第八話





妹がおかしいのは昔からだが、人に指摘されて改めて光を見た。家の中で風呂上がりにプリンを頬張っている妹は、テレビを見て笑いながら甘いものを摂取している。よく見ると二つ空のケースが転がっており、どうやら今三つめのプリンを食べているらしい。胃袋は絶好調のようだ。
「そんなに食べると太るぞ?」
「黙れミドリムシ」
妹がおかしいのは今晩もそのままのようで、苦笑いをしていると玄関に出ていた母が大きな段ボールを持って戻ってきた。どうやら宅配便だったらしい。
「あら、従姉の新ちゃんからよ。中は……飴みたいね」
がさ、と、段ボールに詰め込まれた瓶や袋に詰められた外国の飴の詰め合わせの中に一つ折りにされたメモを母は広げる。
新とは透と光の従姉で父の兄の娘にあたる。年齢は今年で25になり、好き勝手に世界を放浪しているらしいが、周りの大人はそんな新を心配しているが、杞憂だと透は思う。
「今アメリカにいるんですって。そこで食べた飴がおいしいから送ります。だって!」
「へえ、アメリカか」
父も近づき箱の中を覗き込む。飴を一袋取り出して口に放り込んだ。
「でもどうせならお菓子じゃない方がよかったね」
「そうねぇ」
母も父と同じように飴を口の中に放り込んで笑いながら言った。贈り物にケチをつけているというのに何とも朗らかに笑う二人に倣うように、透も近づいて飴を一つ放り込んだ。
からころと歯に当たる音が三人から響き渡る中、光もプリンを食べ終わって近づいてきた。
「ほら、これ」
透が光に飴を一つ取り出して口に差し出すと、そのまま横を通り抜け、まるでUFOキャッチャーのように両腕で段ボールを挟み込み、ソファーへ持っていった。
熊のように大物を掴んで行った光に、全員飴を転がしながらぱちり、と瞬きをして見合わせた。
「ひ、光?」
母がおそるおそる呼びかけると、光は段ボールを抱きしめて拗ねたように三人を見る。
「これ、全部、私の」
ムスッとした顔を見せた後、光も飴を口の中に放り込んだ。透と両親はそんな光に戸惑いつつも、両親は最終的に笑って許した。
「まったく光も子供だな」
「しょうがないわね」
笑いあって父はがりごりと飴を噛み砕き、欠伸を噛み殺しながら一足先に寝室へ向かっていった。母は歯が弱いので全て舐めきらないとダメらしい。透も噛むことはなくずっと舐め続けていた。
母と共に椅子に座り、光の様子を見守っていた。
未だ段ボールを離すことはなく、かといって飴を食べ続けるでもない。
――変だ……アイツの我儘は今に始まったことじゃないけど、父さんや母さんにまで及ぶことはなかったのに……
『気を付けてあげてね……悩みとかあったら聞いてあげた方がいいよ』
見知らぬ女子生徒の声が飴の甘さと共に思い起こさせる。光はがりごりと飴を噛み砕いて飲み込み、迷った後もう一個食べていた。甘いものを食べるような顔ではない、どこか苦味を感じさせる表情だ。
「悩みか……」
ふむ、と考えていると口の中の飴はすっかり消え失せ、母もお風呂に入りに行き、リビングには二人だけが取り残された。
「……なぁ、光。お前どうした?」
「……何が?」
そっけない返事はいつもの事だが、透はそうは見えなかった。
「何かあったのか?」
「別に」
「お前、別に飴そんなに好きじゃないんじゃないか?」
「嫌いでもないけど」
「なあ、友達と何かあったのか?」
「何もないよ。透と違っていい友達たくさんいるから」
「お前な……」
刺々しい言葉に怒りよりも呆れを感じ、透はがっくりと項垂れた。どこまでもかわいくない妹だが、やはりその刺々しさも元気が無い。
透は暫く光を見るが、別に話してくれそうな様子もない。諦めて立ち上がり自室へ戻った。
ベッドを前にして思うのは、またあの悪夢が訪れるのではないかという不安だ。この年で双子の妹に「夢が怖いから一緒に寝てくれ」とは頼めない。
もぞもぞと布団の中に入って、目をぎゅっと閉じて、次、目を開けた時には夜も明けていればいいと願いながら頭まで布団を被った。

ジリリリリとけたたましく左右に揺れる目覚まし時計に透は遅れて気が付いた。顔を上げて腕を伸ばし振動を止める。
一瞬で静かになった朝の透の部屋は、悪夢にうなされずに起きることができた為か空気が柔らかかった。
起き上がり背伸びをする。目覚めはいきなり訪れたにも関わらず、はっきりと頭が覚醒している。
「……よかった、たんなる気にしすぎか……」
幽霊なんているわけないしな。と、笑いながら立ち上がり、クローゼットをあけ着替え始めた。ボタンを外す手がぴたりと止まった。
