第十話





「私、君が夢に出てきてから調べたよ。……君、お菓子の食べ過ぎで死んじゃったんだって? 最後のご飯はきな粉餅……心中お察しするよ……でもね。女の子は皆甘いものは大好きだよ。大好きじゃない子なんていない! その気持ちを利用するなんて、絶対にいけないことだよ」
「お゛おおぉぉがぁああああじぃいい!」
またボンレスハムの躍動感をもって腕を振り払うが、小雪はそれをかわし、塩をばらまいた。
「皆、自分の身体の為に我慢してるの! ダイエットや健康の事で……君のその執着のせいで、光ちゃんが死ぬなんて駄目だよ! 光ちゃん! 聞こえてる!? 私もこの子に誘われたの、お菓子食べないかって!」
小雪が光に話しかけ始めた途端、ぴたりとボンレスハムは止まった。透が腕を押さえながらふらふらと戻ってきた。
「『お菓子食べたいでしょう? ケーキ食べたいでしょう? 私と貴方がいれば一つの胃袋で幸せいっぱいになれる』って……光ちゃん優しいんだね…! そしてその後、幽霊ちゃんはこうも言ったね」
「あ、ぐ……」
ぷるぷるとボンレスハムが揺れる。もう少しで呪縛が外れると思ったのか、小雪は舞台役者のように堂々と胸に手をあてて叫んだ。

「『そして太れば胸も大きくなるよ! 私はこの方法でAからDにバストアップしました!』」

「んぎゃああああああああ!!!!」
「『さあ! 食べて私と一緒に女の武器である乳を育てましょう……!』」
「うぎゃああああああああ!!!!」
 ドゴォッ!
「なんで俺ー!?」
吸血鬼が日光を浴びたように頭を押さえぶんぶんと振った後、耐え切れないというようにボンレスハムが本日二度目の同じ場所にクリンヒットし、今入ってきたドアからまた放り出された。
同じ場所に壁にめり込み、ぴくぴくと痙攣する透をよそに、目を閉じ叫んだ小雪は握りこぶしを作り、更に叫び続ける。
「でも、でもね。そんなことで皆お菓子を食べたりしないよ! おっぱいが育っても何の意味もない……! お腹にお肉がある限り、おっぱいなんていらないんだよ! 私だってもう少しおっぱいは小さくてもいいって思ってるくらいなんだから! それよりも体重計の針が……あぁっ……だからこれ以上、体重が増えて悲しい想いをする子が増えてほしくない! 君だってそうでしょう!? ……あれ?」
目つぶしされたかのように目元を押さえ、蹲り震える巨体、肉の山の姿に、小雪は小首を傾げた。
「どうしたの? あっ、もしかして塩目にはいちゃったの?」
慌てて駆け寄り顔を覗き込むが、光は振り払う事はしなかった。いや、出来なかった。
コンプレックスを、剥き出しの神経をドリルで削られたような痛みを伴って襲い掛かり身動きが出来なくなった。
透はその八つ当たりとして、僅かに残っていた光のプライドが向かったサンドバッグだった。
「ね? もうやめよう? お菓子食べても幸せにはなれないよ」
こくこくと、顎なのか喉なのか顔なのか分からない肉の塊は上下に頭を振った。
「うん、きっと天国のお母さんも喜んでるよ……」
小雪が涙を滲ませ、いじらしい魂に感動し頭を撫で続ける。
「……お母さん、死んでない……」
ぽそりと呟いた言葉を最後に、魂は小雪の除霊によって成仏した。残された散らかった部屋と割れた窓、廊下の壁に激突し動かない兄と、暴飲暴食を繰り広げた為に折れたベッドの足、そして光の身体を動かすこともままならない巨大な肉。
小雪は本来あるべき場所へ戻った魂を、額に滲んだ汗を拭い、心地よい爽快感に笑みを浮かべて空を見上げていた。
「おいしいものは家族と食べるのが一番だよねっ」
家族は誰一人として死んでいないのだが、小雪はそれが真実だと言わんばかりにうんうんと頷いた。
そして大きく膨らんだ胸を反らして、一仕事終えた小雪は春の風を感じて目を閉じた。
カーテンが揺らめき、散らかった部屋に新しい風を注ぎ込んでいる。
廊下に横たわる透が、その爽やかさあふれる光景を下から見上げていると、階下から玄関の開く音がした。足音がこちらへ近づいてくる。
「光ー! これお菓子よー! 餓死しないでー! ……って、あれ? そんな所で何してるの透?」
スーパーの袋二つにパンパンにお菓子を詰め込み駆け上がってきた母の冷静な声に、透は返事できなかった。



