第十二話





噂でしか聞いて事の無かった針入高校の情報は、針入町にあるザ・不良のたまり場となっている高校で、出来れば自分の子供はあそこに通わせたくないという親が多数いるという事。
万引き、煙草、飲酒、運転など様々な悪行を働き、停学退学は日常で、校舎も荒れ果てスプレーで落書きをしていて、どこかどんよりとした嫌な空気が漂っているというものだったのだが。
担がれた透が目にした針入高校は、比較的通気性のある学校のように思えた。
とりあえず空気は悪くないし、壁にも薄らと落書きの跡が残っているが、消されたようで綺麗なものだった。
校舎からは不良以外の一般生徒もちらほらと出ているようで、あれ? と、透はまず疑問に思ったのは思ったよりもそれなりに綺麗な校舎だった。
――まるで普通の学校だ……
そう思ったのもつかの間、真横にある体育館を見て、小奇麗な学校ならばそんなたいそうな事にはならないだろうという安堵感を一気に吹き飛ばした。
校舎に対するイメージを、全て体育館に詰め込まれていた。
散らかっていた部屋を片付けろと言われて、とりあえず押し入れに詰め込んだように、体育館には悪いイメージがこれでもかとパンパンに入っている。
「えっほえっほえっほ」
掛け声まで出し始めた不良三人は、あっさりとその体育館の扉を蹴って、中にいる仲間に扉を開けさせ透をその中にいれた。
麻袋を投げるように地面を滑って体育館の中に転がった透はおそるおそる立ち上がる。
窓は全て閉め切られており、カーテンは虫に喰われたかのようにボロボロになっていた。
広い体育館は、すでに体育館としての機能を諦めたように散らかっていた。地面は瓦礫の石、穴、自転車やバイクまで中に入り込んでいる。
沢山の不良が一気に透を見たが、その中で舞台上に設置されたソファーとベッドから、むくりと起き上がる影に透は目を奪われた。
「おう! 来たな燐灰高校の新橋透!」
その人影、おそらく番長らしい人物は両手を頭の後ろに回してまたベッドに寝転がった。そしてまた起き上がり、話しかけた。
「すまん! 今日課の腹筋500回をこなしているんだ! あと100回で終わるから、そこらへんに座って待っていてくれ!」
「は、はあ……」
ベッドの上には番長、鉛邦弘の足を押さえている不良がいた。彼はギロリと透を殺したくてたまらないらしく、殺気の混じった視線を透に向けていた。
見覚えはないがおそらく以前光と喧嘩したことがあるのだろう。思わずビビる透の周りで、ざわざわと小声で騒ぎ出す。
「あれが……?」
「ああ、十人簡単に倒したらしい……」
「本物か? もやし野郎じゃねーか」
「ありえねー」
こそこそと周囲不良が話しているのを、直立不動で聞き続ける透は漠然と思った。
――……あれ、なんか今の状況ってやばいんじゃないか?
背後の扉は閉められ、待ってくれと言われて素直に待っている状況に、完全に逃げるタイミングを逃してしまったと今更ながらに気が付いた。
流されやすい性格の透に、この番長は中々相性が悪そうだ。
そして噂通り、制服の上からでもわかるいい体つき、筋肉が虫のように蠢いている。
――確かに破けそうな感じだ……
不良の癖に制服を改造していないし、何より一年生の透のように新品のようにぴかぴかと輝いている。
針入高校の番長が筋肉を膨張させ、制服を破る姿を見るといいことがあるという噂を思い出し、ぼんやりとはちきれんばかりの筋肉の動きを見つめていた。
――それよりここからどうやって逃げよう……というか誤魔化そうか……
――見た感じマイペースっぽいけど……でもそれがいいのか悪いのか……
うーん、と唸っていると、どこからかお茶の香りが漂ってきた。そしてすぐに目の前にお盆に乗った湯呑が差し出され、透は反射的にそれを受け取った。
「あ、どうも」
「いえいえ」
お茶を飲みながら、どこかで聞き覚えのある声だなと思って、差し出してきた人物を見た。
そこには三つ編みの分厚い度の入った眼鏡をかけた、今朝ぶりに会う女子生徒がお盆を胸に抱えて立っていた。思わず吹き出し咳き込む透に、女子生徒は肩を揺らして笑った。
「今朝はどうもありがとうございました、新橋透君?」
「ゲホッ! ……え、なんで……」
「一応通学路の確認をと思ってね。三か所待ち伏せさせてもらったんだけど、あの場所で合ってたのね」
しゅるり、と三つ編みを解いて眼鏡を取ると、そこには美女がほほ笑んでおり、長いウェーブの髪をかき上げているなんとも絵になる仕草をしていた。
ごくり、と、まるで別人のように変貌した女子生徒に、透は生唾を飲んだ。
「私は四季菫。情報収集させてもらったわ。君の事はそれなりに知っているつもりよ、透君。あなた本当に強いのね」
「え、あ、はあ……」
「ふふふ、あんまり気を抜いても駄目よ? 相手はあの針入高校の番長なのよ? それに宝野組組長の孫を敵に回したくはないでしょう?」
「え?」
「あら、知らないの? 彼ヤグザの孫なのよ? ……だからうちの不良ばかり狙っていたんじゃないの?」
初めて知った情報に目を白黒させる透は、脳裏に光の姿を呼び起こす。
いつか見た路地裏の喧嘩。あそこまでテンションを上げ、相手を煽るなんてとドン引きしたものだが
――アイツ、これ知ってたんだ!!