――……あれ? なんか変だな……
こんなに素晴らしい朝はない。外は晴天でいい天気、散歩日和で通学日和だ。階下ではすでに起きている両親が蠢く音も聞こえる。とてもほのぼのとした時間だ。
時計を見ると設定した時間から五分経っていた。それでもこれほど気持ちよく起きれるなら五分くらいいいだろう。
「……光?」
起き上がるまで短い時間だった、つまりそれほど目覚ましが鳴っていた時間が長かったという事になる。
長ければ長いほど、妹の殺気に似た威圧感を感じて胸騒ぎによって目覚める。だが、今から体育が始まっても何とか乗り切れる体調の良さだ。
光の目覚ましボイスが無いだけでこんなにも清々しい目覚めになるなんてと、日頃の威圧感を改めて感じながら制服を羽織る。
「……アイツ体調悪いのか?」
首を傾げながら階下へ行くと、そこには光の姿はなかった。
「光は? もう行ったの?」
キッチンへいる母に尋ねると、味噌汁をかきまぜながら顔だけ振り返り言った。
「何か調子が悪いっていうから、今日は休むみたいよ」
「へえ……」
「疲れが出たんじゃないか? 学校でも色々大変だろう」
父が珈琲を飲みながら新聞片手に軽く言う。確かに大変と言えば大変だが、透はもっと大変だ。肯定も否定もせずに透は朝ごはんを食べ始める。
「じゃあ俺が先生に伝えればいい?」
「そうね、お願いするわ」
一人通学する先には光はいない。おそらくクラス中から質問を受けるんだろうなと思ったが、すぐにその考えを消し去った。言うとすれば煉瓦だろう。透には煉瓦以外に声をかける人間はいない。
――イイような、悪いような……。
光の居ない教室は何とも珍しいもので、肉親がいないクラスというのは何とも心地いいものなのだと感じた。そして予想通り、煉瓦が「今日光ちゃんいないッスけど、どうかしたんスか?」と、クラス全員が聞きたそうにしていても出来ない質問をし、全員が打ち合わせしたかのように談笑をぴたりと止め、透の「何か体調崩したみたいで」という言葉を待っていた。
ここまで露骨にされるとさすがの透も受け流せず、一気に疲労が去来したようにがっくりと肩を落とした。
その言葉を合図にまた教室が騒がしくなり、透は思い出したように煉瓦に問い掛けた。
「そういえば、一年生で光の友達……だと思うんだけど、ショートカットの女の子知らない?」
「このクラスじゃなくてッスか?」
「うん、今見たけどいないみたいなんだ。確かC組に友達いたよね?」
「まあ……というか、さすがに漠然としすぎて分からないッスよ。もう少し特徴を……」
「そうだね。えーと、茶髪で、俺より身長が小さくて……これくらいだったかな。おっとりした雰囲気。声はかわいい感じかな」
「一応調べてみますけど……期待しないでくださいね」
「うん、別に今すぐってわけじゃないからそこまで気負わなくていいよ」
顔を引き締めた煉瓦は、まるで敵の攻撃方法を視察してこいとでも言われたかのような真剣さで頷く。喉に引っかかった骨以上にどうでもいいことなので、そこまで肩に力を入れられても、入れた方としては気にしてしまう。
「それにしても透さん、櫃本といい女に何か恨みでもあるんスか?」
「だからそういうわけじゃないから!」
喧嘩でも色恋沙汰でも何でもない、些細な疑問だ。ふと見た花の名前を調べるようなもので大した意味はない。
――ちゃんと光の異変を感じ取るなんて、そうとう光の事を見ていたはずだ。
兄である自分よりもしっかりと光と向き合ってくれているあの子は、一体どこの誰なのだろうか。
あの子が見舞いにでも来てくれれば、きっと光も調子が戻るだろうと思っての事だったのだが、授業が終わり間の休憩時間に一年の教室を回ってみたがどこにもあの子の姿はない。
「いないなー」
キョロキョロと探していると、前から見覚えのある顔がこちらに近づいてきていた。思わずゲッと失礼ながらも思ってしまった。
「何してるの、こんな所で」
「お、おはよう櫃本……元気そうで……」
「元気じゃないわよ、まだ喉痛いし……」
喉をさすりながら恨めしそうに透を見上げる千歳に透は引き攣った笑みを浮かべるしかない。
――それ光のせいなんだけどな
その恨みの籠った視線を無関係の透が受ける苦痛と言ったら。
「もしかして雪辱戦を受け入れてくれるのかしら?」
「早っ! ついこの間じゃん! せ、せめて喉治ってからでもおそくないんじゃ……」
