――お前な!
これ見よがしに自身を褒める光に思わず声を出しかけたが透は抑えた。海老杉の皮肉めいた言葉も、光にとってはただの褒め言葉だ。
――それにしても、なんでゲームの話をしただけでこんな事になってるんだろう……
ぼんやりとコートの中で、バスケットゲームの話で盛り上がっていた煉瓦が意気揚々とストレッチをする姿を見ながら思う。何故、誤解を解こうとせず、ボールを奪い合おうとするのか……。
「時間が時間だし1Qだけの勝負でいいね? ルールは公式に乗っ取って行うつもりだけど、何かハンデがほしければあげようか?」
「いや、結構。負けた時ハンデがと言われても困るしな」
「……へぇ、言うね……」
――何無駄に煽ってんだよ光! やめてくれ先輩だぞ!
一年の透は同じ一年の光に頭を抱えて蠢く。
「言っておくけど、僕たちは強いよ。大会にも何度も優勝してるし、」
「御託はいいからさっさと始めよう。昼休憩は長くない」
「……ああ、そうだね……よし、いくぞお前たち!」
「「「はいっ!」」」
ぴくぴくと米神の血管が浮かび上がりながら、光に背を向けて仲間に号令をかけた。
コートの傍に立ち、笛を吹くのは同じバスケ部の選手だ。
「ボールはそちらにあげるよ。これはハンデではなく単なるプレゼントだ」
海老杉がボールを煉瓦にパスした。ギャラリーが海老杉の行動に悲鳴をあげていたが、光はあっさりとそれを受け取った。
「ああ、どうも」
ぴしっ、と海老杉の笑顔に罅が入る音がした。相手の流れに飲まれるという遅れを一切見せず、適当にオブラートに包んだハンデを、哀れみを受け取った光に海老杉は笑顔のまま身体の奥底から黒いものを滲ませていた。
ボールを受け取った煉瓦は意気揚々とボールを弾ませ、敵陣へ向かって走り出した。
「うっしゃー! 俺やるッスよ透さん! とうっ!」
ジャンプした煉瓦がゴールを決めようと、ボールを投げた。ド素人のシュートに、バスケ部員の一人が飛び、それを簡単に叩き落とした。
「ナイス!」
そのままバスケ部にボールを取られ、何もできずに先制攻撃を受けた。ピーッ、と笛が鳴る。得点を入れられた。
ギャラリーからは当たり前のように拍手や歓声が聞こえる。
「さっすがバスケ部!」
「俺達を全国に連れてけー!」
「新橋なんて目じゃないぜ!」
ボールを取られショックを受けている煉瓦に、情けないものを見るような目で千歳のコバンザメ二匹が肩を竦める。
「ちょっと何スティールされてんのよー」
「マジヤベー」
「ええい煩い! ちょっと油断しただけだ!」
取り巻き二人が野次る横で、千歳と光が膝に手をあててのびのびとボールの行方を追っている千歳は、隣の光が同じものを見ていないと気が付いた。
何を見ているのかと、視線を追いかけるとそこには笛を加えた審判がいた。
「?」
何を考えているのかさっぱりわからないが、千歳は取り巻きの一人からボールを受け取った。
――とりあえず点を取ればいいのよね
殺すよりも楽だと楽しげに笑って一歩、ボールを弾ませて走り始めた。
だが、
「ぶげっ!」
勢いよくボールを突きすぎたため、自分の顎にはずんだボールが激突した。
下からの予期せぬアッパーにのけぞり血を吹きだし倒れる。ボールはてんてんと転がり、海老杉の手に渡った。
「ほっ」
そのまま簡単に3Pシュートを決められ、点差は更に広がった。
「ちょ、櫃本大丈夫か!?」
煉瓦や取り巻き二人が慌てて大の字に寝ている千歳に駆け寄ると、鼻から流れた血を袖で拭いながら起き上がり、真顔で言い放った。
「ちょっとミスしちゃった。てへっ」
こつん、と額に拳をあてる千歳に、光が冷静に一言で突っ込んだ。
「出血大サービスだな」
全く誰も彼も役に立たない。そこから暫くボールが相手に奪われ続け、得点を許した。
光が舌打ちをして早々に勝負を仕掛けるかと思ったその時、敵のゴールのネットを初めて揺らした。得点ボードには3点が追加されていた。
「え?」
思わず声を漏らすと、綺麗なフォームを決めた千歳の取り巻きの一人、身長が高い女子が面倒くさそうに呟いた。
「アンタらマジヤベーくらい弱いんだけどー」
「あっ、そういえば中学時代バスケ部だって言ってたっけ?」
「何それ知らないマジヤバい」
千歳と取り巻き二人が話しかける中、煉瓦が光に近づき耳打ちした。
「ま、まぐれッスよまぐれ! さ、透さんも攻撃しましょう!」
「……まあ、そうだね」
光がすっと目を細め、涼しい顔をしてギャラリーに手を振っている海老杉を見た。その後審判を見てゆっくりと微笑んだ。











2014022



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