第二話





チャイムが鳴り響く教室では、授業から抜け出した生徒がざわざわと開放感を持って身体から緊張を抜いていた。透は教科書をしまい、次の教科書を取り出していた。次は体育だが珍しく教科書を持って来いと言っていた。嫌な荷物だと思いながらしっかりとセットしておく。
その横に背筋を伸ばし、両手を体の横に張り付けた煉瓦が腹から声を出し、身体を透に傾けて叫んだ。
「透さん! 今日は何のパン買ってきましょうか?」
「いや、今日は弁当だからいいよ」
「そッスか! お供させてもらいます!」
「毎日毎日言わなくていいから……」
「そんなわけにも!」
短い髪に短い眉、厚い唇に少し膨らんだ身体。同級生で中学校からの友人、もとい舎弟の田中煉瓦は、毎日毎日昼食をパシって来るか伺いを立て、一緒に昼食を食べている。
――でもまあ、煉瓦がいないと俺一人だしなぁ……
明らかにクラスで浮いていると自負している透は暑苦しい煉瓦に助けられている状態だ。透が教室から出て行かないと、隅によってこちらを見ている生徒が安心して昼食を食べれないだろう。
これもある意味友人と言ってもいいのかもしれないなと、ポジティブに物事を受け止めようとする透だったが、
「昨日針入高校の不良十人倒したそうッスね透さん! さすがッス! 全員顔面ボコボコで、新橋透は何処だーって、ゾンビみたいに町を徘徊してるらしいッスよ!」
「え、あー、うん」
ちらり、と背後を見やる。透の二つ後ろの席には新橋光が天使のような微笑みを浮かべて女子生徒に囲まれて小さく頷いている。
「光さん、今日は私と食べましょうよ!」
「私も一緒に!」
「よかったらお話ししよう!」
「ええ、もちろん。皆一緒に食べた方が、お弁当もおいしいもんね」
頬に手を当てて笑顔を見せる光は、隣や前の席に群がる生徒を促して机の上に自分の弁当を置いた。
「今日も光さんの手作り?」
「ええ」
「きゃー! 料理も出来ちゃうなんて素敵―!」
「そんなこと無いよー、ただ趣味の延長ってだけで」
「料理が趣味なんてすっごーい! いいお嫁さんになるね!」
「もー、お世辞がうまいんだから」
きゃっきゃと朗らかな雰囲気を出す双子の妹から視線をそらし、ギリギリと奥歯を噛みしめる透。背後から黒い靄のようなものが噴き出す。だがそれに気づかず、デレデレと鼻の下を伸ばした煉瓦は可憐な花のような微笑みを浮かべる光に釘付けだ。
「いやあ、相も変わらず光ちゃんはかわいいなぁー」
――卵焼きも碌に焼けない癖に何言ってんだアイツは? 今日の弁当は俺だろ! 俺!
「わっ! 光さんの卵焼きおいしそー!」
「綺麗にできてる!」
「えー、こんなの普通だよー」
――お前の炭焼きに比べたらな!
「わっ、ご飯がキャラクターになってる!」
「顔作ってる! かわいー!」
「ちょっとやろうかなって思って。似てるかなー?」
「似てる似てる!」
「そっか、よかったー、自信なかったのー」
――今朝「何それ似てない」って真顔で言ってきたお前が何故胸を撫で下ろしてるんだよ! 珍しくリクエストしてきたと思ったらそれかよ!
