第一話





快活な笑顔が咲き乱れる入学式の翌日の朝。まだ慣れぬ教室で兄が新しい環境に怯えている中、妹はニコニコとさっそく新しい友人関係を築いたようでとても居心地よさそうに椅子に座っている。
燐灰高校一年A組のクラスの中を見渡すと、最後に目に留まったのは前の席にいるニコニコとこれまた機嫌がよさそうな男子生徒の姿だった。
「透さん! また同じクラスッスね!」
「そだね……」
中学からの知り合いの煉瓦が前の席に座り、透の机に肘をついて身を乗り出し、こちらも太陽のように笑う。その熱さに思わず顔が焼けただれそうになる。
「高校受かって安心したッスけど、これでようやく学校統一できますね! 俺も手伝います!」
「いや、そういうのいいから、本当……」
肩身が狭いのは元からだが、こうして他の生徒がクラスになじんでいくのを見ると徐々に自分への視線が異質なものを見るようなものに変わっていくのがわかる。
上っ面の会話からそれぞれ持ち合わせている確信めいた秘密をこっそりと披露する。
大抵、透と同じ中学から来た生徒から排出される情報は、透へ視線を誘導させる。
「それ本当なの?」
「そうそう、噂で聞いたことない?」
「へー、同じ学校だったんだー」
「そういえば見たことあるかも……」
こそこそと日が経つにつれてクラスから浮き彫りになっていく。
いつの間にか透に声をかける生徒はいなくなり、ぽつねんと透は孤立していた。そのすぐ後ろで光はきゃっきゃと男子女子構わず良好な関係を築き上げていた。
「それ本当なの?」
「そうそう、噂で聞いたことあるよ!」
「へー、同じ学校だったの? いいなー!」
「そういえば告白されてるの見たことあるかも……!」
「えー、そんな所見られてたの? 恥ずかしいなーもう」
好意的な声音というのは何とも心地いいもので、本人ではない透だが、妹が褒められているのは悪い気はしないが、いい気分ではない。
――なんで双子の妹だけがああなんだよ。同じ顔だろ俺だって……
舎弟の煉瓦がまわりをうろつき、更にその周りには好意的ではない噂が霊のように浮遊している。
「新橋さんって凄く勉強できるんだって?」
「テストも毎回上位だって聞くよ?」
「たまたまテストの山が当たってきただけ。頭がいいんじゃなくて、運がいいんだと思う」
「あははっ、またまたー」
「よかったら今度勉強教えてくれない? もういきなりついていけそうになくて」
「もちろん! 私なんかでよかったら!」
にこにこと笑う光はとてもかわいらしいものだった。昔から社交性のある光は透よりもおばさん達にかわいがられていた。引っ込み思案の透はそんな光を後ろからいつも見ていた。
今も透は一歩離れた場所から見ているが、光のその笑顔を見て辟易するように顔を背ける。
――皆騙されてる。
――あんな作り物の笑顔気持ち悪すぎだろ……。
同じ顔が作る笑顔に透は頬杖をついて舌を出した。ぞわっ、と悪寒がした。バッと振り返ると光が目を細めて、冷たい視線で透を見ていた。
――おいおい顔反らしてたんだぞ、なんでわかるんだよ!
そう疑問を投げつければ、投げやりに「双子だからじゃない?」と適当な返事をよこすのだろう。透はそれを理解している。


双子という最強の盾の価値を光が知ったのは、小学校低学年の頃。きっかけは透だった。
とある休みの日の公園で、一人でサッカーボールを蹴って遊んでいた透は、クラスの中の身体も態度も大きないじめっ子に出くわした。
「おい、それ寄越せよ」
「えっ……」
「いいだろ? 俺それで遊びたいんだよ」
「で、でもこれは僕が……」
服を握りしめながら、風の音よりも小さな声で反応すると不機嫌になり、これでもかと力で圧倒され、ボロボロになって泣きながら家に帰ってきた。
その時母はおらず、鼻歌を歌いながらアイスを食べていた光だけが家にいた。
「どうしたのそれ!」
「う……前田君にやられた……」
「やりかえしたの?」
黙って首を横に振ると、ぱしーんっ! と、見事な平手打ちが決まった音が響いた。同じ顔の妹が眉を吊り上げ透の胸倉を掴み叫ぶ。
「ばかね! それ脱ぎなさい!」
そう言って今まさに泥だらけの服を剥ぎ取り、光はそれを着てロケットのように家を出た。
長い髪は透がかぶっていた帽子をひったくり、その中に押し込んで公園に向かった。
「な、なんだよ……」
素っ裸になった透は呆然と座り込み、妹に叩かれた頬と脱いだワンピースを傍に、暫く動けなかった。
