第十五話





「あー、すっきりしたー!」
腕を伸ばし夕暮れの中、清々しい顔をして背伸びをする光の背後から、透がとぼとぼと後ろからついて行く。
針入高校の体育館は夕焼けに相応しい静けさを内包しているが、その腹の中には死屍累々の不良たちが眠っている。
意識があった菫もショックが大きかったのか、呆然と立ち尽くしたままである。彼らを放置して二人はのんびりと家に向かって歩いていた。
「お前って本当……頭おかしいと思う」
「双子の妹にそんな事言うなんて、お兄ちゃんも中々に頭おかしいと思うよ」
確かにその通りだと、まるで鏡を見ているように同じ顔の妹の満面の笑みを見て思う。
鼻血は止まり、口の中の傷も頬の傷も見えない様にトイレでしっかりと隠している光に、慣れたものだと感心したが
――俺も麻痺してきたかなー
喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。
「ふふん、いい喧嘩はできなかったけど、いい攻撃は出せたわ」
鼻歌を歌いながら機嫌よく帽子を被りなおす光に、透はあの大人数を倒してしまったことに感動すら覚えた。運動会で一等賞をとったかのような感動に浸っている透をよそに、またトイレで着替え直した双子はそれぞれの制服を着て針入高校の門の敷居を跨ごうとした。
その時、目の前に人影が落ちてきた。
「っ!」
光が一歩後ろへ下がり、透の前に守るように腕をだした。
だがそれはすぐに説かれ、喧嘩したばかりの燃えたぎる闘志をひた隠しにしてわざとらしく、弱々しい空気を放つ。
肩で揺れる髪をはらい、同じように体育館から抜け出してきた千歳は燃える夕日に照らされた透を睨み付けるように見据える。
「げっ、櫃本……」
透が思わず嫌そうな反応を見せるが、千歳は意に返さぬように静かに透を見つめ続けた。
「……見たわ、さっきの。……ようやく分かった」
「……分かったって、何が……?」
光が思わず聞き返すと、千歳はちらりと光を見た後、また透を見つめ続ける。
「その強さの秘密、さっきの戦いを見て理解したわ」
「!」
「な……!」
光と透がそれぞれに反応を示す。驚き、そして透は光の反応がどうなるのか、横顔を見る限り驚いているようだが、徐々に瞳が険呑なものへと変化する。
すでに臨戦態勢を整えた光に、透はさあっ、と顔から血の気が引いていく。
――ま、まさかここで!?
今しがた番長を倒し、不良を倒したばかりの他校の敷地内で、千歳とやり合うのは危険だ。
あれだけの戦いをしたのだから、表に出さないが疲れているはずだ。それに相手は千歳だ。透の命を狙ってくる相手に勝った負けたという安易な決着にはならないだろう。
すっと、千歳の指が光に向いた。人差し指が指し示すのは新橋透ではなく新橋光だった。
「っ!」
透が思わず息を飲んだ。指先を見つめる千歳の目の色がどんどん深いものに変わっていく。動揺の波が収まり、腹を決めたように目を眇める。
決定打を打ってくるのならば、こちらも実力でその情報をシャットアウトしてやると言わんばかりの瞳に透は思わず声を出しかけた、
「ひつ、」
「その帽子を被ると強くなるのね」
「……へ?」
思わず拍子抜けした声が漏れた透だが、千歳はドヤ顔で笑い二人を見た。
「誤魔化しても無駄よ……ふふ、特別な帽子ね。私と戦った時にかぶっていたし……新橋光から今、びんびん殺気を感じるわ……その帽子のせいでしょう?」
「え、いや、その……」
 透がなんと言っていいのか分からない間も、千歳は更に理解を深めたようにうんうんと頷き自信に満ちた表情で名推理を披露する探偵のような佇まいだ。
「何故私にやり返してこないのか、まったく強さを感じないのか不思議だったけど、なるほど……その帽子を被っていなかったからなのね。すっきりしたわ! 学校内で帽子を被るなんて校則違反だからね!」
ぽかんとした顔を並べた二人に、千歳は満足げに笑って堂々と宣言した。
「私と戦う時、またその帽子を被らせてあげる! 今日は腕が鈍っていないか確かめに来ただけ。次は絶対に負けないから!」
ぴゅー! と、風のように走り去った千歳に、透と光は帽子を脱ぎ、見つめながら言った。
「……馬鹿でよかったわね」
「……うん、本当にね」
帽子以上に銃刀法違反を犯している櫃本千歳が見えなくなり、二人は夕日に向かって家路を急いだ。
商店街は夕日に照らされ、赤々と輝いていた。赤いランドセルも黒いランドセルも夕日の中では一色だ。
文房具屋の隣にあるケーキ屋を見て、光は溜息を吐いた。
「たまにはケーキ食べたいけど、あの時のトラウマがあってどうにも足が向かないのよねー」
「まあいいじゃん。最近のお菓子も結構おいしいし」
「コンビニのケーキとかあのお手軽さであのおいしさはないわね。日本人全員漏れなく太っちゃう。ケーキ屋さんのケーキもまた乙なものだし」
夕飯が近づくにつれお腹の空き具合も増していく。今日はカレーだろうか、何だろうかとぼんやりと考えている突風が吹き荒れ、光のスカートと共に帽子を飛ばした。
「あっ」
光が帽子を追いかけて走ると、草履を履いた足元で帽子が止まった。
視線を上げるとそこには背筋を伸ばし着物を着た、強面の老人がいた。帽子を拾い上げ、厳しい顔のまま光を見た。
少し戸惑う光だったがすぐに微笑み帽子を受け取ろうと手を出した。
「ありがとうございます」
強面の老人はその手を通り過ぎ、骨ばった手で光の頭を撫でつけ、髪の毛を整えた後、帽子を乗せた。
じっと無表情で光を見た後後、何も言わずその横を通り過ぎて行った。
「おいおい気を付けろよー…………? おい、光?」
帽子を乗せられたままの光に近づき顔を覗き込む。
まるで体重計に三桁を表示させられたような、心臓を掴まれたような顔をして、たらりと汗を流し俯いていた。
「ひ、光……?」
透が呼びかけるが、光はショックを受けたまま動けないでいた。
いくら人と接しようが、見ず知らずの、会ったばかりの人間に対する警戒心はそれなりにある。
大小関わらず必ずあるものだが、特に光は頭を触られるのが嫌いだった。
クラスメイトの男子も女子も、光の頭に触れて来ようものなら社交的に簡単にいなすことができる。最終的には暴力を振ってでもその手を払いのけるほどの嫌悪感を感じていた。
――警戒していなかったわけじゃない……確かに、疲れてるし、カレー三杯は食べたいくらいおなかすいてるけど……
ドッドッドッと、薄い胸の奥の心臓が嫌な鳴り方をする。
――それでも、あんな簡単に触れられるなんて……!
今まで築き上げてきた要塞を簡単に破壊されたように光は震えた。
「おいってば!」
透の強い声にやっと我に返った光は、バッと振り返った。
遠くにある夕日が赤々と照らす商店街の中、着物の老人の姿は何処にもなかった。
その事実が更に心臓の鼓動に深い意味を持たせる。
ドッ、ドッ、ドッ……
――あの老人、何者……!?
弛緩した筋肉が緊張するのを感じながら、燃えるように赤い夕陽の中、光は初めて強敵との出会いにただただ困惑していた。











2014020



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