ヤグザの組長の孫を引きずり出すため、闘志を燃やすために最近は露骨に針入の不良ばかりと喧嘩をしていたのかと、透は額に手をあてて俯いた。
そんな透を見て菫は好戦的に笑い、はっきりと言い放った。
「それにしてもうちの生徒をよくもやってくれたわね。今日は番長との実力差をはっきりと見せてあげるから、覚悟なさい!」
「す、菫さん、それ新橋透じゃないッス……」
「え? ……あら、本当ね」
「いや、今日はちょっと……」
菫は分厚い眼鏡をかけなおしじっくりと相手を見つめる。そこには自分と同じ針入高校の制服を着た不良がいた。
「眼鏡かけるかコンタクトいれてください菫さん」
不良の一人が手鏡とコンタクトを差し出し、身を屈めて菫はコンタクトを入れ始めた。
――ありえない……確かに相手強そうだけど……なんか一気に疲れてきた……
――って、疲れてる場合じゃない! さっさと逃げないと!
湯呑を地面にそろりとおいて、少し後ずさる。
その様子を見ていた菫は眉を顰めた。
――さすがに敵の出したお茶は飲まないか……でももう少しで飲みそうな雰囲気はあったのに……まあいいわ、鉛君が負けるはずないものね。いくら喧嘩が強くったって、鉛君にはあの切り札があるんだから。あれがあればどんな男も平伏するに決まってる……
余裕綽々の菫は薬入りのお茶を置いて逃げ出そうとする透を微笑み見つめる。
――どう足掻いても無駄よ。どんな手を使っても、私は貴方を逃がさない。
針入高校の名に泥を塗る人間は絶対に。
「さて、と」
舞台上での腹筋が終わった鉛は起き上がり、トレーニング専用ベッドから降りる。少しざわめいていた不良がぴたりと、シャッターを閉めたように口を閉じた。
入学式や始業式のような人の気配の生み出す静寂、壇上の上の一人の人間の存在感が、ひしひしと放たれる空気は体育館にあるべき姿を取り戻しているように見えた。
そして堂々と足を広げ、その筋肉で膨らむ身体を押さえつけるように腕を組んで距離のある中、体育館に響く声で透に宣言した。
「俺と君はこれから喧嘩をするわけだが、一対一のタイマンでいいかな?」
「え、あ」
「武器がほしいというのなら使ってくれても構わない。だが、ここから出るのはやめてくれ」
ちらり、と、透の横にいる菫を見た後鉛は続けた。
「基本的にここでは針入高校の威厳を守る場として使用している。公正な場だ。信じてくれ」
――こんな敵地のアウェーでタイマンで勝負ってどんな神経してるんだよ! 絶対いやだ!
こんなの喜ぶのなんて妹みたいな頭のおかしい奴しかいないだろと胸中で思っていると、透のズボンのポケットがブブブと震え、音楽が鳴りだした。
デデンデンデデン! デデンデンデデン!
「………………」
「……どうぞ、出てくれ」
「……はい」
先生の挨拶の時に携帯が鳴ったような、そんな羞恥心を覚えながら携帯を取り出した。
画面を見るまでもなく、この不穏なメロディーは光だった。
「……もしもし」
『もしもし? 透どこにいるの? ちょっと話があるんだけど』
「……今、針入高校にいる」
『はあ? どういう事よ』
「喧嘩を申し込まれた」
『あらあ』
「相手は番長だ」
『……へえ』
隣にいる菫や不良たちを気にしながら、透は威厳のあるしゃべり方を意識して光に言った。
「今、体育館にいるが、来なくてもいい」
『なるほど、わかったわ。確か鉛とか言ったわねあの筋肉達磨。復帰戦の相手にとって不足なし!』
電話越しにテンションの上がる光に透はバクバクと心臓を鳴らしながら続けた。会話を中断させられたら大変なことになる。
「お前は家に戻るまでどれくらいかかる?」
『今学校出たところ。すぐにつく。時間を稼いでおいて! ラッキー! タイマンだって!』
飛び跳ねてそうな光の高い声を聞いた後、透は静かに時間をかけて通話終了ボタンを押してポケットに戻した。
「終わったか。まあいい。とりあえずうちの不良たちを簡単に倒してくれたようだな。色々とお前に不平不満が溜まっている。ここで針入高校の顔として勝負し、俺が勝ったらこれ以上うちの不良たちを不用意に……煽るのはやめてくれ」
どこかぎこちない、紙に書いたような話し方だったが透はそんな事には気づかない。
「ああ、わかった」
しっかりと頷き、鉛は舞台上から降りてゆっくりと透に近づいていく。
屯していた不良たちは壁際に後ずさり、体育館の中に、円状の空間が作られた。
「武器はいいのか」
「喧嘩は拳でするものだろう」
「ほう……なるほど、確かにその通りだな」
ひゅう、と、菫が口笛を吹く。透と鉛はお互いに歩みを進め、間合いを詰める。
近くで見ると鉛は180は優に超えており、その肉体の厚みとともにさらに威圧感を感じさせる。まるで壁が近づいてきているように思えた。
だが、透は余裕を見せる。今まで負けたことが無いように、己の力に自信が満ち溢れているような凛々しい表情で鉛に近づく透に、菫はゾクッと身体を震わせた。
――さすがに針入の不良を倒したのは伊達じゃないわね。風格がある。
――でも、それも今日でお終いよ。貴方も鉛君に平伏しなさい。
――その気合に満ちた顔を地面に伏せなさい。
菫が小さく笑うと、透はその通り地面を顔に伏せた。
「!?」
いきなりの行動に菫も鉛も、他の不良も驚きを隠せない。
透は地面に額をこすりつけ、お腹を抱えて腰を上げてうずくまったのだ。