暫くして透がやっと動きだし、手を洗い顔を洗っていると荒々しく玄関が開き、どたどたとあわただしい足音が近づいてきた。
爛々と目を輝かせ、泥塗れになっていた光が拳を突きつけて叫んだ。
「かわりにやってあげたわよ!」
ふん、と鼻息を荒くし、そう宣言してリビングから立ち去った。廊下に落ちていたワンピースを拾って着替え始めていた。
透はおずおずと廊下に出て、そして公園で受けた痛みと相手の大きさを思い出し尋ねた。
「やったって、なにを?」
「決まってるでしょ! やっつけたの! けんかしてきたの!」
「え……なんで……」
「なんでじゃない! 男のくせになさけない! いい? そんなことされたら同じくらいやりかえしてやらなくちゃだめよ! こんどまたやられたらすぐに私にいいなさい。いってきてあげるから!」
光は双子の兄妹である透に対して少しキツイと思っていたが、この時初めて透は光の本性を見たのだった。
「弱い透にかわって、つよいわたしがたたかうの!」
「光が……?」
「そう! ぜったい負けないんだから!」
大人しく、それでいて明るく、賢く、騒がず、人に好かれる光の内側のものが芽吹きはじめた。弱い透は訳も分からず、妹がとりあえず助けてくれるのだと言っていると解釈して頷いた。そこで契約は成立していた。
透は小学生の頃ずっとスポーツ帽子を被っていた。臆病な性格のオプションが、光の闘争心を助長させた。
透のふりをした光に叩きのめされた前田は、また凝りもせずに透を虐めた。あんなに弱々しく自分に屈服していた小さな少年に負けたなど許せない事だった。
その現場を光が目撃し、すぐに人気のない場所で交代し、先ほどまで弱々しく耐えるだけの透が肉食動物になったように爛々と反撃してくるのだった。
「なんだよお前! 意味分かんねーよ!」
その奇妙さが更にイジメを増大させたのだが、さすがの光も喧嘩だけではらちが明かないと気が付いたらしく、ヒートアップしたイジメを受けている透を見て、教室の中でいきなり大声で泣き始めた。
「うわあああああああん! もうやめてよ! お兄ちゃんが! 透がぁ〜〜!」
わんわんと噴水のように涙を出し、隣の教室まで聞こえる大音量の鳴き声は、野次馬と共に先生を呼んだ。前田は先生と別室で話が行われ、親が学校までやってくる騒ぎとなった。
透は皆の前での醜態に頬を赤らめ、光のように泣きたい気分だった。
だが、当の光はまだ涙が続いている演技をしながら透をちらりと見て、小さく笑ってウインクをした。
その頃から透は光にぞわぞわと嫌な予感を感じ始めていたのはその頃からだった。
それから高校生になっても光は透に変装して喧嘩をしている。だが、あの頃と違うのは、透を救うためではなく己のストレス発散の為だった。
学校で演じる額縁に入ったいい子ちゃんに疲れた光は、透になって暴虐の限りを尽くす。
髪は相変わらず長いが帽子の中にしまってある。男物の服を着ても少しの違和感しか感じないのは、光の胸部がまったく成長していないためだろう。そこを指摘すれば入院させられるだろうから透はパンドラの箱として扱っているが、いやはやしかし。と、双子の妹の蛮行に頭を痛める。
――最初はあんなにきらきらしてたのに……
兄を守る妹の背後には後光が差していた。弱い透が見上げる光は頼もしく、そして誇らしい存在だった。
「オラオラオラァ! どうした? その人数でたった一人倒せないのかよ!」
――確かに、強い男だと思われるのは悪い気はしない……しないんだけど……
「まーた一人やられたぞ! そう、そうだ、いいぞ! もっと強く、殺す気で殴りかかって来い!」
学校から帰宅途中、裏路地から聞きなれた声を聞いてこっそりと覗いてみると、そこには爛々と目を輝かせ、針入高校の不良十名程と喧嘩を繰り広げている妹、光の姿があった。
――さすがに限度がある……
男物の制服は透が着ているものしかないはずだが、中学校で制服が無いと不便だと思った光は、こっそりと自分用に男の学ランをしっかりと用意し、こうして新橋透となり、不良たちに殴りかかっている。
高校に上がれば何か変わるかと淡い期待を抱いたものだが、どうやらこれから先も変わらないらしいと、はあ、と溜息を吐いた。
「……妹のあんな姿は見たくないもんだな……」