拳を握りしめ奥歯を噛みしめる透は固まり、何も言わないが怒りを滲ませている姿は煉瓦を怯ませた。
昨日不良十人を倒したばかりだというのにこの勢い、そしてなによりまったく臆することなく、こうして闘志を燃やしている姿に感動していた。
「お……おぉ……! さすが透さん! まだ疼くんスね! くぁー!」
「え?」
「やっぱ透さん凄ぇッスね! 今日もやるなら早く昼飯食べましょう! 腹ごしらえしなくっちゃいい喧嘩は出来ねーってもんです! 俺も透さんみたいに渋い男になりたくて、今日は握り飯の中にゴーヤいれてきました!」
「それ渋いっていうより苦いんじゃ……」
食べ物でなりたい自分に慣れるのならば、透は苦手な人参も毎日生で齧って過ごすだろう。
弁当片手に妹の世界が広がり始めている教室から抜け出し、ほっと安堵の息を吐いているクラスメイトを後にして、グラウンドへ向かった。
「誰もいないといいんだけど……」
先に誰か和やかに弁当を食べていたとしても、透の姿を見ると弁当をそのままに脱兎のごとく逃げ出してしまう事があり、後から来たにもかかわらず、そして置いていかれた食べかけの弁当を見て罪悪感をつのらせるのだ。
「最近は透さんがそこで食べるって定着し始めてるから、多分誰もいないと思いますよ!」
「それはそれで悲しいような」
力強く励ます煉瓦と共に下駄箱にたどり着いた。ここはあまり日差しが届かず、昼間だというのにひんやりと冷たい空気が漂っている。
靴に履き替えようと蓋を開けた瞬間、後ろから肩を叩かれるような気軽さで声をかけられた。
「あの、新橋透さんですか?」
「はい?」
振り返るとそこには腰まである茶髪のかわいらしい女の子が、両手を体の前で重ねてお嬢様のように立っていた。
「初めまして。私、B組の櫃本ですが……ちょっとお話があるんです。いいでしょうか?」
申し訳なさそうに眉を八の字にして、小首を傾げる姿に透は「あー」と言いながら、煉瓦の居る方角を見た。
「今、友達といるから……」
「お時間は取らせませんから」
「えっと……」
どうしよう。と迷っていると、櫃本の肩の向こうに、下駄箱の棚からひょっこりと顔を出した煉瓦が顔に皴を刻むほどの笑顔で親指を立てていた。
暗い下駄箱周囲だが、煉瓦の周りには小さな花まで見えるようだった。透は後で色々と聞かれるんだろうなと思いながら、不安げな顔をしている櫃本にひきつった笑みを見せ、
「……ちょっとだけなら」
と頷いた。



場所を変えようと言われて櫃本の背を追いかけ歩く透は、徐々に頬が熱くなってきた。
二人きり、場所を変える、話がある。
――ま、ままままさかこ、こっ……告白……?
いやいやまさかそんなと頭をかきながらも、喧嘩が強い男として認知されている今、ありえないことではない。
女顔というコンプレックスがあるが、まさかこんなかわいい女の子から告白される事になるとは人生どうなるか分からない。妹のメッキにされている事に苦労させられてきたが、どうやら報われそうだと、指を絡めて燦々と降り注ぐ太陽の光を見上げて思う。世界はとても綺麗だ。
――俺にも彼女が……! 光はそういえば彼氏とかまだいないな! 俺が先か! やった! 初めて勝てるぞ!
「さて」
櫃本が足を止めたのは校舎裏の日差しの強い場所だった。木々は青々として風に揺られ葉を鳴らしている。
その木の枝に小鳥が止まり、かわいらしい鳴き声を響かせている。
俺は今からここで告白をされる。そう思うと校舎裏のゴミ箱も落ち葉も不良が吸ったのであろう煙草の吸殻も全てが美しく見えた。
「あ、あの、櫃本、さん?」
「呼び捨てで構わないよ、新橋君」
くるりと身体をこちらに向ける櫃本のスカートが身体を軸にひらりと舞う。その様子に少し目を奪われた瞬間、風が起こった。
ブワッ!
落ちた葉が地面からふわりと浮いて落ちるまでの長い時間、透は喉に感じる冷たい空気と、鎖骨に当たる温かい空気に身をさらされた。
――……え?