「いっ……痛ぇえええええ! 腹痛が! 下痢がぁああああ!!!」

透以外の時が止まった様に、その言葉を理解できなかった。透と相対した鉛も、その頭を身構えたポーズのまま見下ろすしか術がなかった。
だが徐々に全員の時が動きだし、ざわざわと円の中心にいる透に目を向ける。
「な、なんなんだ……?」
「下痢だってよ」
「ヤバくね?」
――嘘でしょ、あのお茶には睡眠薬が入ってただけよ? しかも飲んでいないはず……
一体何がどうなっているのか、困った様子の菫の横では不良たちがどう反応するべきか迷っている。その隙を突いて透は更に叫んだ。
「く、くそー! 腹痛の波がまた来た! だからまた後日にしようって言ったんだ! 喧嘩できる状態じゃない! だ、誰かトイレに! トイレに連れて行ってくれ! とりあえずトイレに行けば治る気がする!」
「な……」
戸惑う鉛に透は更に演技臭く、抑揚をつけず叫び続ける。
「それとも針入高校の番長さんは、腹痛で動けない人間をボコボコにして勝ったとかいうようなどうしようもないろくでなし野郎なのか! ならば俺は戦おう! このハンデを乗り越えて! あぁっ! 腸がうごめく! まるでナイフで刺されたように痛い!!」
うおおおお! と雄叫びをあげながら立ち上がろうとする透に、鉛は不良たちに叫んだ。
「誰かコイツをトイレに連れて行ってやれ! 早く!」
「は、はいっ!」
その中から透を担いできた三人の一人が、透に肩を貸して体育館から出て行った。
「と、トイレは何処に……」
透が苦しげな演技をしながら尋ねると、スキンヘッドの不良は答えた。
「体育館のは壊れてるから、校舎のトイレに……おい! 漏らすなよ!」
「あぁ、努力はする……」
透はほっと胸を撫で下ろしながら体育館の重い扉を開けてもらい、体育館から脱出した。これなら大丈夫だと小奇麗な本校舎へ運ばれていった。











20140216



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