路地裏でテンションが上がり、笑いながら不良を殴り飛ばす光を見て引き攣った笑みを浮かべる。あんな戦車並の戦力を持った実力が自分にあると勘違いされるとは恐怖しかない。
――しかもうちの学校、めちゃくちゃ強い番長いるとか言ってたよな……
実力よりも高く評価されるのは笑顔で首を絞められるようなものだ。それによっておこる災害に、透はなすすべなく押し流される。
――あのアクティブなストレス発散してる妹に、変わりに俺と一緒にストレス発散する方法考えようぜなんて言ってもどうにもならないしな……
――むしろ矛先が俺に来られても。すでに余波を外でも中でも受けてるのに。
家の中でも傍若無人な妹に被害を受けているのだから、まあいいかと透はさっさと家に帰宅した。
その後、返り血を浴びた学生服を洗濯機に入れている光と遭遇した。
「……よう」
「…………」
「今日も元気良かったな」
「そ」
「……なあ、そろそろさ、お互いもう大人になりかけてるだろ? 交渉というか譲歩というか、歩み寄りというかさ……」
「何?」
「そろそろ喧嘩以外の何かを見つけようぜ」
「面倒くさい。アンタがして」
兄の低姿勢の提案も視線を寄越すことなく一蹴する。このふてぶてしい妹に、実力的にも権力的にも何も言う事が出来ない。
――このままずっとこうなんだろうな……
早々に諦めた透が、足元に置かれている丸々と膨らんだ袋を見つけて尋ねた。
「それはそうと、それは何だ?」
「ああ、今日喧嘩した相手から。戦利品を」
「は?」
「んとね、これ、ほら凄いでしょ?」
「うわー、すげー! ボンタンだ!」
「珍しいでしょ? 思わずはぎ取ってきちゃって。ほら、これよかったら履きなさいよ」
「マジで!? うわっ、写真写真ってアホか! 何ゲームみたいにはぎ取ってんだよ!」
「へたくそなノリツッコミ」
「煩い! おま、今そいつらパン一って事じゃん! 可哀想とは思わないのか!」
「喧嘩売ってきたのは向こうから。こっちが売った喧嘩に勝って追剥みたいな事はしないわ」
「無駄なポリシーを言われても」
「無駄ですって? アンタ私を舐めてんの?」
「窘めてるんだろーが! いいから返してきなさい!」
「何様のつもりよ! これは私の! 全部私の!」
「これだけのボンタンどうするつもりだ!」
「……ご、五月に……棒に飾る……」
「ボンタンのぼり!?」
「いいの。とにかくこれは一着あげる」
「いや、いらない……」
「あげるから」
「はい……」
適当に放り投げられた返り血のついたボンタンを受け取って、透ははあ、と溜息を吐いた。
「お前、こんな事して罰当たるぞ」
「当たるのは透だからいいの」
「お前な」
「高校に入ってストレス凄くて。毎日喧嘩したい気分なの」
「そんなカラオケみたいに言われても」
「いいじゃない。透の名前もうなぎのぼりだよ」
「高い所が好きなのは煙と馬鹿だけだろ」
呆れたように吐き捨てるといきなり胸倉を掴まれ、そのままリビングに引きずられ窓を開け透を外へ思い切り投げ捨てた。
「ぐはっ」
「馬鹿なのはアンタでしょ。いい加減どっちが強いか分かりなさいよ。もう大人になりかけてるだろ? なら透もそろそろ喧嘩の仕方覚えておいた方がいいわよ。お父さんがそう言ってたから」
「け、喧嘩のレベル違うだろ、普通の喧嘩と!」
身体を起こし、少し弱りながら言い返すと、光は鼻で笑って踵を返した。
「そんなんだから駄目なのよ! 自分が強くなって私のストレス発散に付き合おうとかないの!?」
「めちゃくちゃだなお前! なら俺のストレス発散のカラオケに付き合えって言ったら、お前付き合う!?」
「付き合うわけないでしょこのジャイアン!」
「酷!」
べーっ、と舌を出して窓を閉めた光に、透は庭で膝をついて立ちあがる。
返り血を鬱陶しそうに手で拭いながら風呂場へ向かう光は、普通の女の子よりも制服の数が多い。
――もうその時点で喧嘩やめるつもりはないよな。
これからどうなるのか、透は肩を落としてとぼとぼと窓を開けて入ろうとしたが鍵がかけられていた。玄関まで回って入ろうとしたがそこにも鍵がかかっていた。
「……」
裏側に回ると浴室からシャワーを浴びている音がする。父は仕事、母は買い物に出かけている。
透は壁に手をついて疲労困憊したようにがっくりと項垂れた。






20140201/20140318



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