透が悪夢を見た日に透が男だと分かり、乗り移れないと踏んだ幽霊は隣の部屋でぐーすかと眠っている光にも同じように夢に出てたぶらかされたらしい。
『一度太って胸部以外痩せれば巨乳だよ』
「巨乳!?」
要約するとこんな感じで食いしん坊の女の子(享年17歳)の霊に身体に居場所を与えてしまったらしいのだが、透はそんなことはどうでもよかった。まな板の妹のコンプレックスを改めて確認したこと以上に大変な事が待ち構えていた。
「透さん、今日も休みなんスね。どうしたんスか?」
「あー、ええと、……なんていうか……い、インフルエンザ?」
「この春に!?」
苦し紛れの言い訳をクラスメイトにするのも苦しいが、それ以上に苦しい思いをしているのが光だった。
幽霊が成仏し、部屋を片付け新しいベッドになっても、身体についた肉も劇的に元通りになるはずもなく、制服もまともに着れない状況で学校に行けるわけがなかった。
「この姿で皆の前に出ろって!? ハァ、ありえない! ハァ、ハァ……馬鹿じゃないの! ゼーッ、痩せてやる……! 次に行くときは前の私とは変わってる所を見せつけてやるわ! 見てなさいよー! 贅肉がなんぼのもんじゃい! 燃やし尽くしてやるわ!」
と、ダンベル30キロを持ち上げ、脂汗に塗れた顔ではっきりと言い放った妹の覚悟を、兄が崩すわけにはいかない。
元より胸部を膨らませる事が目的だった光は、腹も足も腕も全てが膨らんでいて分かりにくいがいわば巨乳になっていた。その部分を生かすように他を殺せばナイスバディが手に入る。
「よし、頑張れー!」
「気安く頑張れなんて言ってんじゃないわよ! 乗り殺すわよ!」
動けない妹に安心などできない。その巨体は岩石のような圧迫感を持ち、簡単に透を潰せてしまう。新しい脅し文句と武器が手に入った妹が、必死に筋トレやジョギングなど、様々なダイエットに励む姿を見ている透は日に日に痩せていく姿に驚嘆する。
汚れていた部分を一生懸命擦って綺麗にしていくような、そんな爽快感があった。
――俺が言い訳続けるのもあとどれくらいかなー。
新橋光が元の新橋光に戻るまでおそらくもう少しだろうと廊下を歩く。光には言わないが、なんだかせっかくあった胸部も全体的に萎んでいっているような気がするが、まあそれはいいとしよう。
目的の教室にいなかった人物が、顎に指をかけて神妙な顔をしているのを発見した。
「あ、いたいた」
櫃本千歳は何故新橋透が自分に付きまとい始めたクラスメイトの顔を知っているのか不思議だった。
透と顔を合わせる機会は全くと言っていいほどなかったのに、昨日の今日で何故……。
そんな状況だというのに、そんな新鮮な情報を知っていたのは偶然ではないだろう。
千歳はハッと顔を上げた。
「ま、まさかあの男……私に手を出さないと約束させておいて、その隙をついて……!?」
父の嫌う暗殺に片足を突っ込んでいるのだと思うと、千歳の身体は怒りで震えはじめた。
――そうよ、最初私もギロチンやナイフでずっと暗殺を仕掛けていたんだもの。目には目を、歯には歯をって考えてもおかしくない!
だとしてもなんて卑劣な男なんだろうか。
もしかしたら今度は仲良くする振りをして私を殺す機会を狙っているのかも……。と、まとわりつくクラスメイトを振り払い、一人で静かに階段の傍で考えていた千歳に背後から声がかけられた。
「おーい、櫃本ー」
へらへらと笑って近づいてくるのは、グラウンドで簡単に千歳を倒した男だった。