光の居ない今そんな挑戦を流されて受けたりなどしたら悲惨な地獄絵図が待っている。光も理不尽に「何勝手に喧嘩売られて負けてんのよ!」と、キレるだろう。
慌てて手を振って後回しにしようと提案すると、千歳は眉を寄せて笑った。
「当たり前でしょ、冗談に決まってるじゃない。忘れられるはずがないでしょ……私そこまで馬鹿じゃないもの」
ふん、と居丈高に笑って髪を背中に流す動作をする。だが髪の毛は肩の先で揺れていて、千歳はハッと気が付いて髪を受け流せなかった手を無意味に降って、無意味に笑って誤魔化している。
「と、とにかく。私も貴方を百パーセント殺せる確信を持つまで強襲はしないわ」
「そ、それならよかった……」
「だからといって、慣れあう気は欠片もないわ。気安く話しかけないでくれる?」
「話しかけたのお前じゃん……」
「そして私の背後には立たないことね。私のナイフが火を噴くわよ」
「そんな馬みたいな」
「違う! ゴルゴよゴルゴ! 知らないの!?」
「あ、リスペクトしてるんだ」
「当然! ベクトルは違えどかっこいいじゃないの!」
「へぇー、櫃本って意外と渋いんだな」
「そんなつもりはないのに、他の子にそれを言うと『マニアックすぎ!』とか『マジヤベー』とか言われて……変なのかしら」
――もう誰かはっきりわかっちゃった。
はははと棒読みで笑い返した後、透は唇を尖らせている千歳に聞いてみた。
「なあ、そういえば一年にショートカットの小さい女の子知らないか? 身長はこれくらいなんだけど……」
「さあ?」
「少しは考えてくれよ」
「だって、私このあたりの人間じゃないんだもの。やっと自分のクラスの人間の顔と名前が一致しだしたのに、知るわけないでしょ」
「た、確かに……」
「私のクラスにはそんな子はいないわ。身長がべらぼうに高い子はいるけど」
「それマジヤベーの子?」
「な、何故それを知ってるの?」
詳しく説明すると余計にややこしくなると判断した透はこれでもかと驚く千歳からはぐらかしながら逃げ出した。
透の背を押すように、次の授業のチャイムが鳴り響き、背後から千歳の舌打ちが聞こえたが透も免罪符を得て自分の席に座った。
教師が来る直前に、煉瓦が透の傍にやってきた。
「透さん、友達にも色々聞いてみたッスけど、言ってたような女子生徒は何処にもいないッス」
「そう……ありがとう」
「ッス」
――じゃあ、あの子何だったんだろう……。
何処にもいない女子生徒だが、確かに存在していた。同じ制服に透よりもはるかに小さい身長。そして光を心配するような言葉。
不思議に思いながら授業を受けた透は、今度は2年、3年へと捜査網を広げてみようと思い立った。帰る前に少し覗いて探そうと、放課後一人で上級生の居る階へ登った。
――なんか、威圧感というか……
一年生の透にははっきりと場違い感を抱えるが、それでも一度来てしまったのだからとりあえず廊下を歩くだけでも歩いてみようと歩みを進めた。
透の1−Aの教室の近くの階段から廊下を歩くと、渡り廊下に続いており、別棟に到達する。そこまで直進しながらもキョロキョロと周りを見渡す。
おどおどしている透に、急いでいたらしい男子生徒が後ろからぶつかった。
「うわっ」
「あっ、悪い悪い! ごめんな、急いでるんだ!」
ヤベー! とそのまま走り抜けていった背中を見送り、透はそのまま別棟の校舎に向かい、遠回りをして玄関まで行くことにした。
まだ入学して一か月も経っていないが、意外と燐灰高校は広々としていてどの教室がどこにあるのか分からない時が多い。
図書室や理科室など特別教室は殆ど別棟に詰め込まれており、中々足を向ける機会が無い。
三階の渡り廊下を抜けると正面には降りる階段、右には図書室、左には音楽室がある。
「……ヴァイオリン……」
学校の七不思議の一つの呪いのヴァイオリンを体験した話を思い出し、透は好奇心に駆られてふらふらとそちらへ歩いていく。
人気は無く、窓から見えるグラウンドには野球部やテニス部、サッカー部が活気を持って活動している。
その様子を見て、ここが隔離された一角ではなく、学校施設の一部だという事を認識させられた。
まさかこんな所に呪いがあるなどありえないと気軽に音楽室のドアに手をかけたその瞬間。
「―――!?」
まるで電気が手から走った様に、耳から身体全体に衝撃が包み込み、ぐらりと視界が傾き、透の視界は真っ黒に染まった。











20140210



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