透は何が何だか分からなかったが、どうやら櫃本が大きく一歩、透の方へ踏み込み一気に距離を近づけたらしい。
「……ふふ、あはは、さすがね新橋透君」
鎖骨に当たる温かいものは、懐に入った櫃本の口が近いらしく呼吸が当たっているらしい。一定のリズムで熱い息を吐き出す櫃本の口の上、ほんの小さな喉仏に感じる冷たい空気は、顎を反らしている透にはさっぱり見当がつかなかった。
鎖骨にぶつかる声の響きに、透はぞわりと背筋に鳥肌が立った。
――こんなに至近距離なのに……
何か変だと汗がにじむ。そして透は無意識に自分が両手を上げている事に気が付いた。
――なんで、俺、両手あげてるんだ……?
まるで拳銃を突き付けられた犯人みたいな感じで、軽く手汗の滲んだ手のひらを誰もいない方角へ見せつけ無抵抗の姿勢をとっているのは何故だろう。
疑問が晴れぬまま、櫃本が透から一歩身を引いた。
「私、昨日貴方の事見たのよ。裏路地で……見事だったわ」
ぽいっ、と櫃本が背後にゴミを捨てるように投げたのを見た。透は視線でそれを追って、地面に落ちて転がるのを見た。
長さ十五センチはあるサバイバルナイフが、燐灰高校の校舎の裏に落ちている。その異様な光景が鮮烈に透の視界の中に入ってくる。
「無駄な動きが多かったけど、素人に求めすぎね。けど、素質は十二分にあった」
「……ナイフ落としましたよ」
「学校なんて退屈だと思っていたけれど、これで楽しくなりそうね。ふふ、私が殺す気が無いって分かってたのね、完敗だわ」
「あの、ナイフ」
「これからよろしくね、新橋透君」
「ちょ、ナイフ……」
まるで固い握手を交わしたかのような晴れ晴れとした表情で櫃本は校舎裏を後にした。ひゅう、と冷たい風が通り抜ける。
先ほどまで明るく照らされていた場所が、今は雲が太陽を遮りどんよりとした空気を漂わせている。青々としていた木々も埃をかぶったように薄汚れて見える。
「……これどうするんだよ……」
先ほど喉に突きつけられたナイフを拾い上げる。銀色の刃に指で触れる。冷たい、だがこれが氷のような冷気を放つとは思えない。
あれは時折、遠巻きに感じることのある冷たさだ。
――殺気、だよな……
光が放ち、光が受けているもの。だが、不良たちから発せられるそれは憎悪が絡み合ってこれほど冷たいものではなかった。
今まで冷凍食品の餃子を食べていたが、生まれて初めて手作り餃子を食べたような気分だった。
「本物の殺意……か……?」
光の名前の書かれたプリンを食べた時以来だ、こんなはっきりとした冷気を感じたのは。
じっと透の喉に突きつけられていたナイフを見つめていると、煉瓦がどたどたと透に近づいてきた。
「いやー、透さん遅いッスよ! で、どうだったんですか? 告白されたんですか? OKッスか?」
「え? いや……」
くるりと、どう説明していいか分からず振り返ると、煉瓦の眼球が飛び出る程目を瞠り後ろへ飛んだ。
「とっ、ととととと透さんソレ! それは?」
「ち、違う違う! コレ俺のじゃない! 銃刀法違反!」
「そ、そうですよね! まさか透さんが! 口癖が『殴れないものは燃やして捨てる』っていうのに、まさかナイフを持つなんてありえねーッスよね!」
「どんな口癖だよ」
妹の口癖を初めて知った兄は、ハンカチならともかくナイフを気軽に返せるはずもなく、とりあえず弁当を包んでいる布を巻いてベルトに刺した。
「おお、そこにいれてるんですか?」
「これ落し物だから。持ち主に返すまで預かっておくだけだから」
煉瓦に念を押して昼食をとるために当初の目的であるグラウンドへ向かう。煉瓦はちらちらと透のベルトに挟まっているナイフを気にしているようだが、透の方が更に気にしていた。学ランの上から手でそっと押さえ、その固さに冷や汗が滲んだ。
――これどうしよう……。









20140203



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