「……新橋透」
「教室いないからどこにいるのかって思ったぞ。なあ、今日よかったら何か奢らせてくれよ。何がいい?」
フレンドリーに話しかける透に、千歳の顔色はどんどん雲行きが怪しくなる。不信感がどんよりと影を落とし、怒りが体中から殺気を滲ませる。
髪を切ったお詫びとして何か奢ろうと言った透は、何故千歳から殺気がにじみ出ているのかまったく理解できないでいた。
「ひ、櫃本?」
「……新橋透……貴方って人は、なんて男なの……!」
「え、ちょ、何」
「問答無用!」
「なんでだよ!」
ずらり、とナイフをどこからか取り出して扇状にした後、透に向かって投擲し始めた千歳に背を向け、透は必死に走って逃げた。
階段を駆け上り、渡り廊下を渡って逃げる。ナイフが透の足すれすれに刺さっていく。
「卑怯者には制裁を!」
左に曲がるとそこは行き止まりだった。透が慌ててブレーキをかけ、背後を見ると跳躍した千歳が両手でナイフを持って投げる体制をとっていた。
「うわーっ!!」
光のいない今、誰も助けてくれないと頭を抱えてしゃがみ込むと、それは来た。
ギィィィギャァァアァァン
「――――!?」
千歳の顔が驚愕に変わり、そのままナイフは透の身体を貫かず、廊下にばらばらと千歳と共に落ちた。
透も一瞬意識が遠のきそうになったが、一度くらった為か何とか保ったまま立ち上がる事が出来た。
廊下にうつぶせに倒れる千歳を見て、背後のドア、音楽室のドアが開かれ出てきた人物と目が合い、驚愕した。
「せ、石竹先輩!?」
「あれー? 誰かと思ったら新橋透君……と、その子は?」
「あ、えっと……」
透はそれよりも、小雪の持っている物に目が釘付けだった。
小柄な体には大きすぎるように見えるヴァイオリン。まるで眼窩のように開いた丸い穴が、先ほどの殺人に匹敵する音を響かせているのかと思うと恐怖を覚えた。
「……お、音楽室の呪いのヴァイオリンって……まさか……」
「え? 呪い? 何それ?」
「いや、学校の七不思議に……音楽室の呪いのヴァイオリンって……」
「えー? そんなのないよー。たしかにここには霊がいついてるけど、私とお話して悪さはしてないはずだよ? 呪いだなんて絶対にないよー。ねー? 糸蔵君!」
誰もいない音楽室を振り返り楽しげにそう話しかける。だが静寂だけが返事をしているようにしか聞こえない透は、ぞわぞわと鳥肌を手で押さえながら愛想笑いを浮かべた。
「あ、あはは……」
「そういえばこの間も新橋君ここで寝てたよね? どうしたの? この子もそうだけど、もしかして音楽室の前で寝るのが一年生の流行だったりするの?」
「いやー、どうなんでしょうね……あは……あははは……」
何も知らないらしい小雪は可憐に弓とヴァイオリンを持って無邪気に笑う。あの時もここでその美しいひょうたん型の楽器で透を音だけで気絶させた先輩はのほほんとはぐらかす透に言った。
「それよりもよかったら一曲聞いて行ってよー! まだ誰にも弾いてるところ見せたこと無いのー」
ぴくりとも動かない千歳を早く保健室に運ばなければならないと思いながらも、この温厚な先輩に七不思議の事をどう説明しようか、そしてどうやって穏便にそれを断れるか必死に考え抜いた。










20140212



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